最近、韓流ドラマは歴史物づいているようだ。その一つとして「武寧王」も取り上げられているらしい。

娘の「スベクヒャン(手白香)」という人物が主人公らしいが、よく知らない。

ただ、日本の古代史を語る上で、武寧王は決定的な人物の一人だ。なぜ決定的かというと、彼の墓が発見され、その墓碑銘に生没年が記されていた。それが日本書紀の記載とまったく一致するからだ。

これにより、この前後の日本書紀の記載が、その年月日もふくめて正確であることが立証されたといえる。「〇〇天皇の御代」というのだけ余分な付け足しだが、これは百済本紀の忠実な写しであろうと思われる。

彼の前半生は倭王武の治世と一致するし、その没年は磐井の乱の直前となる。

とすれば、日本書紀の磐井の乱の記載も(文体的に一貫しているならば)、そのまま信じて良いことになる。


まずは百済王の系図をウィキペディアより転載する。

Baekje-monarchs(20-26).PNG

ただし、この系図は日本書紀の記載とはだいぶ異なる。我々にとってはどうでもよいことだが、日本書紀の忠実性の例証となっているので、少し紹介しておく。

『日本書紀』雄略天皇紀では、「蓋鹵王の弟の軍君昆伎王の子」とある。

武烈天皇紀では「東城王の異母兄の混支王子の子」となっている。流石に気が引けたか、「東城王の異母兄というのは不詳であり、蓋鹵王の子であろう」と注釈を加えている。

ただ日本書紀がいい加減というわけではない。著者は「百済新撰」からの引用と断るほどに忠実であり、その上で本紀との矛盾を説明しようとしているからだ。

日本書紀は200年前のことを書いているのであって、しかも百済から持ち込んだ本紀と新撰を脇において参照しながら書いていることになる。そのうえで、両者の異同を「どちらが正しいか」ではなく、「結構いい加減だよ」と断じているのだから、そこには真実味がある。

さらに後世の書である「三国史記」よりは、はるかに信頼が置けるものであろう。

だから、三国史記と日本書紀に異同が生じた場合は、「むしろ日本書紀をとれ」ということになる。これはだいじなポイントだと思う。