例によって酒飲み話である。

1.小脳と「対話的知能」

ひとつは、どうも人間の知能は対話型知能ではないかということである。

最近、“AI”が話題になることが多く、コンピュータがどんどん進歩して、とくに記憶装置がクラウドと言うまでに大容量化した。ある意味では人間の脳にはかなわないほどに進歩してきている。

そのことによって逆に明らかになったのは、入力こそが知能にとって決定的であり、たとえコンピュータが一を聞いて十を知るとしても、その一を入れるのは人間だということである。

その一というのは、人間の欲望である。

ただこれを形而上学的に考えてはいけない。人間の脳そのものにそういう構造があるのである。

人間における“AI”部分、それは小脳だろうと思う。

人間の日常活動における判断とか精密なルーチンワークはほとんど小脳がやっているのではないか。

今のところ小脳はブラックボックスに近いので「協調運動」だとか「動的平衡」だとかのトリビアルな機能にのみ集中している。話はもっぱら頭頂葉の感覚・運動結合とか、側頭葉の言語機能に行っている。

しかしこれらの機能は実は小脳ですべてまかなっている可能性がある。

小脳は4,5回の反復練習でこれらのスキルをすべてパターン化してルーチンにしてしまう。もっとも成功体験の反復という条件付きだが…

とにかく、小脳にはすごい力があって、頭の善し悪しはかなり小脳の能力に関わっているような気がする。理数系の人だ。

ご承知のように、小脳はまだまだ全然分かっていない脳だ。ウィキペディアで小脳の項目を見ただけでうんざりする。まさに「群盲象を撫でる」のたぐいだ。

おそらく人間の判断と行動は大脳と小脳の対話の中で生まれてくるのだろうと思う。小脳の研究が今後進んでいくと、この関係が浮かび上がってくるのではないか。そんな予感がする。

2.DNAが脳の働きを規定する

もう一つは、人間の英知とか判断とか言うもののかなりは、実は叡智というよりはジェネティックに規定されているのではないかということである。

確かに場面・場面では個別の判断を必要とするし、そこに個性というものが介在するではあろうが、基本的には人の一生というのは、そもそもプログラムされているのではなかろうか。それは我々が思っている以上に広範囲かつ高度な領域にまで及んでいるのではないだろうか、という考えである。

こちらは小脳以上に未開拓の分野である。うかつに物が言える状況ではない。密かにそのことに確信は持ちつつも、できるだけこの仮定に頼らないで立論していく必要がある。

DNA規定論みたいな議論には断固として立ち向かわなければならない。「分かったようなことを言うな。わからないことに謙虚であれ!」と反論しなければならないのである。唯物論者は「タダモノ」論者であってはならないのである。