「欲求」を巡ってオディッセイを続けてきたが、そろそろ一度まとめておかないと、ほんとうに漂流してしまう。

とりあえず結論めいたものを述べておくと、「欲求」というのは動物の持つ能動性の表現であり、とくに高等動物においては、その能動性の意識形態における表現であるということが出来る。

それは自然科学的には脳の持つ自発性に由来する。だから比喩的に言えば「脳が欲する」のである。

そのように欲求を定義すると、飢えと欠乏にもとづく生存への欲求が、欲求といえるのか、少なくとも欲求を代表するものなのかという点ではきわめて疑わしくなってくる。

むしろ、“ものに固着した特殊な欲求形態”として、物質欲はとらえるべきではないだろうか。

だから、ヘラーが欲求を物質的欲求と社会的欲求に二分することには抵抗を覚えるのである。

たしかに現象的にはそうであるかもしれないが、それは歴史的な制約がそうさせているだけなのではないだろうか。

経済学は生活をあつかう。哲学は扱わない。だから以上のような限定をつけたうえで、「強いられた欲求」だけを取り扱うのもしかたのないことかもしれない。

そのことを前提した上で欲求を取り扱うべきである。同時に欲求そのものには、はるかに広い世界があることも念頭に置きながら議論すべきであろう。