鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

主として澤江史子(上智大学総合グローバル学部) 「トルコ民主化の経緯」を柱に各種資料の情報を付加した。

1923年10月 トルコ共和国の樹立が宣言される。共和人民党の一党制が敷かれる。

1924年3月 大統領を国家元首とし、国民主権や世俗主義を柱とする国家建設が宣言される。(脱亜入欧)

1937年 世俗主義条項が憲法に挿入された。トルコ民族文化が国家の存立基盤だと考え、非トルコ系民族文化や、共産主義運動を主要脅威とみなし、抑圧した。

1950年 選挙による政権交代が実現し、民主党政権が誕生。第1位政党が当該選挙区議席を独占する選挙制度のため、民主党は国会で圧倒的多数を維持する。

1960年 

4月 民主党政権批判が高まる。民主党メンデレス政権は軍隊を動員して共和人民党の選挙活動を妨害し、メディアへの検閲体制を強める。さらに共和人民党を「無神論者」や「共産主義者」などと呼び、政治活動禁止、同党に関する調査委員会の設立を強行採決。全大学が閉鎖され,多数が秘密裏に拘束される。

5月27日 1回目のクーデター。護憲クーデターとしての側面を持つ。当時の陸軍総司令官であったギュルセル大将を担いだ青年将校グループが打倒。

5月 軍は民主党幹部を逮捕し、党の解散、国会の停止を宣言する。旧民主党幹部は懲役刑に、党首等3人は絞首刑に処せられた。

1961年 民政移管のための総選挙。「民主主義体制擁護の貢献者」として軍部の政治介入が正当化される。大統領は軍出身者が占め、軍幹部が終身議員に着任。4軍司令官よりなる国家安全保障会議に内閣への「助言権」が与えられる。

1970年 イスラーム復興運動が勃興。国民秩序党が創設される。新選挙制度のもと国会は小党分立状態となり、政権交代が繰り返される。

1971年 政治介入を示唆する軍首脳の書簡が大統領に送付され、内閣が総辞職に追い込まれる。「書簡クーデター」と呼ばれる。軍のアタチュルク思想からの離反。

1972年 ビュレント・エジェビトが共和人民党の新党首になる。党及び政治の民主化を主張し,軍の政治介入に反対する。

1980年 国民生活は年率100%を超えるハイパー・インフレで疲弊し、テロが激化。

政治混乱の直接の原因はイスラム勢力の増大によるものだった。イスラム派は建国の父アタチュルクを批判、世俗主義を否定した。これに対抗する左翼も勢力を伸ばす。両者の対立は武力衝突へと発展する。

1980年 2回目のクーデター(9月12日クーデター)。政治混乱と経済政策の停滞を理由とする。約3年の間、軍部による独裁政治が繰り返される。旧政党は全て非合法化されて幹部は懲役刑に処せられる。しかし軍の真の敵は共和人民党と左翼勢力だった。

1982年 軍政下に憲法が制定される。議会選挙は比例代表制で10%の足切り条項。「国家安全保障会議の決定事項を、内閣は最優先に考慮する」ことが明文化される。

1983年 総選挙が実施。軍事政権のチェックを通った政党と政治家のみが参加。

1987年 トルコがEU正式加盟を申請。これを契機にEUの民主化基準が外圧となり、これに沿った民主化が求められるようになる。

1987年 選挙プロセスが大幅に民主化され、野党の政権獲得も可能になる。

1990年 クルド語での出版や音楽活動が解禁される。

1995年 大学の学生や教員が政党の党員になる権利や、上級公務員が労組を結成する権利が認められた。

1995年 総選挙。親イスラームの福祉党が第一党となる。軍幹部の圧力で第二党の中道右派政党が政権を握る。

1996年7月 政権党の腐敗が発覚。福祉党を首班とする連立に移行。

1997年2月 福祉党のイスラーム復興の動きに軍が反応。国家安全保障会議は福祉党が国是である世俗主義原則に反すると批判。「体制の危機」を宣言。福祉党非合法化を始めとする復興勢力弾圧が実行される。福祉党幹部でイスタンブル市長のエルドアンも投獄される。

2002年 総選挙。中道右派とイスラム勢力の結集した公正発展党が勝利。

2004年 国家保安裁判所を廃止する憲法改正。メディア・教育への軍の関与も制限される。

2005年10月 民主化プロセスが認められ、EU加盟の最終段階である正式加盟交渉が開始される。

2006年 EUによる民主化の進捗報告書。軍幹部が政治的影響力を行使しようとして公式・非公式に政治的発言を行うことが続いていると指摘。テロ対策法が広範に解釈され、自由を抑圧する法的根拠となっていると警告。

2007年 総選挙。公正発展党は圧倒的な勝利を収め、単独過半数を獲得。

2008年6月 憲法裁判所、大学構内でのスカーフ着用容認の憲法改正を違憲とする判決。

2009年1月 国営放送にクルド語専門チャンネルが開設される。

2010年 憲法改正。①80年クーデターの実行者を起訴することが可能になった。これにより軍政期の拷問やパージ等の責任を司法で争うことが可能となった。②軍の人事についても思想・信条などを理由とする人事は司法に提訴することが可能となった。③司法人事も変更され、下級判事の意見が反映されるようになる。④高等教育やマスメディアの統制委員会における軍代表常任委員ポストが廃止される。⑤国家治安裁判所が廃止される。しかし言論の自由などの面でさらに実質的な改革が進むのかは不明確。

2012年 アンカラ第12高等裁判所が1980年のクーデターの首謀者の裁判を始める。被告はKenan Evren参謀総長とTahsin Şahinkaya空軍司令官(いずれも当時)の二人。

2013年5月 イスタンブールで民衆の抗議デモが盛り上がる。

エルドアンはイスラムの位置づけ、ケマル・パシャへの評価を明確にしないまま、スカーフ着用の緩和や酒類販売の制限などを進め、これに抵抗が起きると強権的に対処しようとした。

  

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット

↑このページのトップヘ