7世紀の年表(3月5日 改訂)

まず年表を作ってみて、ネット情報で増補している内に、深刻な疑問にぶつかりました。

白村江の戦いは、本当に日本にとって決定的な戦争だったのか という疑問です。

たしかに朝鮮半島にとっては決定的な転機となっていますが、それはすでに661年の百済の滅亡によって基本的には済んでいる話ではないでしょうか。

その残党が散発的に抵抗を続けていたが、それも最終的に白村江で根絶やしにされたということではないでしょうか。

もちろん白村江の戦いに日本軍が参加したことは事実でしょうが、どれだけ本気だったかは疑問です。

一般的に考えて、すでに百済は滅亡しているわけで、そこに中国と正面対決をしてまで首を突っ込むのは、誰が考えても不適切です。

もう一つは日本軍の軍勢が誇大宣伝ではないでしょうか。日本書紀に書いてある通りの軍勢が上陸していれば、もう少し戦況に変化があってしかるべきです。三国史記や唐書を見る限り、そのような気配は感じられません。

このような誇大宣伝、ないし虚偽の大軍の記載は、6世紀の半ば頃から何度となく日本書紀に現れてきます。しかしそれを裏付けるような朝鮮側文書の記載は認められません。

もう一つ、将軍連の中に上毛の君とか筑紫の君とかが出てきますが、このような位階が660年にまだ存在していたのでしょうか。

ということで、怪しげな記載は全部削除することにしました。使いを送ったことについては残し、使いを受け入れたことについては削除します。(向こう側に対応事実があれば残す)