以下の記事はルモンド・ディプロマティーク(英語版)の2月5日付の記事。フランス人特有の癖があって、ちょいとうざったい。

参考までにウィキペディアから支持率の推移図を転載しておく。



「5月15日」からポデモスへ

2011年5月15日、国際報道機関がlos indignadosとしてに紹介した何十万人ものデモ参加者は、プエルタ・デル・ソール広場(マドリード)にあつまり、銀行の完全な支配する経済と、民主主義のに対してノーを突きつけた。

彼らは組織や政党の旗、しるしとスピーチを拒否した。そして、スローガンを持った。

「連合した人々は政党を必要としない」

広場は、もはや占拠されていない。

変化に対する欲求は残るが、意外にも新しい政党「ポデモス」(我々には可能だ)のまわりでできた。

ヨーロッパ中の大部分の政党が不評であるのに、ポデモスは先例のない成功を持っている。

「それは、信じるのが難しい」と、ポデモス幹部のパブロ・エチェニクが最近話した。

直接民主主義から政党結成へ

「我々の政党は、2014年1月につくられた。5ヵ月のあと、我々はEU選挙で8%の投票を得た。今日、全ての投票は我々が国での最大の政治的な勢力であることをしめしている。

ポデモスのリーダーは、世論調査と選挙が同じものでないということを知っている。

1月の選挙は、社会主義労働者党と人民党より前にポデモスを置いた。

総選挙(それは、2015年12月20日までに持たれなければならない)でのポデモス勝利の可能性は依然として確かなことだ。

ポデモスの創設は 「5月15日」運動が政治の社会運動に基づく概念に閉じ込もっていたことに端を発する。と、社会学者ホルヘ・ラーゴ(ポデモス幹部)はいう。

「デモ参加者の強さの建設が必然的に政治的な結果をもたらすだろうという考えは、間違っていることがわかった。

入居者追い立てと闘う会と、医療セクターの切り捨てに対する抵抗ネットワークは確立された。しかし運動は蒸気が尽きて、ばらばらになっていった。

投票行動に対する失望もあった。

80%の人々は運動に同意すると言った。しかし、彼らは同じ古い方法で投票し続けた。そして保守党は2011年11月の総選挙で地すべりに勝った。

それは、ポデモス創設者に質問を投げかけた。

15-Mに同情した人は何を代弁して欲しかったのか。それは今でもそうなのか? そして、国家の装置を使うとしたら、それは社会変化のために必要な条件なのか?

「5月」の精神

プエルタ・デルソールの運動は直接民主主義に基づいていた。しかしポデモスは「5月の精神」の相続人でありたい。とくに大衆への依拠、透明度と集団的意思決定についてだ。

同時に、そのメンバーは全ての古い垂直政治的な構造を廃止するというところに、罠の一部を認めた。

昨年10月政党の最初の会議で、エチェニクは脱集権化と党の平らな構造、柔軟性を増すべきだとする動議を提出した。

パブロ・イグレシアス(ポデモス指導者)は、「運動の目的を達成することは、組織の内部議論にあまり熱中しないことを意味する」と答え、動議を拒否した。

彼は、地すべり的に勝った。

「M-15」の最も熱心な支持者にとって、これは自治の裏切りのように聞こえた

新党は、もはやシステムの自発的な手先でしかないだろう。

「ポデモスは、社会エネルギーを伝達する方法として、また大規模な実験のプロセスとして起こった」とバルセロナ活動家Nuria Alabaoは言う。

「イグレシアスの側近グループは、ポデモスが15Mの運動を包含するのではなく、闘いを進める新しい方法を提供したのだ」

腐敗は構造的である

ポデモスが敵対するのは「カースト」と言う国のエリートである。

スペインでの横領のレベルは、フランスをさえ高潔に見えさせる。

ほぼ2,000の横領事件が公式の調査のもとにある。少なくとも500人の高級公務員が横領に関係していると推定され、年間の被害総額は400億ユーロ(5兆円)に達する。

主な政党は与党の右翼の国民党(PP)とPSOE(社会主義労働党)である。彼らは「違法な献金を受けた個人の法的責任の制限」について同意を結んでいる。そして政党が法的限度を超えて利益を得ることを可能にしている

長い間不可触とされた王室さえ例外ではない。新しい王の妹(Infanta Cristina De Borbon)のスキャンダルがそれを示している。

35の最大の会社のうちの33が子会社を通してタックスヘイブンで税を避ける。これに対し失業者の半分は何の支援も与えられない。

ラホイ国民党政権になった2009年以降、50万人の子供たちは貧困に陥れられた。いっぽうスペインの超金持ちの富は67%増加した。

昨年12月、気難しい民衆の激怒を避けるために、「市民安全保障」法が制定された。この法律は2011年の動員を避けるためにあらゆるものを非合法化した。公共の場での集会が禁止され、リーフレットの配布すら禁止された。

ポデモスは、スペインの不動産泡がはじけたとき、それが1978の憲法から始まっているコンセンサスの基礎を破壊したと考えている。

経済危機が政治的な危機を引き起こす。どんな深い社会変化でも先人が必要だ。2011年5月の思い出とともに、いまや立憲過程の機が熟した。

それは国家のメカニズムによって国家を変えることだ。

ポデモスと既成左翼

しかし、スペインの状況は、ポデモスの最近の上昇を説明しない。

統一左翼(IU)は長く類似した政治的なプログラムを進めてきた。しかしこの国政治秩序を変えるには至っていない。

ポデモスのリーダーは、左翼は長く難解な分析、曖昧な論拠と不透明な言語の集団だったと考える。

人々はイデオロギー、文化または価値によって誰かに投票するわけではない。彼に賛成するから投票するのだ。候補が普通に、好い人で、ユーモアのセンスを持つならば。

経済民主主義

ポデモスの最初の作業は、左翼の従来の語法をできるだけ平明に翻訳することだった。最も幅広い支援を得るにはそれが必要と考えたからだ。

それが民主主義、主権と社会正義だ。「我々は、資本主義について話さない」と、ラーゴは言う。

我々は、経済民主主義の考えを守る。そして、左右の議論には乗らない。なぜなら分割は、いま我々のような民主主義を守る人と、エリート、銀行、市場の味方との間にあるからだ。それはトップとボトムとの間、一握りのエリートと大多数の間にあるからだ。

マルクス主義の正統性の保護者は、この未分化の社会評価を批判する。

昨年8月、ひとりの活動家が「プロレタリアート」の用語を決して使わない理由について尋ねた。

イグレシアスは、答えた。

「15Mの運動が開始したとき、マルクスとレーニンを読んだ非常に政治化された学生たちも参加した。彼らは最初は一般学生と肩を組んで行進した。

しかしすぐその後、彼らは変装を解いて、『かれらは、何も理解しない!』と叫び始めた。

ポデモスの指導者の一部は極左運動の出身だ。しかし、2014年のEU議会選挙では、右翼の支持者からも10%の得票を得た。

スペイン中で1000以上の「ポデモス集団」が創設された。それを通じてポデモスは支持を獲得するようになった。

都市の大学で教育を受けた若いメンバーは、その後ホワイトカラーやブルーカラーの労働者、地方住民の中に参加した。

このような階級同盟は、もっと良いものが出現すればばらばらになる。それが歴史的傾向だ。ポデモスはこのような運命を避ける事ができるのだろうか。

それはわからない。しかしいま勝利の可能性がある時にそこから逃げることはできない。それは辺縁化した左翼に代わり、将来に向けてのシェルターにはなるだろう。

スペインのエリートは憂慮する

12月、経団連のフアン・ロセルは、ポデモスに対抗してPPとOSOEがドイツ型大連合を組むよう提案した。

ポデモスのプログラムに過激な内容はまったくないのだが。それでもスペインのエリートたちは憂慮している。

憲法制定議会が成立すれば、エネルギー、税制改革、負債リストラ、定年引き上げ、35時間労働、君主制に関する国民投票、スペインの自決とブリュッセルに奪われた権限の回復などが議論の俎上に載せられる。

反共攻撃はすでに厳しさを増している。「エル・ムンド」の記者はイグレシアスをルーマニアのかつての独裁者チャウシェスクに例えている。

「彼は最貧困層の血を最後の一滴まで垂らし続けるだろう」

国民党の議員はもっと直截である。

「誰かが弾丸を彼の後頭部に打ち込まなければならない」