鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

AIIBとの関連で1997年通貨危機をおさらいしたが、どうもすっきりしない。アジアの経済にとってほんとうに必要な金融政策が浮かび上がってこないし、それを妨害するもの(米日支配層)の真の姿も浮かび上がってこない。

ということで、去年10月にアップした 増補することにした。


1997年

97年5月 タイ通貨への攻撃開始

5月初め ゴールドマンサックスの分析ペーパー、タイ通貨バーツ切り下げの噂を広める。この時点での為替レートは1ドル26バーツ。

5月13日 タイの通貨バーツに対する大規模な攻撃が始まる。一日だけでドルとバーツの取引量は60億ドルを超え、市場は売り一色となる。タイ当局の介入額は63億ドルに達する。

5月14日 シンガポール、マレーシア、香港の4 カ国が、「通貨防衛のための相互協力」に基づき、地域協調介入を実施する。介入額は100 億ドルに達する。

5月14日 タイの外貨準備高は約350億ドルから25億ドルにまで落ち込む。

5月15日 タイ政府、IMFによらない危機乗り切りを模索。資本流出規制措置を実施。オーバーナイト借り入れレートを3000%に引き上げ、バーツの国外持ち出しを禁止し、非居住者のバーツへのアクセスを制限する。

5月20日 IMFのフィッシャー副専務理事らが訪日。日本の大蔵省幹部と会談し、投機資本対応での連携強化を確認。

6月21日 ウィラワン副首相兼蔵相が辞任。後任にタノン。

6月30日 タイ政府、通貨切り下げはしないと宣言。

97年7月 タイ・バーツの崩壊 フィリピン、マレーシア、シンガポール攻撃の開始

7月2日 タノン蔵相、バスケット・ぺグ制(ほぼドル・ペグと同義)を廃止。実質的な変動相場制に移行すると発表。IMFの指示を受け入れ、固定相場廃止へ舵を切る。

7月2日 通貨バーツは一気に20%低下。多額のドル借り入れをしていた多くの銀行やノンバンクが危機に陥る。

7月2日 フィリピン、マレーシア、シンガポールにも通貨攻撃。香港は通貨防衛のため10億ドルの介入。

7月14日 フィリピン、為替レートの下落を容認。相場は市場実勢に委ねられる。

7月14日 マレーシアが通貨リンギットの防衛を断念。減価を容認。シンガポールも通貨を減価。

7月16日 タノン蔵相が訪日。中央銀行によるクレジット・ライン(融資枠)の設定や協調介入などを日本に要請するが、支援を取り付けられず。

7月18日 インドネシアにルピア売りの第一波が押し寄せる。政府は通貨変動幅を拡大(実質10%切り下げ)させることで対応。

7月25日 東アジア・太平洋中央銀行総裁会議(EMEAP)、「構造調整プログラムを支援する融資制度」について議論。

7月29日 タイ政府、IMF に対して正式に支援を要請。厳しいコンディショナリティを受け入れる。

IMFの貸付条件: 1.財政緊縮による経常収支と財政収支の黒字化、2.高金利によるインフレ抑制、3.管理フロート制の維持と外貨準備の積み増し、4.金融リストラ(ノンバンク58社の業務停止など)が突きつけられる。

97年8月 インドネシア・香港への波及

8月11日 IMFがタイ支援国会合を東京で開催。総額140億ドルの支援で合意。IMF が40 億ドルを、世界銀行・アジア開銀が30億ドル、日本が40億ドルを負担する。

この支援会議で、日本以外のアジア諸国が積極姿勢を示し、拠出目標を30億ドル以上超過した。これはアジアの通貨プールの可能性と有効性(1.貸出限度額の大幅拡大。2.迅速な対応。3.独自のアジア基準)を示すものと受け止められた。

8月12日 インドネシア、香港への通貨攻撃が始まる。インドネシアは為替管理を断念。自由変動相場制へ移行。この後民間企業のドル買いが殺到し、ルピアの暴落が始まる.

8月17日 マレーシアが完全変動相場制へ移行。通貨リンギットは年末までに50%の減価。

8月24日 大蔵省がアジア10 カ国・地域を中心に1000 億ドル規模の基金を作る構想。榊原財務官を中心に各国との折衝を開始。

大蔵省のAMF構想 日 本の円を中心にアジア版基金を作り、通貨危機に見舞われた国には優先的に通貨準備を融通することを提唱.中国・香港・日本・韓国・オーストラリア・インド ネシア・タイ・シンガポール・マレーシア・フィリピンで1000億ドル規模の基金を作り、IMFを補完する役割を持たせることになっていた。

97年9月 「アジア通貨基金」構想の挫折

9月12日 三塚蔵相がアジア10 カ国・地域に対し日本提案を送付。香港でのIMF・世銀総会の際に協議するよう提案。

9月14日 サマーズ財務副長官から榊原財務官に電話。①アメリカが参加していないこと、②AMF がIMF と独立して行動する可能性について非難する。

9月17日 ルービン財務長官から三塚大蔵大臣に電話。アメリカ政府としてはAMF 構想には反対と明言する。

9月17日 ルービン財務長官とグリーンスパンFRB 議長の連名によるAPEC 各国蔵相への書簡。AMFへの懸念を表明。対案として、1.アジア・太平洋地域における協調行動の枠組づくり。2.IMFの増資、新規借入れ取り決めの早期実現、を打ち出す。

9月18日 バンコクでASEAN 蔵相会議が開催。日本提案が全面的に支持される。IMF のカムドシュ専務理事も原則支持を表明。

9月19日 オーストラリア、スピードが速すぎるとし消極的態度を示す。

9月20日 日米蔵相会談。ルービン財務長官は三塚蔵相に対し、アジア通貨基金構想への懸念を強く表明。

9月20日 G7会合。ヨーロッパ諸国のなかからもアジア通貨基金構想への懸念が表明される。

9月21日 香港でIMF・世銀の年次総会.マハティール首相は,「実需を伴わない為替取引は不必要、不道徳で非生産的だ」と強く非難.国際投資家のジョージ・ソロスは、為替取引きの制限は「破滅的な結果につながる」と反論.

9月21日 IMF年次総会に引き続き先進七か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7).この間に三塚蔵相とルービン米財務省長官の個別会議.ルービンはAMF構想への強い反対を改めて表明する.

9月21日 アジア10ヶ国・地域蔵相会議の前座として蔵相代理会議が開かれ、アメリカ(サマーズ財務副長官)、IMF(フィッシャー副専務理事)がオブザーバーとして出席を認められる。香港、オーストラリアは一般論を述べ賛否を表明せず、アメリカの説得を受けた中国は、発言しないという形でアメリカに同調。

9月21日 蔵相代理会議の合意失敗を受け、蔵相会議は中止となる。

97年10月 通貨危機の第二波

10月8日 インドネシア、IMFに支援要請。IMFは民間16銀行の清算を求める。

10.31 インドネシアとIMF、総額400億ドルの支援枠組みで合意。このあと政府の動揺もあり、金融不安がさらに進行。

10月 アジア為替・金融危機の第二波、台湾とシンガポールにも波及.台湾は経常収支黒字を継続してきたために為替相場が安定しており、シンガポールは東南アジアで最もファンダメンタルズが強固だったため,攻略は成功せず.第三波は香港へと向かう.

11月18日 マニラで日本、アメリカとASEANなど14 ヶ国・地域の蔵相・中央銀行総裁代理会合。アメリカからマニラ・フレームワークが提示される。「協調支援アレジメント」(CFA)と呼ばれ、二国間支援をたばねる構想。

11月 タイのチャリワット政権が崩壊。チュアン政権に交代。バーツの下落は止まらず、1ドル53バーツに落ち込む。株価は最高時の12%にまで下落。

11月 韓国,財閥の連続倒産を契機としてウォン相場が急落.短期融資の比率が高かった韓国は,債務借り換えに失敗し実質デフォ―ルト状態となる.IMFに緊急支援を要請.

11月 APEC非公式首脳会議.「市場参加者の役割についてIMFが行っている研究の結論を期待する」とし,通貨取引の在り方全般をIMFに丸投げ.

97年12月 ASEANの対応

12月 アジア金融危機のただなか,クアラルンプールで,ASEAN30周年を記念する第二回非公式ASEAN首脳会談.「2020年 ASEANビジョン」を発表.「2020年までにASEAN共同体となることを目指す」とする.「思いやりある社会の共同体」の考えを打ち出す.

思いやりある社会の共同体: 当時の国際金融危機を背景に打ち出された.社会的弱者を放置すれば,格差が広がり,社会が分裂して社会の強靭さが損なわれるとし,①思いやりある社会の建設,②経済統合の社会的影響の克服,③環境の持続性の促進,④ASEANとしてのアイデンティティーの創出などが掲げられている.

12月 日・中・韓国の首脳が招待され,ASEAN首脳会談に引き続き東アジア首脳会議.ASEAN+3の始まりとなる.当初ASEANは,日本抜きで開催する方向を明らかにし,この動向を見て急遽日本政府も参加を決断.

12月16日 ASEAN9カ国首脳が中国の江沢民国家主席と会談.21世紀に向けた親善相互信頼パートナーシップを謳う「中国・ ASEAN共同声明」を採択.

中国・ ASEAN共同声明: 中国はASEANの平和・自由・中立地帯構想を支持し東南アジア非核兵器地帯条約の発効を歓迎.ASEANは「一つの中国」 政策を順守.南沙諸島問題では「武力に訴えることなく,平和的手段で意見の相違や紛争を解決する」ことを誓約.

12月 マハティール首相,国民経済行動評議会を組織.ダイム特別相、ノルディン・ソピー戦略国際問題研究所長らに通貨危機への総合的対応策の検討を命じる.

12月末 インドネシア、累積債務1300億ドル(民間ふくめ)に達する。ルピアは対ドル2400から5100まで下落。失業者は少なくとも数百万人。米国は金融危機に対して一切の支援を拒否し,IMF基準の押し付けに終始したため、米国とAPECへの失望が広がる.

1998年

98年1月 そらとぼけるルービン

1月 通貨下落は底を打つ。通貨価値の下落幅はインドネシア・ルピア81%、タイ・バーツ56%、韓国ウォン55%、マレーシア・リンギ46%、フィリピン・ペソ42%となる。

実質GDPはインドネシアでマイナス13.7%、タイで同10.0%、韓国で同5.8%など、いずれも未曾有のマイナス成長を記録した。

貧困層の人口割合は、韓国(都市部)で9.6%から19.2%と大幅に増大、インドネシア、タイでもそれぞれ11.3%から20.3%、11.4%から13.0%に増加。

1月 ルービン財務長官がアジアの金融状況について講演。

要旨: アジア諸国は数十年にわたり高成長を達成してきた。その結果、政府・銀行・企業の癒着(縁故資本主義)が広がり、金融システムは不透明となっている。外国人投資家はこういう状況を知らないままに巨額の資本を投入した。これが通貨危機を引き起こした。

1月9日 インドネシア政府、前年比+32%の拡張型予算を発表。これに嫌気してルピア売りが一気に進行、対ドル1万6千ルピアに達する。買いだめパニック、売り惜しみが出現し不安を煽る。

1月13日 東ジャワで、暴動が発生。スハルト退陣を求める声が公然化。

1月 インドネシア企業格付けがジャンク債級に引き下げ。銀行は超高金利により逆ざやに陥る。この結果、銀行を経由するL/C貿易が困難となる。

1月 IMF、インドネシアへの貸付条件を緩和。対GDP2%の赤字を許容。インフレターゲット内での金利引き下げを認める。

98年2月 インドネシアが政治危機に

2月9日 スハルト、対ドル固定のカレンシー・ボード制を提案。IMFは時期尚早と一蹴。海外でのスハルト不信が強まる。

3月10日 スハルト、国民協議会の間接投票で大統領に再選。IMFの再建計画に従うと表明。

3月17日 学生デモが初めて街頭に進出。

3月 IMF、改革実行が不十分としてインドネシアへの第二次融資を保留。

5月1日 インドネシア政府、IMFの条件厳守を約束し第二次融資が開始される。

5月5日 石油燃料の補助金が削減される。これに伴い燃料価格、電力料金、公共交通料金があいついで引き上げ。急激なインフレが進行する。

5月12日 学生デモに治安部隊が発砲。学生6人が死亡する。抗議デモは各地で暴動化し、無政府状態に陥る。

5月19日 スハルトが辞意を表明。ハビビ副大統領が大統領に就任し、一連の自由化政策を実施する。

6月 米フィナンシャル・タイムズ紙,日本の金融市場が麻痺して円が対外責任能力を喪失した状況にあるとし,「日本株式会社は死にかかっている」と表現する.いっぽう元の防衛に成功した中国は,「世界の金融政策形成に対する影響力を持つものとして登場した」と述べる.

7月 IMF、インドネシアに対する50億ドルの追加支援を決定。支援国連合も80億ドルの支援を表明。

7月 マハティール,IMF路線で財政再建を図るアンワル副首相を更迭.短期資本を規制し,独自の為替管理で危機に対応.この年マレーシアの成長率はマイナス7%.

8月17日 ロシアに通貨危機が飛び火。通貨危機がアジアの特殊性に基づくとの考え(IMF、米財務省)は粉砕される。

9月 マハティール,IMF派のアンワル副首相を解任.ドル・ペグ制を復活。日本はマレーシア支持の姿勢を明確にする.

10月3日 アジア蔵相・中央銀行総裁会議が開催。「アジア通貨危機支援に関する新構想」(新宮沢構想)が発表される。通貨危機対応だけでなく、その結果生じた経済困難の克服もふくまれる。将来的には、「アジア諸国を中心とする新たな国際保証機構」の設立を期待したもの。

「新」がつかない宮沢構想は、1988年に、当時の宮澤蔵相がトロント・サミット蔵相会合で提案した、中所得債務国向けの債務救済スキームのこと。債務国の成長を視野に入れた中期的な構造調整プログラムの実行を前提に、IMFが中心となって債務国の資金フローを強化するというものであるが、合意には至らなかった。

10月 宮沢蔵相,先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)で発展途上国などの通貨危機対策として、ヘッジファンドなどによる短期的な資本取引の規制案を提案.危機に陥ったアジア諸国を対象に 300 億ドルを資金供与する新宮沢構想を発表.

11月 米国防総省,東アジア戦略報告を発表.日米同盟を「21世紀においても米アジア安保政策のかなめ」と位置付ける.またARFの役割を積極的に評価.

12月15日 ハノイで第6回ASEAN首脳会議.経済回復を目指す特別対策「大胆な措置に関する声明」を発表.CEPT実施率の努力目標 を1年間前倒しする.2020年ビジョンを実現する行動計画として,2004年を期限とする6ヵ年行動計画(ハノイ行動計画99~04)を採択.マクロ経 済と金融に関する協力の強化を主柱とし,経済統合の強化,ASEANの機構とメカニズムの改善などに取り組む.

12月16日 ASEAN首脳会議に引き続いて第二回ASEAN+3首脳会議.並行して日中韓三国首脳会議も開催。以後,ASEAN首脳会議とASEAN+3首脳会議はセット となる.

各国の提案合戦: 金大中の提唱で,協力のための検討機構として,東アジア・ビジョン・グループ(EAVG)を設置.中国の胡錦濤副主席は,金融危機打開のため東ア ジア蔵相会議の開催を提案.小渕首相は新宮沢構想を発表する一方.蔵相会議への米国の参加をもとめ,顰蹙を買ったといわれる(外務省のホームページには記載なし).

98年 この年のASEAN経済成長率はマイナス7%,インドネシアでは13%の落ち込み.対米不信はロシア危機の際に米財務省がヘッジファンドの救済に乗り出したことから、さらに増幅される.

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