脳の科学第五回 担当:浅川伸一

というページに面白い画像があった。

脳活動
1.視覚系言語のミッシング・リング
“受動的に単語を見ている”というのがどういう状態か分からないが、この場合は、読んでいるというのとは違うのだろう。第一次視覚野しか働いていない。
ここから乗り越えなければならないステップが二つある。
2.連写写真的認識の段階
まずひとつは、読むというのは、過程であるから動画的理解(背側視覚路)が必要になるはずだ。それは頭頂葉で処理され画像的シンボルの連鎖(連写写真)として理解されるはずだ。それは時間x空間認識と関わる領域に存在するはずだ。
3.聴覚言語への置き換えと聴覚言語中枢での処理
もう一つは聴覚言語とのリンケージだ。発達心理学の経験と突き合わせると、それは両中枢の相互作用というよりは、聴覚言語への変換→ウェルニッケ中枢への流入という形をとっているのではないだろうか。視覚言語の習得過程を見ると、しばしば音読による「文字情報の復唱」(呟きながら読む)という段階が観察されている。さらに、感覚性失語では文字認識も障害されるという現象も傍証となるかもしれない。
上の写真の4つのシークエンスには、文字列を読み込んでそれを理解しようとしている場面の画像がない。おそらくその際は視覚野(とくに背側経路)、知覚連合野の時間・空間認識野、さらにウェルニッケ野が総動員されているのではないだろうか。勘ぐると、あまりにも全体が光りすぎて絵にならないために、棄てられたのではないかと想像する。
4.聴覚言語は比較的カンタン

単語を聞いているときは、比較的簡単だ。聴覚は視覚と異なり、体勢知覚の一部でしかないから頭頂葉(聴覚野)に直接受容され、その後方のウェルニッケで言語として処理される。写真を見ると、聴覚野とウェルニッケが共に働いていることが一目瞭然である。
5.ブローカは作語で、頭頂葉が発語
動詞を作成している時の脳活動部位は興味深い。ブローカがフル活動している一方、運動野は全く動いていない。まさに「沈思黙考」だ。
語るべき言葉を考え、単語を選ぶときはもっぱらブローカ中枢が働き、それをしゃべる時はすでにブローカは活動を終え、違う神経(頭頂葉の運動野)が働いていることが分かる。ブローカはしゃべること自体には関与せず、それは頭頂葉の運動野に委ねているようだ。
失語症の患者でもオウム返しはできるのはこのためなのだろう。
6.ブローカと内言語
ウェルニッケとブローカとのあいだには、当然ながら「思考」という回路が入るし、ブローカの作語過程そのものが思考でもある。
この時我々は、母国語の延長である内言語で思考し、語るべき言葉を考え、単語を選ぶ。そこには辞書はいらない。
だからブローカで作成された言葉が、直接頭頂葉に向かっても何の問題もないのだ。現に提示された写真では言葉の作成時点でも、発語の時点でもウェルニッケはまったく活動していない。
7.内言語から視覚言語への転換
人間は視覚言語という外国語を聴覚言語という母国語に翻訳し、母国語の延長である内言語で思考し、語るべき言葉を考え、単語を選ぶ。
そしてそれを再度視覚言語に転換しなければならない。それはどこで行うのだろうか。それは上りの時と同様にウェルニッケを介して行われるのだろうか。それとも別の場所に別の辞書があるのだろうか。
常識で考えれば、①上り用の辞書(英和辞典)と下り用の辞書(和英辞典)は別のものだと思う。英和辞書を再ソートすれば和英辞書として使える可能性はあるが、それはあまりに煩雑だ。②ウェルニッケはそもそも上り線の駅として特化した領域なので、そこを下りにも使うとは考えにくい。
となれば別の場所に別の辞書があると考える方が素直だろう。ではそれはどこか。
ウェルニッケが言語認識に特化した部位である以上、ブローカも言語作成に特化していると見るべきだろう。とすれば、やはり書字に関係する連合運動野かその近傍でやるしかないのではないかと思う。

ところで、「動詞を作成している」シーンで、側頭葉の後方に光る場所があるが、その活動部位はどこなのだろうか。海馬だろうか。