言葉としての「欲求」

最初に言葉の問題から言うと、欲求というのを動詞としてとらえるか名詞としてとらえるかがややこしい。

動詞としてとらえるなら、それはかなり低次の問題となる。文字通り“欲しいなと思って求める”行動である。犬でも猫でも欲求する。

もうちょっと高級になると、それらの行動の積み重ねの中から生まれてくる感情なり意識を指すことになる。

すぐ求めて行動に移るわけではないが、「ほしいな」と思う気持ちが「願望」として心の中に持続することを意味する。ただ、これだって犬や猫にもないわけじゃない。

さらに進めば、そういう心持ちを客観化して自発的な欲望として育てていこうとする意識も生まれてくる。欲望をソフィストケートして持続的・主体的な意志、たとえば「希望」へとつなげていく機転である。

このように欲求は、高次化すればするほど、具体的な動作を離れて「名詞化」されていくことになる。