「ルワンダ中央銀行総裁日記」をもう一度読む

学生時代に読んだ記憶がある。すでにマルクスやレーニンをかじっていた時代だったが、印象は鮮烈だった。ある意味で「ガリバー旅行記」であり、最初の読後感もSF的な爽快感だったような気がする。しかしその感じとは別に、合理性を失わない立ち位置の強靭さ、マクロな視野と生データで判断する姿勢、「誰のために?何のために?」という絶えざる問い返しは、何時までも私の脳裏に焼きついて離れなかった。

最近、経済問題の首を突っ込むようになって、いろいろ頭をめぐらせていると、ふとこの本のことが思い浮かぶようになった。あの本はルワンダのことを書いているのではなくて、世界のいろいろの国のことを書いているのではないか。あれは日記の形を取っているが、途上国のさまざまな経験を織り込んだフィクションなのではないか、そういう意味での「ガリバー旅行記」ではないか、そんな気もしてきた。

とくにブラジルの「民主化の歴史」を書いていて、これは結局「ルワンダ」の焼き直しなのではないか、と思うようになり、書棚をかき回したのである。

一晩で読みきった。しかし次の日は1時間も寝過ごして遅刻する羽目になった。

40年後のいま読み直しても、これは名著である。むしろいまだからこそ余計、名著になっている。世界は服部正也氏が主張した方向ではなく、そうなるべきではないと主張した方向へと動いてきた。その結果がかくのごとき有様である。そういう眼でもう一度40年前のスタートラインに戻るのもありうるのかもしれない。

ただ、その間に40年の歳月が流れているので、私の読み方も変わっているかも知れない。以前はこの本の後半部分、農業重視の自力更生路線が魅力的だった。今回はこの部分はいささか自画自賛の趣がないでもない。むしろインパクトを与えるのは前半部分、平価切下げに向けての諸準備とIMFや銀行筋との丁丁発止のやり取りだ。あいまに政府機構の建て直しをやっていく。このあたりはノウハウとしても大いに参考になるところ。

この40年間、世界は大いなる失敗をしでかしてきた。一番大きいのはIMF・世銀を尖兵とするネオリベラリズムの失敗だ。しかもいまだにその失敗は克服されていない。それどころか、失敗だったという認識もいまだ世界に共有されているとは言いがたい。

もうひとつは左翼の側の責任である。グローバリゼーションはネオリベラリズムとイコールではない。これは大方の認識だ。しかしどこまでがグローバリズムの必然として受容すべきか、どの点をネオリベラリズムとして峻拒すべきかの境界は必ずしも明らかではない。当然のことながら、その境界はどういう原理によって引かれるべきなのかも理論構築されてはいない。

モスクワ追従派の共産党の大方は消え去った。そのほとんどは社会民主主義にスタンスを移し、ネオリベラリズムを無原則的に受け入れている。労働者政党は既得権益確保と、独占資本の擁護のあいだを揺れ動いている。ラテンアメリカでも一時はレノバシオニスタ、文字通りの修正主義者が幅を利かせた。しかし21世紀に入ってベネズエラを先頭に各国政府が軒並み左翼化するに及んで、この問題にも一定の結論が出ようとしている。

私にはそれを定式化できるような能力はないが、とりあえずブラジルの闘いの記述を通じて、いささかの示唆は出来たのではないかと考えている。あとはこれらの事実を資本論第三部と結びつけながら整序していく作業が残されている。それは私の仕事ではないが、魅力のある作業ではある。