視覚に関する感想的まとめ

視覚の起源

「ウミウシが視覚を持つ小生物を取り込んで視覚を獲得した」(NHK特集)というのはどうも嘘くさい。もっと前の単細胞生物の時代でのみそれは可能ではないかと思う。

ウミウシの話は発生学の本線ではないだろう。

現在でもRNAウィルスが細胞内に入り込んで、遺伝子を改変したり、膜構造をいじったりするケースはある。それをバイオに応用したりする研究も多くある。

しかしそれらはある意味で病的な現象であり、ウィルスによる攻撃の事象であり、免疫機構の破綻を前提とする。いっぽう、免疫機構が破綻した生物には、基本的には未来はない。

単細胞生物に色素を持つリケッチアが入り込んで共生するようになったのが、現在の植物であろう。

かくして植物は自己の内部に栄養産生能力を持つようになり、爆発的に増生した。その一部が栄養能力を捨て、代わりに機動性を持つようになり、植物にいわば寄生する形で繁殖するようになった。

もちろん可能性としては、葉緑体と共生しなかった単細胞生物が、植物にに依存することで生きながらえ、発達したとも考えられる。しかしこの場合も植物依存性と移動性はその生の本質である。

私がイメージするのはゾウリムシである。繊毛を持ち移動し捕食する。しかしミドリゾウリムシのように葉緑体を持つものもある。彼らには視覚に相当するものはないようである。すなわち、能動性はあるが移動性はない。

ゾウリムシは主に真正細菌を餌とする。ただし近似種のミドリゾウリムシは、体内に緑藻であるクロレラを共生させており、光合成産物の還流を受けて生活することも可能である。(Wikipediaより)

移動性を獲得するためには何らかの形での視覚が不可欠である。それはどのように獲得されたか、葉緑素の光反応性を転用する他にないだろう。

だから最初の視覚は葉緑体、ないし類似の色素結合体以外になかったと思う。このことが動物の起源を植物に求める所以である。

ウミウシが動物であるとすれば、ウミウシは「視覚を持つ小生物」を取り込みわがものとするまでは、どのようにして移動していたのであろうか。素直に考えれば、ウミウシはそれまでも視覚に類する機能を持っていたが、「視覚を持つ小生物」を取り込んだ結果、そちらを代用するようになったにすぎないのではないだろうか。

眼の発生

それまでも体性感覚や反射を司る神経はあったのだろうが、視神経はレベルが違う。視神経(およびそれにつながる神経)は判断しなければならないのである。

どこが判断するか、それは動物が本来的に持っている「移動能力」(ナヴィゲーション)に関わる神経である。

視覚はこの能力と関連付けられて初めて有効な機能となる。たんなる反射運動においては、視覚はほかの様々な感覚と並ぶ存在でしかない。

この最初の視覚は明暗を識別する点にすぎない。これが多数集まれば、一つ一つは画素となり、集合することによって面が形成される。これが複眼である。

もちろんたんなる集合と、それを「面」として認識することの間には大きな差がある。点の認識は神経の働きにより「面」として構成されなければならないのである。

それがおそらく最初の中枢神経であろう。それは感覚諸機関の集中する中脳ではなく、間脳の視床上部に相当するのだろうと思う。

眼が複眼から単眼になり二重視するようになり、後頭葉から側頭葉、頭頂葉へと処理が複雑化していく過程は省略する。

言いたいことは、視力というのは目の力ではなく、脳の力だということだ。視覚を評価するのにラジオのアンテナばかり見ていてもダメだ。視覚の本質はアンテナではなくラジオ本体にある。眼球や網膜に関心を集中させると、視覚の分析は無意味なものとなってしまう。