朝日新聞の16日の記事で、長谷部恭男・早大教授と、小林節・慶大名誉教授の“痛快”記者会見が掲載されている。
長谷部さんの発言は小気味良い。
最高裁の砂川判決
(砂川裁判では)日本が集団的自衛権を行使しうるか否かは、まったく争点になっていない。前者(個別自衛権)のみが許されるとする論拠が、後者(集団的自衛権)の行使を容認するための論理になるはずがない。
国民を愚弄していると思う。ワラにもすがる思いで砂川判決を持ち出してきたのかもしれないが、ワラはしょせんワラ。それで浮かんでいるわけにはいかない。
一体化問題
弾薬の供与や発進準備中の航空機への給油がなぜ外国軍隊の武力行使との一体化ではないのか。不思議だ。まさに一体化そのものではないか。私に対するいわれのない批判
自民・公明に属する複数の与党議員によって、いわれのない批判がなされている。公明の議員は、私が安全保障について素人だから、という指摘も加えている。オックスフォード大学が2012年に刊行した比較憲法大辞典の、「戦争権限」の項目は私が執筆している。そういう人間を素人と、普通は呼ばない。
今の与党の政治家の方々は、参考人が自分にとって都合の良いことを言ったときは専門家であるとし、都合の悪いことを言ったときは素人だという侮蔑の言葉を 投げつける。自分たちが是が非でも通したいという法案、それを押し通すためならどんなことでもなさるということだろうか。
アメリカが日本を助けてくれる確実な保証はない「米国に軍事協力をすることで、日本の安全保障に米国がさらにコミットしてくれるのではないか?」と思われている。
しかし、米国はあくまで自国の憲法上の規定及び手続きに従って、条約上の義務を果たすにとどまる。いかなる国でも、軍事力の行使は、まずは自国の利益にかなう場合である。米国民の思いや利益を代表する人が、日本を守るために本格的な軍事行使をする決断をするだろうか。その時でないとわからない。
集団的自衛権が安全保障を悪化させる可能性もある
「集団的自衛権が抑止力を高め、安全保障に寄与する」と言われる。
しかし相手方はさらに軍備を強化し、安全保障環境はますます悪化する。プレーヤーの誰かが計算違いを起こすリスクも高まる。
小林節さんも負けじと声を上げる(いささか呂律の回らないところがあるが)
憲法は、権力担当者に課した制約だ憲法は、権力担当者、本来的に不完全な人間に課した制約だ。
憲法を無視した政治は独裁の始まりだ。「じゃあ、一般国民は憲法守らなくていいのか」ということになる。本当に心配している。
自衛隊は法的には代理人警察だ
自衛隊は、警察などで担えないほどの力が襲ってきた場合に備える警察予備隊として発足した。法的にはいまでも代理人警察だ。憲法上、海の外に「軍隊」と称するものを出すことはできない。国際法的に見たら海賊になる。勢い余ってよその国の領土にあがったら山賊になる。
「バカの壁」との論争
3人の有名な憲法学者が「集団的自衛権は使えないはずない」と言う。この論争は1年前の議論だ。「バカの壁」ってやつは一番強い。人間同士の論争は発展性があるが、壁とのはつらい。発展性ない。壁を蹴飛ばすか、こちらが気が狂うしかない。
司法は問われたことしか答えられない統治行為論というのは、戦争というのは大変な行為だから、国会議員と総理の法判断に一時的に委ねるということだ。
ただ、高村さんの話は、最終的に委ねられたことになっちゃう。学者は字面に拘泥?
与党は「学者が字面に拘泥」というが、当たり前だ。言葉を政治家が勝手に無視しようとしたとき、「ちょっと待って」というための学者なのだ。本当にふざけないで欲しい。高村弁護士にぜひ、そのことをお伝えしたい。
自民党の劣化とメディアの復活
勉強会に付き合って最近感じるのは、意見が違うと怒り出す人が多い。意見が合うとプロフェッサーとなるが、意見が違うと「小林さん、あんたね」となる。すげえ、やくざだなあと。メディアが死んでいて報道してくれませんでしたが、この間の憲法審査会で自民党推薦の参考人が違憲を宣言したことで、メディアが生き返った。
これで国民教育をきちんとして頂ければ、We still have a hope だ。
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