シュンペーターは一言でいえば俗物である。マルクスの「産業資本家」論を剽窃し、「平均利潤率の逓減の法則」から片言隻句を引いて、それを“奴隷の言葉”に置き換えただけの人だと思う。

彼についても、まず年譜から始めよう。

1883年2月8日 オーストリア・ハンガリー帝国・モラヴィア(現チェコ)のトリーシュに生まれる。本名はヨーゼフ・アロイス・シュンペーター。

1901年 ウィーン大学法学部進学

1906年 ウィーン大学から博士号(法学)を取得

1908年 教職につくための処女論文『理論経済学の本質と主要内容』を発表。この時25歳。

ドイツ語圏の読者を対象に、ワルラスの一般均衡理論の意義をほとんど数学を用いることなく解説したうえで、その過ちを指摘したもの。
競争を徹底的に行なわせると、もうこれ以上変化しない一般均衡状態が成立する。それは変化のない静態である。利潤はゼロになり、投資は行なわれず、したがって貯蓄もゼロ、利子率ゼロの静態が生ずる。収入は費用(賃金と地代)に等しくなる。
これでは資本主義の運動を解明することはできないので、経済システムの内部に均衡を打ち破る動因があるはずだと主張する。

1909年 オーストリア辺境の町ツェルノヴィッツ大学の准教授に就任。『経済発展の理論』の執筆を開始

1911年 ベーム=バヴェルクの推挙によりグラーツ大学教授に就任。「生意気だ」との批判を受ける。

1912年 『経済発展の理論』発表。

ノベーション: 均衡状態はイノベーション(新結合)によって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと市場経済は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し利子もまたゼロになるという。したがって企業者(アントレプレナー)は、つねに創造的な破壊をし続けなければ生き残れない。(第二章 経済発展の根本現象)
信用創造: 起業者が
銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造される。銀行家は単に購買力という商品の生産者である。
景気循環: イノベーションを実行すると経済は撹乱されるが、その不均衡の拡大こそが
好況の過程である。これに対し、後続企業が追従して経済全体が信用収縮(銀行への返済)により徐々に均衡化していく過程が不況である。不況は「通常の過程」であり、放置する。恐慌は信用供与により解決すべきである。

1913年 コロンビア大学から客員教授として招聘され名誉博士号を受ける

1919年 オーストリア共和国の大蔵大臣に就任、同年辞職

1921年 ビーダーマン銀行の頭取に就任

1924年 同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負う

1925年 ボン大学の教授に就任

1926年 『経済発展の理論』改訂版を発表。

1927年~ ハーバード大学の客員教授を引き受ける

1931年 初めて来日し各地で講演

1932年 ハーバード大学の教授に就任(52歳)

1936年 ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』を発表。シュンペーターは批判的立場をとる。サミュエルソン、ガルブレイズ、トービン、ソローらハーバードの弟子たちの多くがケインズ派に走る。スウィージーはマルクス主義に向かう。

1937年 『経済発展の理論』日本語版が出版される。

マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わない。
私ははじめ気づかなかったが、自分の考えや目的は
マルクスの経済学を基礎にしてあるものだ。

1939年 『景気循環の理論』発表。内容は『経済発展の理論』とほぼ同じだが、「新結合」が「イノヴェイション」と改められる。

1940年 計量経済学会会長に就任

1942年 『資本主義・社会主義・民主主義』発表。「創造的破壊」が流行語となり、ベストセラーとなる。

①資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していく。
②停滞した社会においては、独創的なエリートは、官僚的企業よりは社会福祉や公共経済の分野に革新の機会を求める。

1947年 アメリカ経済学会会長に選出

1949年 国際経済学会会長に選出

1950年1月8日 アメリカ・コネチカット州にて動脈硬化症で急死

1954年 遺稿を元に『経済分析の歴史』出版