構造主義年表を書いていて気づいたのだが、これは結局フランス共産党の没落の歴史なのではないか。
アルチュセールの項目を記述していてそう思った。
44年10月にパリが解放されたとき、フランス共産党の栄光はその頂点に達した。
フランスを代表する指揮者デゾルミエールは、共産党に指導されたレジスタンスの中心人物でもあった。彼が集会で誇らしげにインターナショナルの指揮をとっている映像がYouTubeで見ることが出来る。
ナチとビシー政権についたものはことごとくパージされた。シャネルのように汚い経歴を隠して生き延びた連中もいたが…
知識人のほとんどは共産党員かそのシンパだった。
共産党の指導者はスターリン主義者でソ連盲従主義だった。彼らはハンガリー事件もフルシチョフのスターリン批判も頬っかぶりして生き延びようとした。
ロシア人はフランスに対して強烈な文化的コンプレックスを持っているから、少々のことは大目に見た。
こうしてフランス共産党は「ソ連共産党の長女」としての地位を享受しつづけた。
共産党のシンパたちも個々の課題では多少違いがあっても、同伴者の位置を保ち続けた。
そこには公認の「弁証法的唯物論と史的唯物論」があり、足らざるところは独特に変形されたヘーゲル弁証法が補完した。ただ党の中核は労働者部隊であり、知識人には多少の“わがまま”は許されていたが。
レヴィ・ストロースの親族論は現代数学で華々しく縁取られているとはいえ、文化人類学の一論文にしか過ぎない。それが、というより彼が脚光を浴びたのは、むしろサルトル批判のためだったのではないか。
その批判は客観的に見て相当筋違いで、難癖をつけているに等しい。にも関わらずサルトルがグダグダと腰砕けになるのは、それが近代ヨーロッパ批判という衣をまとったスターリン批判だったからではないか。
ご本尊は耐えられても、同伴者にとってこの批判は致命的だ。しかもサルトルは第二のスターリンを求めて毛沢東に接近することになるわけだから、ほとんどサルトル側の自滅だ。
これが第一ラウンド。
第二ラウンドになって、本家アルチュセールが登場する。サルトルなら素人のレヴィ・ストロースでも奇襲できたが、共産党とマルクス主義を相手にするには荷が重い。
アルチュセールは構造主義の擁護者として登場し、スターリン批判をさらに徹底しようとする。そのために相当激烈な議論を展開するが、この「客観的唯物論」は弁証法の否定という重大な問題をはらんでおり、思想的な「自爆テロ」となる。
そこに持ってきてカルチェラタンが勃発する。構造主義はその無能ぶりをさらけ出す。フォイエルバッハのテーゼ、「世の中を解釈するのではなく、肝腎なことはそれを変革することだ」という議論こそ、構造主義の最も忌み嫌うところだからだ。(岡本雄一郎さんの「フランス現代思想史」の帯には「いま世界を考えるために」と書いてあるが、我々にとっては「いま世界をどうするか考えるために」であろう)
共産党はソ連の意も受けて、ドゴール体制を支持し秩序回復に動き出す。ただし、このへんの動きは日本のトロツキストへの対応と重ねあわせては困る。日本共産党はソ連や中国の共産党、要するにスターリニズムと闘いながらトロと対峙したのだ。
アルチュセールはこの時期スターリニストに回帰する。「プロレタリア独裁」も丸ごと飲み込む。ソ連のチェコ侵入も黙認する。ある意味では無残である。
結局、69年にフランスで起きたことは戦後進歩思想の崩壊である。フランス共産党は道徳的権威を失い、構造主義は現状変革への無効性を暴露され、後に思想的混沌だけが残った。
若者は仕方なしに構造主義の残滓をかき集めポストモダンを創りだした。そこには何の緊張感もなくただ言葉だけが踊った。フォークソングがニューミュージックに変わっていくようなものだ。歌には世界各国の洒落た和音やコードが付けられ、洗練されていくが、曲の意味はますます失われていく。
そして最後にはその無内容さが暴露され一巻の終わりとなる。
こんな感じかな。