植村さん励ます会に参加しました。その時に配られたタイムテーブルがあります。

A4裏表に、かなり細かく経過が記載されていますが、ちょっと読みにくいので、事実問題に絞って、端折って転載します。

と言いつつ、やはり書き足したくなるので、ネットから情報を拾って追加。

1.記事の掲載の経過

植村隆さんは1958年生まれ、1982年に朝日新聞に入社している。

1991年8月、当時朝日新聞の大阪本社勤務だった植村さんは、ソウル支局から慰安婦の一人(金学順さん)が体験を証言したという情報を得た。上村さんはソウルで取材の上、署名入り記事を掲載した。同じ記事は翌日全国版にも掲載された。この時は金さんは匿名であった。

記事によれば、「韓国挺身隊問題対策協議会」が、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した、とされる。
植村さんは延世大留学の経験があり、韓国語も堪能だったことから、取材を担当することになったものと思われる(本人談)。
妻は韓国人だが、この時点では無関係。したがって義母とも無関係。

数日して、今度は金学順さんが名乗り出て記者会見を行った。そのあと北海道新聞が金学順さんとの単独インタビューを行い。報道した。金学順さんは日本政府の提訴に踏み切った。

これ以上の取材は無理だと思い、大阪へ帰ったのです。しかし数日後、金学順さんが名前を出すことを決意した。それを北海道新聞にスクープされてしまったんです(本人談)

2.その後の植村さんの足どり

その後、植村さんは大阪本社からテヘラン支局、ソウル特派員、外報部などを歴任し、2009年から北海道報道センターで勤務した。1992年以降、朝鮮人慰安婦に関する記事はまったく書いていない。

そして朝日新聞勤務を続けながら、2012年からは北星学園大学の非常勤講師に就任している。

13年12月には、神戸松蔭女子学院大学に公募採用された。この時専任教授として雇用契約を結び、引っ越しの準備に入った。朝日新聞は退社の予定であった。

3.週刊文春による攻撃開始

集中攻撃は14年の1月末に始まった。

1992年から、西岡力氏は記事の「事実誤認」を指摘(文藝春秋)していたが、98年ころから「事実誤認」ではなく「捏造」と呼ぶようになったという。呼び変えの根拠は目下不明。(提訴状による)
西岡氏は、「植村が強制連行と書いたから捏造だ」というが「連行」としか書いてない。“強制”は西岡氏の捏造だ。(本人談)

週刊文春の2月6日号に植村さんを攻撃する記事が掲載された。見出しは「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」というもので、当初より“捏造”のレッテル貼りが行われていた。

報道の直後から松蔭には植村さんの解任をもとめるメールなどが殺到した。これを嫌った松蔭は植村さんに就任辞退を求め、話し合いの結果、3月に契約は解除された。メールに脅迫的内容があったどうかは不明。

その後、捏造攻撃には櫻井よしこ氏も加わった。彼女は各誌に論文を掲載し、さらに自らのホームページに転載。捏造との批判を繰り返した。

「櫻井よしこ植村隆と吉田清治にガチキレ!!朝日慰安婦問題でほえまくる!! 」というyoutubeがあったが、残念ながら現在は閲覧不能となっている。

4.北星への攻撃

5月初めころから、北星に植村さんの解雇をもとめるメール、電話などが本格化した。右翼は北星を次の標的とすることで意思統一したようだ。5月末には最初の脅迫文も届けられる。

週刊文春の8月14日号が植村追い出しキャンペーンの第二弾。見出しは「慰安婦火付け役、朝日新聞記者は、お嬢様大学クビで北の大地へ」とさらにえげつなさをアップした。ほぼ同時にyoutubeにも大学との問答を録音したファイルがアップされた。これは「はだしのゲン」問題で松江の教育委員会を脅した在特会のやり口(威力業務妨害)と瓜二つである。

これを機に、北星への電話やメールによる攻撃は一気にヒートアップした。

高校生の娘の顔写真がネットにさらされ、「反日活動で稼いだカネで贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」と書かれた。長男と同じクラスの同姓の子まで顔写真がさらされた。週刊誌の記者が自宅に張り付いて盗撮したり、近所に聞き込みをかけた。(本人談)

そしてついに爆弾騒動が持ち上がるのである。

9月12日、北星へ電話があった。「まだ勤務しているのか。爆弾を仕掛けてやるからな」という内容で、どこからどう見ても立派に犯罪である。

ほぼ時を同じくして、帝塚山学院大学にも脅迫状が届いた。松蔭、北星に続く第三の標的である。この大学にも朝日新聞の記者だった人がいて教授を務めていた。「止めさせないと爆破する」との脅迫を受けた教授は、その日の内に辞職した。

10月には桜井氏が週刊新潮で植村叩きの挙句に、大学攻撃を焚きつけるかのような相当際どい表現に踏み込んでいる。

年配の人なら、およそ全員が両者は別物と知っていたはずだ(“はずだ”ではすまない。捏造というからには証明しなければならない)
女子挺身隊と慰安婦を結びつける虚偽の記事を書いた植村氏は…捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける…。
教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿か…

とりあえず、上げておく。

議論のキーポイントは、年配の人なら、およそ全員が両者は別物と知っていたはずだ  というところにある。

韓国では年配の人は挺身隊イコール慰安婦と考えていたから、救援組織が「挺対協」と名乗ったのではないか?

これは誤用か否かの分かれ目だ。誤用であった言葉が慣用となり、辞書にも載るようになるというのは良くあることだ。韓国で慣用されていたのなら、誤用ではなくなる。

しかしそれは捏造か否かの分かれ目ではない。

1.挺身隊と慰安婦はそもそも別物である。

2.しかし当時の韓国では慰安婦を挺身隊と呼ぶのが一般的だった。これは世をはばかるための方便だったのかもしれない。

3.それを広義で「誤用」ととったとしても、そのことについて記者に責任はない。まして「捏造」という根拠にはならない。

4.吉田論文と結びつけるのは牽強付会であり、植村さんが吉田論文を批判していた事実と著しく背反する。

ということで、どうやら“誤認逮捕”に近い様相を呈している。右翼の諸君は相当逆ねじを食らわされることになりそうだ。

それにしても、一般市民を相手に、“誤認逮捕”であろうと“便乗攻撃”であろうと、やりたい放題のやり得で、やられる方はやられ放題の泣き寝入りというのは、法治国家としてあるまじきことだろう。

これでは文化大革命のときの紅衛兵と同じではないか。「守旧派だ!」と叫べば何でも許される状況が日本で再現されようとしている。立法・行政サイドの無作為が問われるきわめて深刻な事態だ。