90歳以上の超高齢者で、徐々にと言うか比較的急速にというか、とにかく食べなくなる人がいる。口に食べ物を入れても拒否するというのでなく、とにかく咀嚼しないし嚥下もしない。

一日中傾眠状態もしくは閉眼状態で、体を動かそうとしない。反応はないわけではない。意識障害というのでもない。

こうなったら普通は「いよいよお迎えがきたか、眠るが如き大往生」ということで済ますのが普通だ。

一応点滴の1本も入れながら様子を見ることになるのだが、ここから意外にしぶといことがある。

何かそれでバランスとれているのではないか、亡くなる過程というよりは、それ自体が生きながらえるための「ライフスタイル」なのではないかという気もする。

超高齢者でそうなれば、いずれにしてもそのまま経過を見ることになるのだが、これが80代なかばだと、なにかベースにあるのではないかという考えがよぎる。

たんなる延命とは括りきれない状況となる。それなりに内科疾患があったりすると、一般病院の方にお願いすることになる。基本的に老健は看取りをやらないことになているからだ。

むかしはこういう患者が一般病棟にはゴロゴロいた。「低空飛行」といえば低空飛行だが、それが3,4週も続くと、たんなる低空飛行ではなくそれを越えた生命の有り様かもしれないと思うようになる。

それで療養型病院に送るのだが、たいていは送ってすぐ亡くなってしまう。ナース集団の落胆ぶりは印象的だった。

老健に来てみると、こういう生命の有り様は珍しいことではなく、むしろ通常のことと思うようになった。

その割には、この状態の生理学的評価は遅れている。此岸に引き戻せるものなのか、見送る他に手はないものなのかもはっきりしない。

そこで冬眠と低体温症の本質的違いを勉強して、その足がかりになるものを探してみることにする。

以下は次項で。