川田さんの「昭和陸軍」を読んで以来、何か喉に骨が引っかかるような気がするのだが、一体誰が日本という国の権力を握って日本を戦争へと導いていったのかが分からない。
らっきょの皮むきみたいなもので、何かするすると逃げられてしまう。みんな逃げていってしまう。
「たしかに私はそう主張したが、それを受け入れ決断したのは私ではない。私にはそのような権限はなかった」
そう言ってしまうと、最後には昭和天皇のご聖断ということになる。しかし、かと言って天皇こそが唯一の戦争犯罪人かというと、そういう人もいない。
結局、国の内外にあれだけの犠牲を出した戦争の最終責任を取ろうという人はいないし、誰も特定はできない。“みんな時代の犠牲者だったのだ” ということになる。そういう結論だけは許せない。

おおまかに言えば、薩長藩閥が天皇制なるものを巨大化させた。ところが巨大化したフィクションとしての天皇制がいつの間にか実体を伴うようになってきて、その「お化け」が日本という国を引っ張り回した結果があの戦争なのだろうと思う。
ということは、総体としての天皇制官僚群が権力の実態なのだということになる。その中の「革新官僚群」が戦争の方向を推進したのであろう。
明治維新で登場した薩長勢力には民族主義的傾向があった。それが日清・日露戦争の勝利を通じて朝鮮・中国蔑視の「選良」意識へと転化していく。これが武力唯一主義と結びついていく。ここに第一の戦犯がいる。
さらに列強の一員として海外進出を果たす中で、武力を背景に無理を押し通す「問答無用」外交が前面に押し出される。ただこれは明らかに時代錯誤であり、第一次世界大戦を経た欧米列強はすでに民族共存の方向に一歩を踏み出しつつあったから、それが一層目立つようになった。ここに第二の戦犯がいる。
やがて時代錯誤の日本の膨張主義は世界の指弾を浴びるようになる。ここで一定の軌道修正を図らなければならなかったし、事実行おうとしたのだが、この目論見は暴力的に打ち砕かれた。そして事実上の無政府状態のもとで盲動主義者の意のままに政治が動かされるようになった。「私にはそのような権限はなかった」はずの人間が権限を超えて、日本を孤立主義と唯我独尊主義に導いていった。彼らは間違うことなく第三の戦犯である。
しかし暴力に怯えて政治の責任を放棄し、軍の意向に唯唯諾諾と従った一群の政治家がいる。彼らは戦争に賛成しなかったという意味では戦争責任はないといえる。しかし日本国の統治を放棄して、軍に明け渡した責任は戦争責任と同じように重い。その意味であえて第四の戦犯と呼ぶことにする。
それはある意味で、戦争にむざむざ巻き込まれていった国民の責任と繋がるものもある。
これから少し、第四の戦犯に焦点を合わせて歴史を振り返ってみようと思う。