「自然的欲求」と「必要な欲求」

人間の欲求には二通りある。生物としての人間が生きていくための欲求と、それに付け加えられた人間らしい社会的・文化的欲求である。

ヘラーは、この分類と特徴付けがマルクスにあっては揺れていると指摘する。

最初に引用するのが資本論の一節。

食物、衣服、暖房、住居などのような自然的欲求それ自体は、土地の気候やその他の自然的特質に応じてそれぞれに異なる。

他方、“いわゆる必要な欲求”の範囲は、その充足のさせ方と同様、それ自体が歴史的産物であるから、ほとんど土地の文化段階に左右される。

“いわゆる必要な欲求”は、とりわけまた、“自由な労働者階級”がいかなる条件のもとに形成されたかに左右される。したがって、彼らがいかなる主観や生活欲求をもって形成されてきたかに本質的に左右される。

これは労働力商品のコストを論じるところで、その必要に応じて言及されたものだ。必ずしも本質的な規定ではない。しかし有名だからという理由で、ヘラーはここから出発する。

最初から嫌な予感だ。

この文章から分かるのは、マルクスが欲求についての弁証法的理解に至っていないということである。資本論に至ってもなお弁証法的理解に至っていないとすれば、彼は生涯、欲求というものを理解していなかったかのようにも見える。

しかし彼は明らかに資本論執筆の段階で、哲学を捨象している。それは57年草稿との違いを見れば明らかだ。

だから、資本論のみで彼の欲求に対する理解を判定するのは間違いだろうと思う。