アルハンゲルスキー 略伝

アルハンゲルスキーの生涯を記した記事があまりに少ないので、とりあえず紹介しておく。元ネタは

というサイトの

Alexander Andreyevich Arkhangelsky

という記事。

生年: 1846年10月23日

没年: 1924年11月16日

合唱指揮者 作曲家

有名なアルハンゲルスキー・クワイアの創設者。37年の間、合唱団を率いた。19世紀末のロシア合唱音楽のルネッサンスの先頭に立った。

アルハンゲルスキーは、ロシアのペンザ(Penza)で生まれて、そこの少年歌手となった。そして、セントペテルスベルグで訓練を受けた。

彼は、16歳で指揮活動を始めた。ロシア民族主義の影響を受けた彼は、宗教音楽が過度に「西欧化され」ていると感じた。そして古いロシア音楽のレパートリーを復活させようとした。

教会の権威は彼の改革の試みを受け入れようとしなかった。そのため彼は1880年にアルハンゲルスキー・クワイアをつくって、シベリアからロンドンまで演奏旅行を重ねた。

それはロシアにおける最初のアンサンブルの試みであった。それまで典礼の場では少年合唱が担っていたパートを女声合唱に取り替えた。同様にコンサート会場でも代えられた。

彼の残した曲はすべて合唱のためのものである。レクイエムが1曲(1892)、Vespers(Evening Prayer)

が1曲、ミサ曲が二つ、50あまりの小曲が残されている。もっとも有名なのは「クレド」と「神聖な輝く光」である。

かれはまた、ロシア民謡といくつかの「ロマンス」の編曲も行なっている。

アルハンゲルスキーは、ロシア正教音楽を確立することでチャイコフスキー、グラズノーフ、ラフマニノフらに影響を与えた。しかしソビエト時代の偏狭な非宗教的合唱は、彼の民主的な作曲へのアプローチを不可能にした。

彼はボルシェビキのファンでなかった。1917のロシア革命の後、彼はプラハに移住した、そこで、彼は死んだ。

1990年代、ロシアの教会音楽は復活した。それは数十年にわたって無名状態にあったアルハンゲルスキーの音楽を掘り起こした。

アルハンゲルスキー合唱団の録音(1902年から1916年にかけて)は、すべてリマスターされてCD化されている。そこには彼の作った曲もいくつか収められている。

(bio by: Bobb Edwards)


私のおすすめは以下のとおり

Arkhangelsky - "Blessed are they whom Thou hast chosen"

Arkhangelsky - "I Cried Unto the Lord With My Voice"

Arkhangelsky - "I Ponder Upon the Fearful Day"

Arkhangelsky - "Give ear to my prayer, o God"

Arkhangelsky - "Let us come zealously to the Mother of God"

とりあえずこのくらいにしておく。このくらい聞くと、正直のところ飽きてくる。

ついでに同時代の作曲家キュイの曲も聞いてみてください。

Cui: My Soul magnifies the Lord Op.98 (Song to the Mother of God: for soprano and choir)

César Cui - Everywhere Snow - Op.77 n.2

RADIANT STARS, César Antonovich Cui - LATVIAN VOICES