1946年 アメリカ軍太平洋の島での核実験を開始。58年までにビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回の核実験を行う。

1954年3月1日3時42分 アメリカ軍、ビキニ環礁で水爆実験をおこなう。この日を皮切りに、5月まで計6回、計48メガトンの核実験が行われた。作戦名は「キャッスル作戦・ブラボー」

アメリカ軍は水素爆弾の威力を4 - 8メガトンと見積もっていたが、実際の威力は15メガトンに達した。


3.01 マーシャル諸島近海において操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」は放射性降下物に被曝。アメリカが設定した危険水域の外であった。

延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受ける。船員23名は全員被爆した。

3.01 第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していた。放射性降下物を浴びた漁船は数百隻、被爆者は2万人を越える。

3.01 漁船の乗組員の他に、ロンゲラップ島民86名、ウトリック島民157名が被爆。ロンゲリック島で実験を観測していたアメリカ兵28名も被曝した。

3月 各地で水揚げされた魚に放射能が発見される。検査は船体とマグロについて行われ、人体の検査記録は除外されていた。

3月当初、放射能に汚染されたマグロの部位は内臓やエラであったが、8月以降になると肉や骨からも放射能が検知されるようになり、特に半減期が30年と長いストロンチウム90などに汚染。「ビキニ事件の内部被ばくと福島原発被災のこれから」(山下生寿)より

4.22 米国家安全保障会議の「作戦調整委員会」 (OCB)、「水爆への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草。事件のもみ消しを図る。

1.日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする。
2.放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、病理解剖や死因の発表については日米共同で行う。
3.(そのような事態への)準備も含め、非常事態対策案を練る

5月 日本政府の調査船・俊こつ丸が第1次調査。ビキニ環礁150キロのところに最大汚染水域を発見。

海水の放射線量は7000カウントをこえ、水しぶきを浴びるだけでも危険という状態で、プランクトン(10000カウント)も魚(かつおの肝臓48000 カウント)もすべて汚染されていた。汚染海水は、深さ100メートル、幅約10キロから100キロのベルト状になってゆっくり西方に流れていた。
ビキニ事件の内部被ばくと福島原発被災のこれから」(山下生寿)より

9月23日 久保山愛吉さん(無線長)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と言い遺して死亡。日本人医師団は死因を「放射能症」と発表。米政府は「放射線が直接の原因ではない」とし、謝罪せず(現在まで)。

直接死因は急性肝機能障害であった。これは注射や輸血などで医原性にウィルス感染したと考えられる。同様の肝障害は第五福竜丸の被災者17名にも発生しており、たしかに一般被爆者に比しべらぼうな発症率である。

12月 鳩山内閣が成立。年内いっぱいでマグロの放射能検査を打ち切る。アメリカ原子力委員会の主張を受け入れたものとされる。

1955年

1月 「日本政府はアメリカ政府の責任を追及しない」確約を与え、「好意による見舞金」として、200万ドル(当時約7億2000万円)が支払われた。

見舞金は第五福竜丸だけに支払われ、一人当たり200万円に達した。他の漁船からのやっかみがあり、乗組員は仕事を離れざるを得なくなった。

8月 広島で第1回原水禁世界大会が開かれる。

1956年 旧厚生省、延べ556隻の漁船の被ばく状況調査を元に、「(第五)福竜丸以外には、特に放射能症を認められる事実のないことが明らかとなった」と通知。

5月 俊こつ丸による第2次調査。海水汚染は北赤道海域の面まで拡散。魚体内には1954年の水爆実験時の放射能が残留していた。

1958年 アメリカ、マーシャル諸島での核実験を終了。

1985年 高知県の「幡多高校生ゼミナール」(山下正寿さん指導)、ビキニで被ばくした乗組員300人を聞き取り調査。

30年を経過して多くの人が死亡。第2幸成丸は20人中生存者7名、新生丸は新生丸は19人の乗組員が保険登録されており、死亡者は14人、生存者2人、不明者3人。第5海福丸は18人中9人が病死(ガン5人)。

1986年 「幡多高校生ゼミナール」の報告を受けて、高知県ビキニ被災調査団による自主的な健康診断がおこなわれる。

2004年 放医研の明石らが第五福竜丸被爆者の追跡調査の結果を発表。

同年までに12名が死亡。肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名。肝疾患が多くを占めるのが特徴。
生存者の多くも肝機能障害があり、肝炎ウィルス検査では、A, B, C型とも陽性率が異常に高かった。

2010年 ビキニ環礁が「負の世界遺産」に指定される。ミクロネシア連邦は憲法前文に「世界はひとつの島なのだ」を掲げる。

2013年

3月 外務省が資料の一部を開示。国内向けには「ない」としながら、米国に渡していたことが明らかになる。

2014年

9月 厚生労働省からビキニで被爆した他の船体や船員にかんする文書が見つかる。

第五福竜丸以外に473隻が検査を受けた。毎分100カウント以上(最高988カウント)の放射線が乗組員から検出された船は10隻あった。

kouroushou

厚労省開示文書


2015年

2月 水産庁、被爆漁船に関する文書を発見し提出。水産庁はこれまで日本漁船の被爆記録の存在を否定し続けてきた。