勉強があっさりしたものだから、感想もあっさりとしたもの
1.ポーランドは妥協で成り立っている国
妥協と言っても「1+1/2」ではない。「ならぬ堪忍するが堪忍」ということになるが、その場合長期的視野が必ず必要だ。将来的にはこの妥協は無駄にはならないという見通しと、この妥協を無駄にはしないというしっかりした構えが必要になる。まぁ、それが活かされる場合もあるし、結局妥協に終わってしまう場合も少なからずあるとは思うが、シングル・イシューにならず総合的に見ていくことも必要だ。
それはたんなる弱者の知恵ではなく、発展期(例えば15~16世紀)においても妥協と寛容の精神が貫かれているところは見習わなければならないだろう。
2.中心国~周辺国関係の中の位置
ロンドンとパリがヨーロッパの中心であることは今も昔も変わりない。ただ経済的にはドイツに重心が移りつつあるのだが。
最初はドイツも周辺国であった。北ドイツはとくにそうであった。ポーランドはさらにその辺縁に位置づけられていた。そしてその奥に野蛮人の住む広大な土地があった。
ポーランド人はその野蛮人を征服するのではなく友好関係を結び、リトアニアと対等な同盟を結ぶことによって大きくなっていった。これはかなり商人的な発想である。そしてリトアニアはさらに東方に向けて旺盛な征服活動を続けた。
一方西方に対しては辺縁という位置をとり続けた。中心部の人口増に対応してヨーロッパの穀倉というスタンスをとり続けた。
その後モスクワに国家ができ、西方に進出してくると、「前門の虎、後門の狼」という関係になる。
このとき自分が中心から見てどれほど周辺的か、ロシアから見てどれほど中心的かの間合いを測る必要が出てくる。異なる相手との異なる形態での妥協が必要になる。
3.ポーランド王国没落の要因
これはとても難しいが、おそらく中世の没落と近代世界の出現に符丁を合わせているのであろう。プロイセンやハプスブルグの興隆と裏腹の関係にあるようだ。
基本的には農業国で、農産物の輸出で経済が成り立っていたと思われるから、欧州の農業をめぐる環境の激変があったのだろう。じゃがいもの新大陸からの導入あたりが原因なのか。
「民主主義の行き過ぎ」と書いてあるものもあるが、ナンセンスだ。
4.ポーランドがリーマン・ショックを免れた理由
これも政権の功績に帰す傾きがある(ウィキペディア)が、ナンセンスだ。
おそらくドイツの積極的投資がリセッションを上回ってもたらされたからだと思う。現に同じ時期、旧東ドイツは深刻な景気後退を経験している。ドイツの投資が旧東ドイツの頭上を通り越してポーランドへと向かったからだ。