「動物は植物から分離し進化した」というのは、これまでの私にとって一種のセントラル・ドグマであった。

これまでは、なんとなくうまくそれで説明できていた。

しかし単細胞生物の世界に入ると、この確信は大きく揺らいでいる。

単細胞の世界では、他の生物を“ミトコンドリア化”することは至極普通に行われている。

生物学的ユニットとしての生体という概念が揺らぎかねない。

もう一つは単細胞生物の多様性である。こんにち我々が見ている単細胞生物は生命の発展の根幹としての単細胞生物ではない。

そういう生物があったとして、それが気が遠くなるほどの歳月を経て、状況に適応した特殊系、いわば完成形としての単細胞生物である。そこには進化だけではなく、退化、奇形化というものもふくまれている。

少なくとも、ミドリムシを単細胞生物の代表として見るような「単細胞的」な見方を捨てなければならない。

例えば、細胞としての基本的要素を持たないリケッチア、さらにハダカのDNAあるいはRNAにまで身を削ぎ落したウィルス等は、生命の起源を考える上での撹乱要素である。

それは自家栄養装置を削ぎ落した「不完全な生命」としての動物にも共通する。

今はもう少し問題を具体的に考えなければならない。

現在の生物世界は、原始的な生命から種子植物に至る生命の発展過程を、根幹と捉えなければならないだろう。

その過程で、地球環境の変化に応じてさまざまな多様な生命のあり方が出現し、枝葉として、寄生的存在として多様性を形成している。

我々はこの生命の多様性を貫く幹を見つけ出さなければならない。そしてその幹に寄り添う形で発展したもの(寄生体)としての、動物の発展史を叙述しなければならない。

こういう観点を踏まえるならば、「(単細胞的発展レベルにおいて)動物(的なもの)は植物(的なもの)から分離し、進化した」というドグマは依然として有効だろうと思うし、むしろその確信は強化されたと考えたい。