第1回総会の「平和宣言」と言われるが、全文が読めない。日弁連のサイトで検索をかけたが出てこない。

そもそも日弁連に関する記述が、ネット上では恐ろしく少ない。日弁連の歴史とか成立の経緯などもほとんど分からない。情報統制がかけられているのではないかと思うくらいだ。

ウィキペディアの「日弁連」の項目も、“1949年(昭和24年)、弁護士法第45条から第50条に基づき設立された団体”以外の情報はない。

とにかく昭和24年9月1日に創設されて、翌年5月12日には広島で第一回定期総会が開かれた。

このへんの書き方が微妙なところなのだが、“総会に引き続いて開催された”全国弁護士平和大会で採択されたのが「平和宣言」ということになるらしい。

つまり形としては有志の集会ということだ。

各種文献では、この平和宣言のさわりは下記のごとくなっている。

日本国憲法は世界に率先して戦争を放棄した。われらはこの崇高な精神に徹底して、地上から戦争の害悪を根絶し、各個人が人種国籍を超越し、自由平等で且つ欠乏と恐怖のない平和な世界の実現を期する。右宣言する。

いかにも法律家らしい文章だ。

分解してみると、自由平等と平和が目指すべき社会の2本柱だ。戦争は欠乏と恐怖をもたらすものとして忌避されている。

そのためには「戦争の害悪を根絶」するという任務と、「各個人が人種国籍を超越する」という任務が打ち出されている。後者は、「湯川イズム」というか、当時の雰囲気を表している。

そしてその精神を日本国憲法、なかんづく「戦争放棄」条項にもとめている。なぜならそこには世界に率先するという「崇高な精神」が宿されているからだ。

という流れになるでしょう。

ちなみに昭和25年5月12日というのは、まさに風雲急を告げる時期でした。

24年の10月に中華人民共和国が成立すると、GHQの方針は一気に右展開します。

そして平和宣言の1か月後には朝鮮戦争が始まりました。GHQは共産党を非合法化し、職場のレッドパージを敢行。その一方で旧軍人の追放を解除し、これを警察予備隊(いまの自衛隊)へと組織していくことになります。事態は「平和宣言」とは真逆の方向へと展開していくのです。