1928年

2月 コミンテル執行委員会、一連の武装蜂起作戦を総括。「ソビエト化された農民地域を形成し、土地革命を実践し紅軍を建設する」ことを革命の主要任務とすると決定。

28年4月

4月 蒋介石が第二次北伐を開始。「軍閥、帝国主義打倒」の目標は破棄される。北伐軍は4軍構成で、第1軍は蒋介石、第2軍は馮玉章(もと直隷派軍閥)、第3軍は閻錫山(山西軍閥)、第4軍は李宗仁(広西軍閥)となり、軍閥混成軍の様相を呈す。

4月 日本軍、居留民保護を名目に第二次山東出兵。

28年4月

5月 斉南事変。斉南に侵入した北伐軍と済南守備の日本軍が武力衝突。国民党軍2000、日本軍230の死者を出す。日本人居留民にも16人の死者。

5月 井崗山の毛沢東部隊に朱徳の軍隊と湖南南部の農民軍が合流。兵力1万の紅軍が誕生する。「労農紅軍第4軍」を称する。軍長に朱徳、党代表に毛沢東、政治部主任に陳毅が就く。

28年6月

6.04 張作霖、蒋介石の北伐軍に敗れ満州に退去。奉天駅付近で関東軍の謀略により爆殺される。

6月 北伐軍、北京無血入城。国民党は南京を首都としていたため、北京を北平と改称。

28年7月

7月 モスクワで共産党第6回党大会が開催される。コミンテルン決定に基づきブルジョア民主主義革命の達成を目指す。瞿秋白は「左傾妄動主義」と批判され、蜂起失敗の責任を問われ委員長の職を解かれる。国内での闘争指導には李立三と向忠発があたる。毛沢東は中央委員に選出される。(なお瞿秋白はモスクワにとどまり、中国代表団団長を務める)

10月 南京国民政府発足。蒋介石主席に就任。実際は新軍閥連合。軍閥の長は各省主席に就任。

12月 井岡山で土地法が公布される。すべての土地を地主から没収して、家族数に応じて再分配する。農地管理のため土地革命委員会が組織される。革命根拠地が湖南の他、江西、福建省にも広がる。

12月末 張作霖の後をついだ張学良、国民政府に帰服を宣言する。これにより北伐が完成し全国統一が達成される。

28年 モスクワの第6回党大会に参加した蔡和森、帰国後に香港で捕らえられ処刑される。

 

1929年

3月 桂蒋戦争。蒋介石が軍事指揮権を中央に集中しようとしたことから各軍閥が反発。広西派軍閥との間に戦争。

5月 西北軍の馮玉章が叛旗を掲げ、10月には同じく宋哲元が叛旗。12月唐生智が叛旗。

5月 紅軍、福建省に進出。

6月 日本政府、米英に追随する形で南京政府を承認。

10月 世界大恐慌始まる。

11月 陳独秀、トロツキズムに転向。党を除名される。上海でトロツキスト組織「無産者社」を結成。

 

1930年

4月 「中原大戦」が始まる。国民党同士の内戦となり、蒋介石軍と反蒋で結束した各軍閥が戦った。最終的には張学良(奉天軍)が南京政府側についたため、蒋介石軍(南京政府)が勝利。北方政府は瓦解し、蒋介石に軍事指揮権が集中する。

蒋介石の権力は強大な軍事力と浙江財閥を基盤とする。浙江とは江蘇・浙江省のことだが、実際には上海の両省出身者のグループ。一方で外国の買弁資本、他方で地主・高利貸資本とも一体化する。しかし孫文以来の中国国民党の政治的正統性を受け継いだ側面もあり、薩長による明治維新と類似した性格を持つ。

7月 瞿秋白、モスクワ代表を罷免され中国に戻る。

9月 共産党の第6期中央委員会第3回総会(六届三中全会)が開かれる。中央指導者の瞿秋白が李立三の「左翼的偏向」を批判。毛沢東派もこれに同調したといわれる。

12月 江西省南部の赤色根拠地に対し、第一次囲剿(いそう)が開始される。動員兵力10万人。江西省主席の魯滌平が総司令となる。

30年 魯迅、「中国左翼作家連盟」(左聯)に加盟。国民党政府の弾圧やその御用文人に非妥協的な論争を挑む。