8千円も払って授業を聞いたのに、そのまま放って置くのももったいない。基本的にはケチだからなんとか多少でも元はとっておきたい。

ということで、シンポジウムの発言のまとめ。

1.地域協力のアイデアとメカニズム

最初は南京大学の歴史学者の発言。正直、国連の連中がよくやる制度設計コンペティションみたいなものだ。

まずは国家関係を4つの類型に分ける。

① エゴの衝突 自己が最高で他は最低という自己中心の発想

② 多様性の尊重と共存 多極化論ないし構造主義的見解に属するものか

③ ユニバーサリズムの下での共存 いつまでも多様性にこだわったままでは進歩しないので、それを乗り越える普遍性をもとめる動き

具体的にはデジタル・コミュニケーションや環境問題

④ 地球連邦としての国家の連合 将来的にはこういうものが登場するのではないか

これを①から④へと進めていく上で必要な物を3つ挙げている。

一つはラウンドテーブル方式だ。これはおそらく多国間主義(マルチラテラリズム)のことを言っているのだろうと思う

2つ目はウェーバー風になるが、政治に対する行政の優越、皮肉をまじえると「官僚主義」(ビューロクラシー)ということになる。(私見だが、これは完全な間違いだ。行政の洗練化は必須であるが、それは行政に対する政治の優越があってこそ実現される。それが真の法治主義だ)

3つ目が積極的非暴力主義(ガンジー風)である。安部首相の「積極平和主義」とは全く違うので注意。

というのが話のあらすじ。おそらく中国の現状を踏まえての話しだろう。


これだけでは面白くもなんともないので、自分に引きつけてこの4類型を考えてみたい。

国際政治の実際では、この類型よりもそれらのあいだの中間型が問題になる。

①の典型としてはイスラム原理主義が考えられるが、これは剥奪され極度の抑圧のもとにある人々の「余儀なくされた野獣性」であり、歴史の発展段階に位置づけられるものではない。

実際の①は、むしろウェストファリア体制として位置づけられるのであろう。ウェストファリアは弱肉強食体制の下での「どう食うか」というルール化に過ぎず、多極化論の萌芽としてとらえるべきではないと思う。

②は過ぐる二つの大戦、60年を挟んだ戦後数十年の民族解放の運動の中で端緒を踏み出したといえるだろう。しかしその動きは、アメリカの一極支配への野望、スターリン主義による民主運動の歪曲、新たに独立した国の新たな覇権主義などにより度々危機に瀕してきた。

現在も②の段階は完全に実現したとはいえない。大国主義の放棄はおそらく核兵器の全面禁止がそのメルクマールとなるであろう。

さりとて③、④の世界を構想することが無意味だというのではない。それらは並行するのであって、それらの運動なしには②の世界は実現しない。

小学校を卒業して中学を卒業して高校…という段階を踏むのではない。それらは並走するのである。国際機関プロパーの人たちには、どうもそういう下々の事情がわからないようだ。