ということで、概略を観察した後、最初の疑問に戻る。

「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」というのが何を意味するかだ。

結局のところ良くわからない。

ルネサンスというのは美術だけで見れば、幅広くとっても1480年から1530年までの50年間だ。

このあいだにダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロという三羽烏が踵を接して登場する。ボッティチェルリというのはそれよりちょっと前の人だが、生前はそれほどの人気はなかったらしい。

なぜミラノ、フィレンツェ、ローマといった町が文化の華を開かせたのかは良くわからない。全体としては一方で東ローマが滅びでオスマントルコがヒタヒタと押し寄せていた時代だ。さほどのんきな時代ではない。

一方ではスペインがレコンキスタを完成し、キリスト教原理主義ともいうべき立場を強めた。これはオスマントルコへの危機感と重なっているだろう。

スペインは新大陸を発見し、莫大な富を背景に神聖ローマ帝国を動かし、カトリックの復権を目指した。

こういう大状況のもとで、先ほどの三都市にヴェネツィア、ジェノバを加えた諸都市が、つばぜり合いを繰り返しながらも、自治を維持していく機転がわからない。そういえばマキャベリもこの頃の人だ。

維持するどころか、空前の富をかき集め、画工を手元に置き巨大な壁画を描かせるなど贅を尽くしている。これはどうも腑に落ちない。

それで三本柱だが、もっとも若いラファエロがいろんな画家のイイトコどりをして、ルネサンス絵画を集大成したようだ。

彼は大勢の画工を雇って大量の絵をばらまいたようだ。いわば「ルネサンス絵画工場」が出来上がり、スタイルが確立されたといえる。

それで、ヴェネツィア派の話だが、その中心人物であるティツィアーノは、このフィレンツェ、ローマの栄華が終わりを迎えた頃に活動を開始している。 いわばラファエロが集大成し確立したフィレンツェ・ローマのスタイルに抵抗することなしに、自らの立場を押し出すことはできなかった。

これが「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」ということらしい。

ティツィアーノというページ にはこう書いてある。

16世紀、ヴェネツィア派、最大の画家。イタリアのフィレンツェ・ローマとヴェネツィアの対立はそのまま、「ミケランジェロ、ラファエロの素描」と「ティツィアーノの色彩」という対立であった。

ティツィアーノは相当長生きをした人らしく、それから50年位活動している。

私の好きなカラバッジョが出てくるのは、さらに先のことになる