ヘラーの最初の問題意識は、欲求の体系というのは「非経済学的」なカテゴリーではないかというものである。

なるほど経済学は「需要」をあつかうが、需要というものは欲求そのものだろうか、それはある意味で「欠乏」にもとづく欲望であり、充足されれば消えてしまうものである。

資本の側は意図的に欠乏感を創りださなければならない。この“創りだされた欠乏に基づく欲求”は真の欲求だのだろうか。

疎外された欲求

ヘラーはこれを「疎外された欲求」と呼ぶ。そしていくつかのサブカテゴリーに分ける。

1.資本主義を一方において成り立たせている資本の価値増殖欲

2.分業によって生じ、分業によって押し付けられる欲求体系

3.交換の場としての市場における欲求(いわゆる需要)

4.欲求の制限と生活必需品への限定(庶民の欲求の矮小化)

5.メディアなどを通じた欲求の操作

これに対し、「マルクスは疎外されない本来の欲求のあり方とその体系を提示している」とヘラーは述べ、さまざまな部分の引用を行っている。

こういう問題意識に基づいてヘラーは議論を始動するのだが、かなりの悪戦苦闘であり、それに付き合う読者も相当しんどい思いをさせられることになる。