ドイツ国内における抵抗運動の評価は、旧東独において「ナチ時代において首尾一貫して断固たる抵抗運動を敢行したのは共産主義者のみだった」というドグマへの批判とも結びついている。

ということになっているが、日本では逆に非共産主義者の抵抗ばかりが拡散して、共産主義者の抵抗運動については殆ど触れられないという、逆状況にある。

自分でネットをあたって年表を作成してみたが、残念ながら、共産党・社民党の非合法化のあと、戦争末期に至るまでほとんど空白となっている。(日本語文献の範囲内で)

前項の研究は、その間隙を埋めるものとしての意義がある。

 

1933年

1月30日 ヒトラーが首相に指名され、ナチ政権が成立。共産党は反社民党、対ナチ協調の立場から事態を静観。テールマンは「ナチスに政権を取らせよ。ナチスには政権担当能力などなく、そうすれば明日には共産党が政権を取るだろう」と語る。

2月1日 ヒトラー、議会を解散し総選挙に打って出る。

2月3日 ヒトラー、プロイセンにおけるあらゆる共産主義活動を禁止。議会が解散中なのを利用して、大統領緊急命令を連発。

2月17日 ゲーリング無任所相、左翼勢力に対して「必要とあれば容赦なく武力を使用すること」を警察に命じる。内相ポストをナチスが握っていたため可能になる。

2月24日 警察が共産党本部を立ち入り捜査。メディアが共産主義革命の恐怖を伝えるプロパガンダを大々的に展開。

2月27日 ドイツ国会議事堂放火事件。政府は共産党の犯行であるとして、ただちに「民族と国家防衛のための緊急令」を公布。共産党の解散と一斉摘発に乗り出す。この日のうちに4千人の共産党活動家が逮捕される。

2月 ベルリン大学講師で神学者のディートリヒ・ボンヘッファー、ラジオ放送でナチ党の「指導者原理」を批判。放送は強制的に中断される。ボンヘッファーは、後にヒトラー暗殺計画に連座し絞首刑となる。

3月3日 総選挙実施。共産党は非合法化され、すべての宣伝手段を奪われたにもかかわらず81議席を獲得。

3月 共産党のテールマン議長が逮捕される。11年にわたる拘束の後、44年8月に処刑。3月末までにプロイセンだけで1万人以上が逮捕される。

4月 ゲーリング、航空省内に「調査局」を設置。電話盗聴を専門とする機関。後に「赤い楽団」の根城となる。

5月 ナチが労働組合の建物を接収。

6月 ナチ、ドイツ社会民主党の活動を禁止。指導部(Sopade)はプラハで運動を開始。(38年にパリへ、40年にロンドンへ移転)

7月 職業官吏再建法が制定される。ユダヤ人の公職からの追放を目的とする。教会にもいわゆる「アーリア条項」が適用される。この後、教会内部で親ナチ派の「ドイツ的キリスト者」が優勢となる。

9月21日 ボンヘッファーとマルティン・ニーメラー、牧師緊急同盟を結成。後の告白教会に繋がる。ニーメラーはヒトラーの支持者だったが、教会からのユダヤ人追放政策に反対し、反ナチに転じた。


1934年

1月30日 レーム蜂起が発生。これを体制内の危機と見た共産党は抵抗運動を強化する。


4月22日 牧師緊急同盟が主体となり告白教会を結成。ロンドン赴任中のボンヘンッファーも参加する。カール・バルト起草による「バルメン宣言」が発表される。

1935年

10月 ドイツ共産党がブリュッセルで党会議を開催。①ファシズムの過小評価(左翼の過大評価をふくむ)、②社会民主党への主要打撃論の2つの誤りを自己批判。“統一戦線ないし人民戦線政府”が提起される。

 

1936年

8月 ボンヘッファー、ナチスに対する反対により、ベルリン大学から解任される。

1937年

7月 ニーメラーが逮捕される。終戦までの8年間をダッハウなどの強制収容所で暮らす。下記の詩で有名。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


10月 ブレーメン近郊デルメンホルストの共産党組織が摘発され、首謀者のヴィルヘルム・シュレールスが逮捕される。その後終戦までに49名が殺害された。

1938年

10月 ルートヴィヒ・ベック参謀本部総長が退役。反ヒトラー抵抗運動の中心人物となる。ヒトラー暗殺計画では、ベックが新政府の国家元首に就任する予定。

黒いオーケストラ: ドイツ国防軍内部の反ナチス派将校グループ。ルートヴィヒ・ベックやハンス・オスターを中心とする。その政治姿勢は決して民主主義的でも平和主義的でもなかった(ウィキペディア)。

クライザウ・グループ: 将校グループと連携する保守派グループ。モルトケ伯爵が所有するクラウザーの別荘を拠点とした。

1939年

ドイツ共産党がベルンで党会議を開催。ヒトラー後の国家を、資本主義制度を前提とする「新しい民主的共和国」と規定し,そのプログラムが作成される。

1940年

 

1941年

 

1942年

6月 ミュンヘンの「白いばら」グループ、最初の反戦ビラを配布。主要メンバーはハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショル、クリストフ・プロープスト、ヴィリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレルの3人の学生、およびクルト・フーバー教授である。

12月 ハルナック夫妻など知識人グループ、ソ連に情報を流したとして逮捕され、軍法会議で無期判決。さらにヒトラーの指示で死刑判決。50数名が処刑される。共産党スパイ説は否定されている。

42年 ハインツ・カペレが処刑される。カペレは13年生まれ。青年共産主義組織に入り、反ナチの宣伝活動を続けた。

 

1943年

2月 「白いばら」グループが摘発され、6人が死刑判決を受ける。(多くの情報あり、ここでは省略)

 

1944年

7月20日、黒いオーケストラによるヒトラー暗殺計画は失敗に終わる。ベックは逮捕されピストル自殺。

7月 事件に連座した歴史学者アドルフ=ライヒヴァイン(社民党員)も処刑される。

10月 親衛隊全国指導者ハインリッヒ・ヒムラー、「青少年の徒党撲滅」を命令。エーデルヴァイス海賊団などの反ナチス青年グループを摘発。

海賊団の一部は地下組織に合流し、脱走兵や逃げ出した戦争捕虜、他国から連行されて強制労働に従事していた人々、強制収容所から逃げ出した囚人などの支援を行う。

1945年

4月9日 ボンヘッファー、ハンス・フォン・ドホナーニ、ハンス・オスター、カナリス提督らが処刑される。