変な話だが、女性セブンを買いに行った本屋で、ついでに新書巡りをしていたら、川田稔「昭和軍閥の軌跡~永田鉄山の構想とその分岐」(中公新書)というのがあって、何気なしに読み始めたら、これがめっぽう面白い。
まだ30ページほどだが、未知の情報だらけで、ほとんど赤線だらけになってしまった。
とりあえず、ここまでの感想をメモしておく。
永田鉄山には二つの目標があった。まずひとつは対ソ戦を基本とする総力戦思想である。日露戦争はうまくやったが、いずれソ連(ロシアは)必ずもう一度仕掛けてくる。本気のソ連ともう一度戦って勝てる保障はない。とにかく満蒙を生命線として確保しなければならない。これがすべてだ。
もう一つは、陸軍を自らの手に集中するだけではなく、政治も軍に従属させなければならない。要するに総力を上げてソ連の南下を阻止するために、政治システムもふくめて日本が一丸となることだ。
しかし、この大戦略の是非については、また別の話になる。
永田はこのために軍の掌握を図った。この小戦略ははるかに具体的で、はるかに難しいのだが、天性の寝業師、永田はそれを成功させてしまう。ただしそのためにいくつかの重大な代償を払う。
永田らは密かに仲間を募り軍の重要中堅ポストを次々に獲得していく。これは比較的たやすく行われた。ただしその中にはオポチュニストも混じってくるので、どうしても思想は薄まる。もう一つは真崎、林、荒木の三将軍を反長州閥の代表として表に立てたことである。これは勝利のためには有効であったが、軍内を長州閥対反長州閥という矮小化された分裂に導いた。第三に、これらの結果として関東軍が独立権力のように振るまい、中国とことを荒立てるのを阻止できなくなってしまった。国内でも革新派の動きに対して有効な対抗措置をとれなくなってしまった。(ただし永田は懲支論者であった)
まぁこれらは軍内の権力移動には不可避の副産物であり、時間とともに整理されていく性格のものであったろうが、永田にはその時間がなかった。そして永田に代わった東条にはそれだけの器はなかった。ということになろうか。
ドイツの枢軸協定を結び、スターリンと不可侵条約を結ぶ頃には、日本の基本戦略はすっかりおかしくなってしまった。関東軍ばかりでなく、有象無象のオポチュニストが勝手にドンパチをやらかすようになって、陸軍そのものに歯止めがなくなってしまった。陸軍に対する歯止め役であるべき政府や議会はむしろそれを煽る役に回っていった。
それもこれも、結局は永田鉄山が蒔いた種ではある。

と、昨日は書いたが、一晩寝てから考えると、どうも違うと思うようになった。

永田の戦略観はかなり希薄である。結局当時の軍内右派の最大公約数的なものでしかないように思える。

しかもその対中国観は右往左往している。対ソ脅威論だけでは大義はない。中国とともに(あるいは“中国を従えて”でもいいのだが)、アジアをどういう世界にしていくのかというビジョンがなければ、そこに大義は生まれない。

もしそういう大義がないのだとしたら、それはタダの権力亡者でしかない。

たしかに彼はネゴの達人であったかもしれないが、それは本当のネゴシエーションではない。仲間を作って、徒党を組んでその力でしゃにむに頂点を目指すという趣である。

本当のネゴの達人というのは大久保利通の如き裂帛の気合を持つ交渉術に秀でた人物であろう。

おそらく日本は一番悪い時期に一番悪い人物に政治を委ねてしまったのだろうと思う。さしたる東アジアビジョンもなしに、何となく対ソ脅威とか対中国脅威論だけで動く今の政治状況を思い起こさせるはなしである。

ただ、結論を出すにはもう少し情報を仕入れてからにしたい。