ピケティ・ブームは15年前のネグリ「帝国」ブームと重なり合う。これはブームとはいえないほどのものだったが、読者を暗澹たる気持ちにさせるには十分だった。

それはグローバル化した資本主義への敗北宣言であり、そういう世界のなかでシコシコやっていこうよという呼びかけだった。

言葉の上では異質性を突き出し、移民の移動と先々での闘争で現状を変革しようみたいなものだった。

それは資本主義への降伏であると同時に、思想的には構造主義への屈服でもあった。

資本主義がますます世界を席巻し、これとの国際的な闘争が必要となっているにもかかわらず、そのような闘争は欧州中心思想だと横槍を入れて、水を指す役割を構造主義は果たしてきた。

同じ時期、私は多様性の問題を統一性の枠組みのなかで捉えるべきだと主張していた。多様性は、人類社会の価値観としては最上位に置かれるべき観念だと思うが、それは統一があって初めて可能になるし、世界を支配する資本家階級との闘いがあって初めて実現するのである。

イスラム原理主義の暴発を見るとつくづく痛感するのである。

構造主義はこのような国際闘争に住み着いた寄生虫のようなもので、宿主が弱れば繁殖し、宿主が死ねば死に絶えてしまうのである。

構造主義(ポストモダン)は死んだ。しかし闘いは生き返った。世界の99%が1%に闘いを挑まなければならない状況が現出した。

2011年にオキュパイ運動として噴出した怒りは4年を経て明確に資本家階級の専横を許さず、社会の仕組みを変える運動として再登場してきた。

世界の青年たちは怒りを変革のプログラムに変え、その一歩を踏みだそうとしている。「ラテンアメリカのように闘おう」という動きが世界で強まっている。