「戦争法案必ず廃案へ」という見出しのもとに、各界の「有識者」の意見が寄せられている。この中で目に止まったのが、早大法学部の浅倉むつ子さんの談話。

安倍首相は「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」と言いました。とんでもない間違いです。

阿部さんがなぜ国家権力を行使できるのか、その根拠こそ憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力が行使できる。それが立憲主義です。

安倍首相のやり方は、権力者自ら、その根拠を否定するものです。

ということで、「えっ、安倍首相、ほんとうに、こんなひどいことを言ったの?」と一瞬思った。ひょっとして間違いではないかと思ったのだ。

学校の先生ならこんな答案は問答無用でペケだ。「顔洗って出直して来い」ということになる。

だがそうではない。

この発言には下敷きがあるのだ。

それこそ、「賛成の憲法学者もたくさんいる」と菅官房長官に名指しされた3人の精鋭の一人、百地章先生だ。

要約を紹介する

産経ニュース 2013年7月6日

【中高生のための国民の憲法講座】 第1講 百地章先生 「国家権力を縛る」だけのものか

「憲法」にもさまざまな意味があります。まず「固有の意味の憲法」。これは古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている統治のルールのことです。

近代国家が誕生すると「立憲的意味の憲法」が登場します。これは絶対王制でみられた権力者の横暴を抑制するために生まれました。「憲法が国家権力を縛る」というのはこのことです。

同時に憲法は国家権力の行使について根拠を定めています。こうした憲法の役割を「授権規範」といいます。

ここまでは快調だ。次の段落がいきなり次のようになる。

そこで「憲法とは国家権力を縛るもの」という言い方ですが、これは一面を強調しただけで決して正しくないことがわかります。

一瞬ページを飛ばしたかと思ったが、そうではない。どうも、百地先生の頭がぶっ飛んでいるようだ。

彼は、憲法のもう一つの側面として、

憲法は…国民にさまざまな義務を課したり、時に権利を制限する場面もあるのです。

主語が違うんじゃないか。その場合は「国家」というべきだろう。しかもそれは百地先生の言い方を借りるなら、「古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている」国家の性格の話だろう。

現に次の段落では自らそう語っている。

現代は社会国家の時代ですから、国民の福祉の実現のため、…また快適な環境を維持するため、さまざまな規制を加えるのも国の役割です。

此処から先、さらにとんでもないことになる。

とすれば「憲法とは国家権力を縛るものだ」と決めつけるのは、古い考え方であり…

もう頭は宇宙遊泳状態だ。この先生には「主語」という概念がないらしい。

一方的に国家=悪、国民=善だと思い込んでいないか。注意深く考えてみる必要があります。

百地先生の忠告に従って、注意深く考えてみよう。すると素晴らしい考えが湧いてくるのだ。国家=善、国民=悪ということもありうるのだ。

普通はこういう考えをアリストクラシー(貴族政治)という。前近代国家に特有の政治形態だ。


ついでながら、安倍首相がこの中学生向けの作文を下敷きにしたとすれば、とんでもない読み間違いを犯したことになる。

流石の百地先生も「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」とは言っていない。浅倉さんの言う通り、とんでもない間違いです。

私なら、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまう。

むかしはこういう輩をノータリンと言った。あまりにアホで、恥を感じることさえできないのだ。

兎にも角にも、コヤツを政権の座から引きずり降ろそう。そうでないと私はこんな国に生きることが恥ずかしさで身悶えしてしまう