世の奥様方は、毎日、今夜のおかずは何にしようかと悩んでいるらしい。
幸か不幸か、我が家の嫁さんはそういう悩みから解放されている。
その代わり、その悩みは私に降りかかり、「今夜はどの弁当を買うか」と悩むことになった。
嫌いなものなら「今夜はおなかがいっぱい」と蹴飛ばされる。それを私が食べる。
マリー・アントワネットではないが、ご飯がダメならお菓子があるのだ。
最初は老健で入居者向けの夕食を弁当に詰めてもらっていた。残食率は5割を超えていた。野菜の煮付けはほぼ100%、煮魚・焼き魚も手を付けない。
保健所で保健婦として栄養指導していた、あれはみんな嘘だったのか。女は率直だ。何のてらいもなく平気で嘘をつく。ウソをついているという意識がないからだ。
安部首相もそうだ。「女の腐ったようなやつだ」という形容詞がこれ程似合う人間もいない。

本日「玉藤のトンカツ」を買ってきて食わせた。食わせておいて私が飲みに行くためである。帰ってきたら顔を輝かせていかにうまかったかをしゃべり始める。
「筋がなくて、噛み切れる」のがまず気に入ったらしい。そしてとっておきの褒め言葉「ジューシー!」だ。さらにパン粉がサクサクで柔らかくて、ソースがコクがあって、キャベツまでカットがいいと褒めまくりだ。
諸君、これははじまりだ。予感がするだろう。今までスーパーで買ってきたカツがいかにひどいかをくさす一大シリーズのはじまりだ。
幸いなことに、構音障害のせいでほとんど言っていることはわからないから、適当に相槌を打ちながら、むかしのことを思い出し始める。

むかし、食堂のショーウィンドウには丼の見本がならんでいた。
天丼、カツ丼、うな丼、親子丼が定番だった。
親に連れられて食堂に入っても、それらを注文するのはタブーだった。それらは展示ダナの一番上にあって、その下にカレーライスやラーメンやオムライスがならんでいた。私が口にしたのは二段目だが、それでも十分うれしかった。

多分、肉というより、パン粉を油で揚げること自体が、目のくらむようなごちそうだったのだろうと思う。中学に入ってから、はんぺんや魚肉ソーセージやイカゲソやとにかく中身は何でも、フライになったら何でも食べた、美味しかった。

大学に入ってからトンカツと称するものは食べたが、トンカツの名に値するものだったかどうかは大いに疑問が残る。
トンカツというからには厚みがなくてはならない。しかし学生の頃食べたトンカツは、断面を見れば下のコロモ1/3,肉1/3,上の衣1/3という構成だった。あえて言えば、それは「豚肉フライ」ではなかったのか。
このコロモに十分行き渡るほど“とんかつソース”をかけて食った。それでもうまかった。トンカツが美味かったというより、“とんかつソース”が美味かったのかもしれない。
いまだにウスターソースには馴染めない。“貧乏”の味がする。

実は、いつ初めて正真正銘のトンカツを食ったのか記憶に無い。卒業してからだろうが、トンカツとしてではなくサテメシでカツカレーとして食ったのが最初ではないかと思う。
高度成長の波に乗って、いつの間にかカツカレーにトッピングされたカツが厚くなってきたように思われる。それは茨木のり子が「自分のけじめくらい自分でつけろ、このバカモノ」と叫んだ頃かもしれない。そう思うとなにか慙愧の念に耐えない。

嫁さんは玉藤のトンカツを食って感激した。それはだいじなことだ。玉藤のトンカツを食って感激する気分は残していかなければならないのだろうと思う。

もっとお金持ちは、トンカツでなくてなんとか牛のステーキを平気で食っている。金のあるなしではなく生まれた年の刻印を背負った人間として、なにかステーキには手が出ない。そこまで行っちゃったんじゃ、親に申し訳が立たない。

嫁さんは、トンカツに厚さだけではなく柔らかさとジューシーさを求めるが、それは私より一世代下っているからだろう。私には分厚いトンカツだけでも恐れ多いのである。