すみません。引用というには少々長すぎるのですが、面白い文章があったので転載させていただきます。

研究ノート

洪世和著 米津篤八訳 『コレアン・ドライバーは、パリで眠らない』

猪股 正贋

という文章の中の一節です。

『私はパリのタクシー運転 手』 ã

をクリックすると出てきます。


ある時、祖父がわたしに話した。

書堂の先生が三兄弟を教えていた。ある日先生は三兄弟に将来の希望を順に言わせた。

長兄が大きくなったら大臣になりたいと言うと、先生は満足した表情で、それはよいと賛成した。

次兄は大きくなったら将軍になりたいと言った。先生はやはり満足した表情で、それはよい、男は大志を持たねばならんと言った。

末っ子に聞くと、ちょっと考えてから、将来の希望はさておき、大の糞が三つあったらよいのにと答えた。

表情を曇らせた先生が、なぜかと尋ねると、末っ子が言うには、自分より本を読むのが嫌いな長兄が大臣になりたいなどと大口をたたくので、大の糞を1つ食わせてやりたい、

また自分より臆病な次兄が将軍になるといって大口をたたくので、犬の糞を1つ食わせてやりたい…

そこまで言った末っ子が口ごもると、先生が顔を歪ませながら、声を張りあげた。では、最後の一つは、と。

ここまで話した祖父は、わたしに、その末っ子が何と言ったと思うかと尋ねる。

「そりゃ、先生に食べろと言ったんでしょ」

「なぜだ」

「そりゃ一番上の兄さんと二番目の兄さんのでたらめな話しを聞いて喜んだからでしょ」

「そうだ。お前の言うとおりだ。お話はそこで終わりだ。どころで、お前がその末っ子だったとすれば、書堂の先生にそのように言えるかな」

幼い私はそのとき、言える、と大声で言った。するとハラボジは、こう言った。「世和や。お前がこれから、いま言ったとおりにできなくなったら、三つ目の大の糞はお前が食わなければならないということを、忘れてはならんぞ」

私は成長していくうちに、三つ目の大の糞を私が食わなければならないということを、しばしば認めなければならなかった。

洪世和


洪世和に関しては

2014年03月17日  

2012年01月09日

をご参照ください。