この度、老健入所者の管理から足を洗うことになった。
思えば2010年の7月以来であるから、5年余りを入所者の管理に費やしたことになる。
やった仕事は入所者の転帰についての調査だけだから、ほとんど何もしていない事になる。
RSVの仕事については、まとめたかったが果たせなかった。
「諸般の事情」で、できないことがあまりにも多い。今となっては思いつくままに書き残すのみである。
A 病院へ送るタイミング 
1. 基本方針
この問題が常に最大の判断を要する問題だった。
基本的には中間施設という枠は下りの中間としてしか考えていなかったから、できるだけ元気で長く生活してもらうことが目標だった。
同時に「看取りはやらない」というのも自分なりの原則にしていた。もちろん原理的には「看取り」も一つの選択肢なのかもしれない。しかしそれをやり始めると、老健の「堕落」になるのではないか、とも思う。
ほとんどの場合、病院に送った人のベッドは確保して置かなければならないから、経営的には負担になる。
ただ、そのことで医療・看護はやるべき範疇がはっきりしてくるので、「老健らしさ」を維持するための必要なコストと考えざるをえない。
いま少しづつ医療保険枠が拡大しつつあるので、とくに感染症などでは、だんだん療養型との垣根が変化してくるかもしれないと思っている。
2.疾患別に見た場合
脳血管系、冠疾患系では何も逡巡する余地はない。そのまま救急車を呼んで、診療情報提供書は後日送るかたちで乗せちまうほかない。
吐下血、イレウスなど消化器系も考える余地はない。むしろ判断の遅れがあとで問題になることが多いので、「多少早いかな」と思う段階で決断している。
転倒・骨折疑いは意外と悩む。明らかな骨折でなければ一応レントゲンをとって判断する。しかしこちらの読影力もあるので、ナースの判断が一番頼りになる。したがってどのナースの判断かも重要な情報になる。
肺炎は最初の頃はすべて送っていた。しかし病院の入院患者に比べると意外に抗生剤がよく効く(AB/PCでも効く!)ので、最近ではコストもふくめて判断している。
3.最終盤医療
もう食べなくなった、低アルブミン、低ナトリウムと揃ってくると、療養型への移動を考えなければならなくなってくる。
こういう時は、ご家族の意向が大きく左右する。同時にこちらの死生観が問われてくる。明らかにどうしようもない場合を除けば、私は原則としてPEGをおすすめしている。
PEGであとどのくらい生きるのか、その人生にどれほどの意義があるのかは、問うてはいけない質問だと思う。ただPEGを勧めてもほとんどの家族は頷かない。
それをどれほど強く勧めるかについて、私も最近はだいぶ弱気になっている。しかし基本は変わってはいない。
「生きる権利」は、場合によっては患者みずからの意志を超えてまで存在すると思う。生者のうちには「生きていたい」とつぶやく生命力があるはずだ。そうでなければ、それは形を変えた自殺容認論になってしまう。
「もう生きていてもしょうがないですから」という家族には、「そんならあんたも死ぬか?」と叫びたくなることもある。
B 老健のクスリ
1.基本となるクスリ
ほんとに必要なクスリは意外に少ない。申し訳ないが、認知の薬はゾロもふくめすべて止めさせてもらっている。経営的に成り立たないからだ。認知のクスリを出している老健もたくさんある。しかし病院との連携のない孤立した老健では、それはしわ寄せを呼ぶ。
50人の認知症にクスリを出せば1ヶ月に50万だ。ケアワーカーが二人雇える。そのほうが絶対に患者にも良い。
アスピリンなどの抗血小板剤もダラダラとは使わない(PCI後の人には仕方ないから使うが)。私の調査では、の梗塞や心筋梗塞の再発率はかなり低い。転倒・出血・血腫のリスクのほうがはるかに高い。
ただし血圧はしっかり抑えている。リスクカバーとしてははるかに有意義だろうと思う。降圧剤の選択としてはATⅡ阻害剤はすべてACE阻害剤に切り替えている。咳は出たほうが良いくらいだが、幸か不幸か咳の副作用はほとんどない。
女性の場合はフルイトラン1/2錠が第一選択である。申し訳ないほど安い。
意外に多いのが症候性てんかんで、抗けいれん薬はポピュラーな処方である。ODっぽい人にも予防投薬している。
意外に多いといえば、下肢の浮腫の中に深部静脈血栓がかなりいるのではないかという印象を持っている。ワーファリンを使う場合、ほとんどが心房細動を念頭に置いていると思うが、DVTの場合もワーファリンが有効かもしれないと思っている。
緩下剤(カマもふくめ)はほとんどの人に投与している。排便は老健におけるきわめて重要な儀式で、浣腸・摘便・失禁・弄便・便汚染の処理をふくめてケアワーカーの主要な業務の一つである。
一度便臭軽減のため、入所者にココア粉末の投与を提案したが却下された。彼らは「臭いは仕事のうちだ」と主張した。頭が下がります。
2.投与量はもっと少なく
血圧の薬はほとんど常人と同量である。糖尿の薬や抗生剤もあまり変わらないと思う。違うのは向精神薬である。
精神科の先生が週1回回診してくれている。その処方がきわめて微妙なさじ加減なのにびっくりした。とにかく基本は半量である。
普通のクスリでも例えばPL顆粒は常用量使えばとんでもないことになる。意識はどろどろになるし、おしっこは出なくなる。後から「この人緑内障でした」ということになる。だからナースはPLを使いたがらない。ひどい時はこちらで出した処方を無視して、葛根湯ですましている。
つづきはあした

昨日の続き
ただし葛根湯が効くのは初期の軽症のみだ。本格的な風邪になればロキソニンしかない。なのにナースは抵抗する。「この人血圧低いんです」、「この人便秘があるので困るんです」とくる。「だからどうした!」という言葉を飲み込みつつ、「頼むから使ってください」とお願いすることになる。
それで血圧下がればそれは補液の対象だ。それに汗かいて熱が下がれば水も飲むようになる。
それを何度も繰り返して、やっと解熱剤使ってもらえるようになった。
ロキソニンで血圧が下がるのには理由がある。基本的には1回1錠では多すぎるのだ。半錠で十分効果がある。それと血圧が下がる人は「隠れ脱水」を伴っているからだ。大体が低張性脱水だから臨床的には目立たない。低ナトリウムならそれだけで脱水と思って良いと思う。
ということで、目下の風邪の第一選択はロキソニン1錠の2xだ。これでダメなら補液する。ついでだが、ブルフェンは年寄りにはまったく効かない。
3.抗生物質
老健入所者の最近は割と素直だ。サワシリンでも効くことがある。むしろ流行りのクラビットが意外と効かない。流石に尿路感染はしつこいが、セフェム系でなんとかしのげている。
抗生物質の点滴も割と早めに開始する。抗生物質はたいていナトリウムを含んでいて、それを生食100に溶かすから、案外ナトリウムが効いているのかもしれない。
慢性気管支炎にはクラリスロマイシンの予防投与を積極的に行っている。ただ使うとすれば1日2錠必要な気がする。どうも1錠では抑えきれないような印象がある。
肺炎球菌ワクチンはできれば全例やりたいくらいだが、金額の問題もあってルーチン化していない。こちらの構えが甘いのだろう。
4.糖尿病
これが実はけっこう苦労する。PEG導入で一気にDMセミコーマまで行ってしまったケースも有る。精神科の薬で悪化してインシュリン導入をやむなくさせてしまったケースも有る。
DM専門医から見れば眉をひそめられるかもしれないが、私はアマリールか、しからずんばインシュリンという主義で、とにかく下げりゃいいんだろうとやっている。
一番の理由は、訳の分からないクスリほど高いということにある。
薬代が院所持ち出しのところで、ケアワーカーになんぼの給料出せているかを考えれば、製薬会社に奉仕するのはきわめて癪である。
5.利尿剤
とても重要だと思っている。とにかく利尿剤をいじってろくなことはない。多少多いかなと思っても我慢してそのまま使うようにしている。
HANPとかADH阻害薬(サムスカ)のようなものはなくても、ラシックス単味でかなりのところまでやれると思う。問題はケチらないことである。
先ほどの“かくれ脱水”と矛盾するようだが、“隠れ心不全”もけっこう多い。とくに老人は心臓が固くなっているので心不全になっても心拡大は来ない。
咳が長引いたらとにかくCTをとることだ。胸水の診断はCTでしかできないと言って過言ではない。
6.有象無象のクスリ
とにかく年寄りだからいろいろ悪いからいろいろかかっている。したがってクスリもいろいろだ。
基本的には全部切りたいのだが、たくさんクスリを飲んでいる人ほど、訴えもたくさんなので、切るのは容易ではない。
世の中には漢方好きの医者がたくさんいて、平気で数種類重ねて出す。これはバッサリ切る。こんなにたくさん飲んだら低カリどころではなく肺線維症まで心配になる。どうせツムラの下敷き見て出しているんだろう。私もそうだから。
整形もこわい。90の婆さんに平気でロキソニン1日3錠出す。そしていちじくの葉っぱのように胃薬をつけてくる。さらに筋弛緩剤とヴィタミンDとカルシウム、さらにメチコバールだ。そしてどっさりと外用薬。
泌尿器科も、眼科も耳鼻科も3,4種類の薬を出す。かくしてトータルは20種類以上となる。「地獄への道は善意と若干のそろばんで敷き詰められている」のだ。

C 老健とは何か
絶対的な基準というのはかなり難しいが、療養型・特養・有料老人ホームと並べてみると、相対的な位置づけはある程度見えてくる。
1.医療の観点から見た老健
医療という観点から見れば、まさに中間施設である。しかも在宅に向けての中間ではなく療養型に向かう中間施設だろうと思う。中間というのはある意味では中途半端ということでもあるが、それなりの守備範囲ではツボにはまった効用を発揮するし、瞬間的には病院と同じ機能を発揮することも出来る。融通はきくがスタミナはないヘタレ組織で、私にはもっともふさわしいところかもしれない。
2.リハ・介護の観点から見た老健
本来の機能から見れば、回復期リハを終了した患者が自宅復帰への足がかりとして生活に見合ったリハをする施設ということになろうが、実際にはそのようなケースはほとんどない。
そういう幸運なケースはほとんどが老健を通過せずに自宅復帰しているのではないか。老健に途中下車する人はたいてい病気以外の何らかの生活困難を抱えている。大抵の場合、その困難は解決不能である。いわば下り線に乗り換えてこの施設にやってくるのである。
したがって、リハのゴールは最善の場合も現状維持にとどまる。
私はそういうリハもあっていいのではないかと考えている。そういう減点法的な評価体系があってしかるべきだろうと思う。1年経って、10点満点のところ9.5で抑えられた、よくやったという評価である。
そしてその0.5の不足分のところをケアワーカーが補う、という形で老健が成り立っているのではないかと思う。
3.リハと介護が車の両輪
私は利用者が入所する時、必ず家族にこう説明している。
「ここには医者もナースもいて、いまこうやって私が説明しているが、実はわたしたちは後見役なのです。この施設の主役はリハビリ技師とケアワーカーなので、医療の側はそれを後ろから支えているにすぎないのです」
「この施設は入所者の皆さんが一日でも長く生活レベルを維持し、健康レベルを維持し、一日でも長生きできるようにお手伝いすることが目的です」
自分ではこの立場を守っているつもりだが、どうもナースは手を出したがる。実際手出しせざるを得ない状況が日々起こっているわけだが、この「原則」はいつも念頭に置いて置かなければならないと思っている。
4.「療養病棟化」せざるを得ない現状
「実際手出しせざるを得ない状況が日々起こっている」と書いたが、遺憾ながらそういうことになっている。急性期病院からは、ICUから一般病棟に戻すような気分で患者が送り返されてくる。
「こちらから頼んだのだからしかたない」と泣き泣き受け入れるのだが、朝まで酸素吸入していた患者を午後には送ってくる。「酸素オフでSpO90あるので大丈夫だと思います」、「あと3日間、ADH拮抗薬使ってください」、どこが大丈夫なんだ!
5.割安入所施設としての期待
このあいだこういうケースがあった。これを聞いた時は愕然としたものだ。
ある日、特別養護老人ホームに入所中の方の奥さんが相談に見えられた。今度の一部負担の2倍化で、一部負担が耐えられなくなったというのだ。そこで療養型への移動を検討したいということだ。
これでは順序が逆ではないか。
特養はお年寄りの終の棲家のはずだ。そこにすら居れなくて、しかもその行く先が療養型とは何たる矛盾だろうか。
おそらく厚労省は、次は「それは療養型が安すぎるからだ」と言って療養型の一部負担を引き上げることだろう。「あっ、今度はここが出っ張っている」と言って人の命にかんなをかけているようなものだ。
そんな中で、老健も一種の割安(有料老人ホームやグループホームに比べて)な入所施設としての期待がかけられている。
ギリギリの医療と書いたが、まさにここのところでギリギリの頑張りがもとめられているような気がしている。