酒が入っているから話はとりとめない。

なんで内部留保が積み上がるのか。不安感がそうさせるのか、

私は「人間、貯めるのが好きだから」というのがあると思う。

人間というが、人間ばかりじゃない。犬だって下駄とかボールだとかなにか訳のわからないものを床下に集めるものだ。そういえば、猫はあまり貯めないかな。

私も子供の頃から考えると、ずいぶんの収集マニアだ。まずはお定まりの野球選手のブロマイド。集めたブロマイドをグループ分けしたりしたものだ。欲しければ人のものまでくすねた。それがバレてボコボコにされたこともある。

次が切手、これはさすがに金券だからそうは集まらない。親戚の土蔵に忍び込んで、昔の手紙から切手を剥がしたこともある。これもおやじからしこたま殴られた。

記念切手の販売日は郵便局の前に並んだ。どういうわけか買ってから10分位走り続けると、学校に間に合った。あれは「ご成婚記念」だったかな。たまに遅れることもあるから、先生からげんこつを頂戴することになるが、「知ってるぞ、あんたも切手マニアだろう」と腹の中でつぶやいていた。たしかにいつものげんこつよりちょっとソフトだった。

月と雁もあった。ビードロは2枚もあった。切手のカタログ本を見て、何時間も過ごした。子供ができたのでくれてやろうと思って、実家の本棚や机を引っ掻き回したが出てこない。時価何万円かなぁと思うが結局パァだ。

これは実に教訓的だ。やっているうちに、集めることが自己目的になるのだ。そこから先がない。

お金も収集対象としては実に魅力的だ。実際コインも集めたことがある。しかしこれは趣味としてはちょっと卑しいところがあり、あまりのめり込むところまでは行かなかった。

貯金通帳に貯まるお金が趣味という事にはならなかった。ただ収集家というのは基本的にはけちであるから、それを使うことには身を切られるような痛みを感じる。


それでもって、内部留保の話に戻るのだが、こういう貯めこみ根性は企業家精神とは著しく背馳するのである。

経営というのはゲームみたいなものだから、お金は回していかなければならないのである。もちろん倹約精神も大事だが、それは家政の問題だ。旺盛な企業精神とは別の世界である。

麻雀だってトランプだって、引いたら捨てなければならない。誰か一人が貯めこんだら、ゲームが成り立たなくなる.

人間社会というのも、ゲゼルシャフトリッヒに見れば、ゲームの世界みたいなもので、二つの掟があるのだ。ひとつはカードは回っていなければならなということであり、ひとつは一人勝ちになってはいけないということだ。

いまはこのゲームが回らなくなってきている。完全に回らなくなった時、ゲームは終了し、この世は暗転するのではないだろうか。

それを防ぐには、みんなが収集癖を自制しなければダメだろう。ましてや収集癖が高じて社会的理性を失うようになってはいけない。

そこを、もう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。