脳は新たな機能を加えながら進化してきた。脳は単独にではなく、他の臓器と連動しながら進化してきた。それは教科書にも書いてある。しかしなぜ「進歩」したのか、なぜそれが「進歩」といえるのかは書いていない。

わたしは、生物の進化というのは自然に対する自由度の拡大なのだろうと思う。言い換えると、自然に対する相対的独立性の拡大とも考えられる。

これは3つの内容をふくむ。

1.自然への適応

ひとつは生物そのものが自然の一部であり、自然の営みの1つのシーンだということ。したがって、生物は自然の許容する範囲でしか生きられないということ。したがってまず何よりも、生物は自然に適応しなければならないということだ。

2.自然からの独立

2つ目は、自然の営みに逆らうものとしての存在だ。ホコリは風に飛ばされる。砂は波に洗われる。生物は飛ばされまい、流されまいと抗う。そのための手立てを様々な形で生み出すことにより、自然(非生物的自然)に対する独立度を維持拡大してきた。
さらに動物は、所与の環境を拒否し、自らの意志で移動することで、飛躍的に独立性を高めた。

3.自由と欲望の拡大

三つ目は、内的論理の拡大だ。それは一種の「欲望」として発生する。生物の機能が高度化すればするほど欲望は拡大し、それを可能にする「余暇」が発生する。生物は欲望をかきたてその実現をもとめる。

マルクスがいみじくも言うように、「自由」はまずもって「自由な時間」として現れる。

この3つは、生物の進化の三段階(重層的な)とも捉えられる。

この中でもっとも重要なのは、言うまでもなく第二段階だ.これが生物学の主体をなす。三つ目の段階は、高等生物、とりわけ人間にとって問題となるので、脳科学・心理学・社会学などとの境界領域をなす。

これが生物進化の道筋であり、「進歩」といえる内実であろう。生体のしくみの高度化、精緻化はそのための手段・基盤であり、それ自身が目的ではない。

これを荒削りな形ながら、人類社会と諸個人の関係に対比したのが史的唯物論であろう。