4月5日、翁長知事が沖縄を訪れた菅官房長官と会見した。以下の発言はおそらく直後の共同記者会見での冒頭発言だろうと思う。
赤旗にその「要旨」が載っているが、要約とはいえほとんど全文に近い。いっそのこと、琉球新報で全文を見たほうが良いだろう。
文章をご覧になれば分かるように、翁長知事が一番頭に来ているのが、菅長官の「粛々と」発言だ。これだけ法政大学の同窓から言われれば、もう「粛々と」とは言えないだろう。それが今度の会談の最大の成果だ。
リンクだけ張っておこうと思ったが、いずれ消えてしまうので、転載しておく。
翁長知事冒頭発言全文 (聞かせどころのみ抜粋)
「国を守る覚悟」はどれほどか…沖縄は全国の面積のたった0・6%だ。そこに74%の米軍専用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた。それは自負でもあり、無念さもある。
…(菅長官が)どんなに忙しかったかは分からないが、 こういった形で話をする中で、「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったと思う。
…たった1県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて、「日本の国を守るんだ」と言っても、よその国から見るとその覚悟がどれほどだろうかと思う。
…オスプレイが本土で訓練する話もあったが、残念ながら「基幹基地」を本土に持って行くという話はない。だから、「訓練をしていずれ全て沖縄に戻ってくるのではないか」、そういう危惧は、今日までの70年間の歴史から十二分に感じられる。不安がある。
政治の堕落だ
今日まで沖縄県が自ら基地を提供したことはない ということを強調しておきたい。
基地は全て取り上げられたものだ。戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで強制接収されたものだ。普天間飛行場も、それ以外の取り沙汰される飛行場も基地も全部だ。
米国民政府は、1953年4月に土地収用令を発令。立退きを拒否する住民を銃剣でおどし、ブルドーザーで建物をこわして土地の強制収用を行った。ンター |
「お前たち、代替案を持ってるのか」と。
「日本の安全保障はどう 考えているんだ」と。
「沖縄県のことも考えているのか」と。
こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか。
日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。
あの「万歳三唱」は何だったのか
この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれぐらい頑張ってこられたかということの検証をしてほしい。
…一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の祝典があった。
「日本の独立を祝うんだ」という、「若者に夢と希望を与えるんだ」という話があった。
しかし沖縄にとっては、その日は日本と切り離された悲しい日だ。
そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、「沖縄に対する思いはないのではないか」と率直に思う。
…27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出された。そして、その27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。
…その27年間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金受けて日本に通った。あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと思い出される。
「粛々」という言葉が想起するもの
官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。
それはサンフラ ンシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた、かつての沖縄を思い起こさせる。その時の最高の権力者だったキャラウェイ高等弁務官は言った。「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だと。
ポール・W・キャラウェイ(Paul W Caraway)
右は西銘那覇市長
1963年3月5日、那覇市の金門クラブ月例会で、「沖縄住民による自治は神話に過ぎない」と発言し、住民らによる自治を認めなかった(ウィキペディア) |
官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、何となくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。
プライスさんという人がきて、強制接収された土地を強制買い上げしようとした。
1956(昭和31)年6月9日、下院軍事委員会特別分科委員会のプライス委員長が沖縄の基地、軍用地問題に関する「プライス勧告」を発表。 |
とても貧
しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金がほしかったが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。そうやって今、私たちは自分たちの手に基地(の土地)を残している。
このような自治権獲得の歴史を私達は持っている。だから「粛々」という言葉には決して脅かされない。そう思ってい
る。
責任はあげて政府にある
上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していく。私は辺野古の新基地は絶対に建設できないという確信を持っている。
こういう県民のパワーには、私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっている。そして私たち一人一人の生きざまになっている。
菅官房長官の言うように計画が「粛々」と進められるとすれば、その計画のもとで建設することは絶対にできない。「不可能になるだろうな」と私は思う。
建設途中で頓挫することになれば、その後に起こり得る事態は全て政府の責任だ。
世界が注目している。そして「日本の民主主義国家としての成熟度」が多くの国に見透かされてしまう。
辺野古がダメなら、普天間は固定化される?
2003年にラムズフェルド国防長官が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言した。官房長官は県民を洗脳するかのように言う。「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」だと。
官房長官にお伺いしたい。「辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定化されるのか」
ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか、ここを聞かせていただきたい。
「沖縄の負担が減る」というのはまやかしだ
一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に聞いた。
普天間が返還され、辺野古に行って(面積が)4分の1になる、嘉手納以南の相当数が返されるという。「それで、どれだけ基地は減るのか」と。
答えは「変わらない」ということ。今の73・8%から73・1%にしか変わらない。0・7%だ。
なぜか。那覇軍港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから、4分の1の所に行こうがどうしようが0・7%だ。
官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」「なかなかやるじゃないか」と思うかもしれないけれど、話はそういうことだ。
安部総理への率直な疑問
安倍総理は「日本を取り戻す」と言っている。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか、率直な疑問だ。
「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームを死守せよ 」と言われている感じがする。沖縄だけが「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。
選挙で示された「県民の民意」は一つだ
菅官房長官は「沖縄県民の民意」を語った。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)いろいろあるでしょう」という話だ。
それは違う。沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審 判だった。私と前知事の政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。
10万票差で私が当選したということは、もろもろの政策によるものではない。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示されたのだと思っている。ここをぜひ理解してほしい。
県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと私は思っている。
コメント