福井地裁の判決は、あらためて読み直すとかなり難しい。文章の問題だけではなく、論理展開がちょっと跳んでいるところがある。

とくに後半のところは少し補足的な解説が必要だと思う。

「万が一」論の中身

C) 「新規制基準に求められるべき合理性」の箇所では、最高裁「伊方判決」を根拠にしながら、「万が一」論が展開されている。

「伊方判決」の趣旨は、当該原子炉施設の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす等の深刻な災害が万が一にも起こらないようにすること。そのため、原発設備の安全性につき十分な審査を行わせることにある。

そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもない といえるような厳格な内容を備えていることである。

万が一論は2つの内容を含んでいることが分かる。すなわち万が一の天変地異が起こりうることを前提にして、

1.万が一の天変地異が起きても、万が一の事故が起こらないようにする手立て

2.万が一の事故が起きても、それを深刻な災害としないための厳格な安全基準

を求めるものである。

この「万が一」論は一般的な議論ではなく、判決を踏まえた議論であり、伊方判決なるものの理解が必要である。

伊方判決の概要

伊方判決というのは、平成4年(1993年)10月29日に最高裁判所第一小法廷にて発せられた判決である。もう23年も前のバブル期のものだ。私は知らなかった。

事件名は「伊方発電所原子炉設置許可処分取消」と称される。つまり住民原告が伊方原発の設置禁止をもとめた訴訟である。最初の訴えは1973年のことだ。もう42年も前、私が大学を卒業して北海道勤医協に就職した年だ。

訴えの内容は、設置許可の際、原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だというもの。

78年に一審判決、84年に二審、その後最高裁に上告されていた。一審判決に関しては小出さんが語気鋭く批判している。ただ訴訟が成立したこと自体が、原告適格性(住民の公訴権)の承認という意義を持つことは留意されるべきであろう。

ウィキペディアに判決要旨が紹介されている。関連箇所?を拾ってみる。

1.裁判所は政府委員会が出した「安全性に関する判断」の適否を審理・判断する。(…ことができる)

2.判断に不合理な点があれば、原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。(…ことができる)

3.原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、行政庁がみずからの判断に不合理な点のないことを立証する必要がある。

4.(もし立証を怠れば)行政庁の判断が不合理であることが、事実上推認される。

ということで、ここには「万が一論」は登場していない。あまり注目されていなかったのかもしれない。

判例倉庫には判決全文が載せられている。

ここに以下のクダリがあった。

原子炉設置許可の基準として、右のように定められた趣旨は、

①原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料と して使用する装置であり、

②その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、

③原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、

A 当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、

B 周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがある

以上①~③にかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため(努力しなければならない)

(このことは)原子炉設置許可の段階で、

①原子炉を設置しようとする者の右技術的能力

②並びに申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性

につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される。

「技術的能力」というのは、万が一にも壊れない原子炉そのものの安全性であり、施設の位置、構造、設備の安全性というのは原子炉が損傷を受けても重大な事態に至らないための周辺的安全対策である。

これが福井地裁判決の法的根拠を形成しているのである。

ということで、結果的には原告側敗訴でったが、重要な前進があったのである。それが「万が一論」である。