Hyekyung Lee について調べた。あまり文献がない。Hyekyung Leeという女性音楽家がもうひとりいて、こちらはテキサス在住の作曲家である。ロンドンにももう一人Hyekyung Leeという学者がいるようだ。
以下は、Korean Concert Society のページからの引用である。
1959年、原州(Wonju)の生まれ。6才でピアノを学び始めた。
国内のコンクールで賞を獲得した後、1970年にソウル・シンフォニエッタ楽団と共演し、最初の公開演奏会をもった。その4年後には韓国ジュネス・ミュージカル楽団のソロイストとなった。
1976年、ドイツにわたりエッセンのFolkwang音楽大学に入学。その後ドイツの政府DAAD奨学金を得て、Folkwang賞コンクールと全独音楽大学連合コンクールに優勝した。
その後、ミュンヘン音楽大学に転校し、1981年に首席で卒業した。
大学院在籍中の2年間に、リサイタルを行い、多くのラジオ番組に出演し、リスボンのVianna da Motta 国際コンクールではバッハ賞を獲得した。
1984年に、リーは韓国中央大学(Chung-Ang)の教授となり国に戻った。現在、Hyekyung Lee は韓国の傑出した音楽家のうちの1人として認められている。レパートリーはバロックから現代音楽まで多岐にわたる。
1984年に、彼女は韓国音楽ペンクラブから「批評家賞」を受けた。
1988年に、彼女は音楽誌「ドン・ア」の「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
1998年に、彼女は韓国音楽協会から「韓国音楽賞」を受賞した。
2004年に、彼女は韓国音楽批評家協会から「ソウル音楽賞」を受賞した。
2005年に、彼女はルイジアナ国際ピアノコンクールの審査員を務めた。
2006年に、彼女はザールブリュッケンの音楽大学の客員教授となった。
2009年から11年までの間、彼女は韓国ピアノ協会の副会長を務めた。
Hyekyung Leeの音楽は、4つの大陸に彼女を連れ出した。彼女はケネディ・センターとリンカーン・センターで演奏した。シドニー、ウィーン、モスクワ、東京、マニラでも演奏した。
北アイルランドのアルスター管弦楽団、大阪新フィフハーモニー管弦楽団、ルーマニアのオルタヒア管弦楽団、モルドヴァ国立管弦楽団、ロシアのウーファ交響楽団と共演した。
韓国では、彼女は韓国フィルハーモニー管弦楽団、ソウルフィルハーモニー管弦楽団と定期的に共演している。
彼女はまた、コロラド弦楽四重奏団、新ブダペスト四重奏団、フルート奏者パトリック・ギャロイ、マクサンス・ラリュー、トランペット奏者スティーブン・バーンズ、韓国最高のバイオリン奏者 Dong-Suk Kang、韓国の伝統的な打楽器音楽「サムルノリ」などなどと共演している。
彼女の経歴には多くの指揮者との交流もある。ヴァークタン・ジョルダニア、ベルンハルト・ゲラー、バリー・ワーズワース、サンドロ・ストゥレーロ、ヤン・パスカル・トルトゥリエなどである。
リーは、モスクワの「クラシック・レコード」のために10枚以上のCDを録音した。
彼女は、ピアノ・アンサンブル・グループ「ピアノ・オン」の音楽監督であり、室内楽グループ「CAUカメラータ」のメンバーである。
ということで、正直言えば、国際的にはほとんど無名の人である。
この世界、競争が激しいから、結構容貌というのは決め手になる。
有名な女流ピアニストの名をクララ・ハスキルから指折り数えてみれば、思い当たるであろう。
人々は演奏会のポスターを見て行くか行かないかを決めるのである。
細く吊り上がった一重まぶたの目、あくまで張ったエラ、太く短い首、もはや若いとはいえない年齢…
これらは演奏には何の関係もないのだが…
현우 정 さんが多くの演奏をアップロードしてくれている。いずれも素晴らしい出来ばえである。
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