東芝事件、まだ序の口だ

とりあえず経過表を作ってみたが、どうもとんでもない大事件になりそうな予感がする。

問題は企業ガバナンスとかいうレベルではない。日本という国の骨格が、骨格だと思っていたものが、たんなる虚妄に過ぎなかったという衝撃的事実である。

ソニー、松下が潰れても日本の屋台骨は揺るがない。しかし東芝はレベルが違う。経団連の中核であり、軍産複合体や原子力村と深く関わる、ある種の国策会社でもある。

斜陽の電機業界の中で、日立・東芝が好業績を維持していることは、日本の経済政策立案者にとってある種の救いであった。

しかし「勝ち組」だったはずの東芝が、実は「負け組」だったのだ。この事実は、ずっしりと効いてくる。

「大企業立国論」は、アベノミクスの根幹をなしているだけでなく、保守派に共通する信仰となっている。その根拠となる企業の一つが瓦解するとなると、残るはトヨタのみとなる。

さすがに「日本の産業政策はこのままでいいのか」という疑問が、澎湃として沸き起こってくるだろう。

アメリカの言うがまま、大企業の儲け主義、内需の軽視というのが、日本の経済政策の三本柱だった。それが、財界の先頭に立つ推進役の大企業、東芝の無残な転落によって、賞味期限切れを暴露された。

それが今回の事件ではないだろうか。

高齢化と人口減少が否応なしに迫ってきた現在、日本はすべての面でスケールダウンを迫られている。

その際に、大企業だけが抜け駆けをしようという魂胆は間違っている。それは結局、東芝の道を歩むことになる。

道を変更出来るだけの時間的余裕はあまりない。これを機に、根本的な変化を打ち出すことが求められているのではないか。

鍵となるイメージは「平和な中規模国家」ではないだろうか。これまで築き上げた技術力、平和国家の矜持を大事にしながら、ニッチを開拓し内需を中心にした国家づくりをおこなうのが一番だ。それには大企業中心思考を何処かで捨て去らなければならない。それが今だろう。