進化と多様化をどう区別するか

進化と多様化を区別するのは、大変難しいことです。

人類をトップに据えてそこに至る過程を進化としてとらえる観点は、しばしば形而上学に陥ります。マクリーンの大脳辺縁系セオリーはその良い例でしょう。

しかし、逆にすべてをたんなる多様化と適応で説明するのも、地べたを這いまわるタダモノ論的議論にしかなりません。そこには量的増大とそれを生み出したものへの視点が欠落しているからです。

世の中には進化論的モデルで説明できる事象がたくさんあります。進化論にもとづいて仮説を立て実証する作業は、しばしば有効であり、その事実が進化論モデルの正しさを実証しているといえるでしょう。

地べたを這う実証的科学者も、研究の現場では無意識のうちに進化論を適用しているはずです。

素人の私としては、このくらいまでしか言えませんが。

量が質を規定する

藻類と葉緑体との結合によって光合成が可能となり、生命体が一気に繁殖しました。地球上で太陽エネルギーほど安定した良質のエネルギーはありません。

やがて植物は水中だけではなく地表にも進出し、地球の水と光のある所の大部分を覆うようになりました。

そのあと、植物に栄養を頼る動物が発生し、節足動物の時代が到来しました。さらに水中の節足動物から脊索動物が登場し、一部はプランクトンを食べ、さらにその一部は小魚を食べるというような食物連鎖が形成されました。

脊索動物の一部は陸上に上がり、昆虫も食物としながら別種の食物連鎖を形成していきます。

このような生物世界における食物(エネルギー)連鎖の重層化現象は、「量が質を規定」しているわけで、たんなる多様化ではなく、多層化を伴う生物界の進化といえるでしょう。

その後も地球環境は激変していくので、生命体をふくむ物質のあり方も変遷していきます。中でもとくに温度変化が重要ですが、炭酸ガスや酸素の量、オゾンの量なども影響を及ぼしていきます。

その中で、栄華を誇った動物が新たな環境に適応できずに絶滅に至る経過もあったのだろうと思います。

さまざまな生物は新たな状況に適応し、多様化し、それが成功すれば大発展を遂げることになります。これは小状況であって、生命体がその勢いを維持している時代が終わりを告げたことはありませんでした。

生命は地球エネルギーの存在の仕方

地球環境が相対的に安定するあいだ、エネルギーは運動という形を取ります。この運動は一定のサイクルで繰り返され、それは積み重ねという形で蓄積されていきます。蓄積されたエネルギーは質的変化を伴う有機化(エネルギー組成の熱力学的高度化)をもたらします。これが生命体の進化の本質だろうと思います。

この大状況の安定という条件のもとで、ジグザグとした小状況を貫徹する形で、動物は基本的には進歩してきたと言って良いのではないでしょうか。

それは生命の量の増加という形で示されています。(総細胞数の増加、DNAの増加にまで還元したほうがより明確か)

進化の大筋は多様化と適応の中に貫通している

最近、原始的な脊索生物にも人間の脳と同じ構造があることがわかってきました。そしてその発達をうながす遺伝子はすべての脊索動物で基本的に同じであることも分かって来ました。

そうなると、人間は魚に比べて進化したわけではなく、ただたんに状況に適応したに過ぎない、という見解も成り立ちうるわけです。

確かに哺乳類の最初は、爬虫類に比べさほど進化しているとはいえません。それは進化というよりは爬虫類が絶滅するような環境の激変と、それに対する適応という性格が強いのかもしれません。

脊索動物が繁栄を極めた昆虫からではなく、海中の環形動物という傍系から発生したのと似ているのかもしれません。

ただそれは進化の大枠を外れたわけではありません。生物(有機的自然)の発展という大ベクトルから見れば、一定期間回り道したにすぎないと思います。

生物学的進化は霊長類でプラトーに達した

隕石の落下に伴う気候激変で絶滅した爬虫類に代わり、リリーフ投手として登場した哺乳類が、機能的に爬虫類や,その後継としての鳥類の域に達するのは比較的最近のことではないでしょうか。

それはたかだか霊長類の時代まで遡る程度ではないでしょうか。

哺乳類、爬虫類、鳥類の脳の構造はハード的にはほとんど変わらないものだと思います。それは進化というよりは適応と多様化の範囲のものだと思います。

霊長類は集団的規律を獲得した

霊長類の最大の進化は集団的規律(ディシプリン)の獲得にあると思います。規律は魚が群れるのとは異なります。それは脳の働きです。そして脳はディシプリンの多様化のために、さまざまな形で発達してきました。これも「広い意味での生物学的進化」ですが、個体能力ではなく集団的叡智の増大による発展という意味では、生物学的進化の枠にはまらないものを持っています。

だから「生物学的進化とはいえない」という言い方もできるかもしれません。

そして意思の疎通のためのさまざまな手段を発達させ、そのために脳も巨大化していくようになります。これは進化というより適応・発展というべきかもしれません。集団化しなければ、この巨大な脳はまったく無用の長物です。

道具の使用が「手段」という概念を生み出し、それが自らの身体をも「手段」とする思考を生み出し、さらに音声を通信の手段とする思考を生むようになったのでしょう(道具の使用だけならたいていの鳥がやっています)

その傾向がはっきりとブレイク・スルーしたのが人類(ホモ属)なのだと思います。脳の発達はその結果なのであって、原因ではないと思います。

基本は進化、特殊的にディシプリン

ディシプリンを持っている動物は霊長類ばかりではありません。アリやハチなどは、他の昆虫に比べ生物学的には左程変わらないのに、みごとな社会規律を持っています。

しかしそれは自己完結的な世界に留まっており、彼らにはそれをさらなる発展のバネとするだけの能力はありませんでした。矛盾するようですが、そういう意味では脳の巨大化という積み上げ自体が進化の証であり、発展の礎になっていると言えます。