これは、1971年に書かれた「研究ノート ブハーリンの経済理論」(嶺野修)という論文の抄録である。例によって北大のリポジトリーから拾ったものである。他の学校も北大を見習ってほしいと思う。


はじめに ブハーリン学説の運命

1.わが国でも戦前はスターリンとならんでブハーリンの著書が多く読まれた。しかしそれはマルクス主義の入門書として読まれたのであって、ブハーリン学説の独自の位置づけがなされたわけではない。

2.コミンテルンにおける「ブハーリン批判」(1928年)以後は,むしろ敬遠されるか批判の対象と位置づけられた。

3.ブハーリン理論全体が「ブハーリン的誤謬」=右翼修正主義というレッテルをつけて,ほうむられてきた。

彼の経済理論の全貌を体系的に把握し,その中で,帝国主義論を位置づけ,そのブハーリン的特徴を引き出すことが重要だ。

*注によると、昭和3年から5年にかけて白楊社から「スターリン・ブハーリン著作集」というのが出版されたそうだ。なんと全16巻だ。訳した人も、出版した人も、それを読んだ人も偉い。


これは少々読みにくい論文だ。元々が外国の研究を紹介する形をとっているので、その流れに沿って議論が展開される。思想の形成過程を追いながら読めるともう少しわかりやすいものになったかもしれない。

オーストリアでの研究はかなり後ろになってから出てくる。それまでにコチラは少々疲れ気味になっている。とにかくそこから始めよう。


ブハーリンのブルジョア経済学批判

ブハーリンは,「ブルジョア経済学批判はプロレタリア自身の経済科学の発展を促進すると考えて、ウィーンに行きオーストリー学派を,ローザンヌでローザンヌ学派の理論を学んだ。

うむ、ここが聞きたかったところだ。

彼は1912~13年にかけ、『価値なしの経済学』、『金利生活者の経済学』を執筆し、「合法マルクス主義者」と「限界効用学派」に対する批判をおこなった。

ということで、この後、この2つの著作の解説に移る。

1.経済学史への評価

彼は重商主義者を「交換の観点から経済理象を考察した」と特徴づけた。そして彼らを科学的実践と科学的理論の最初の統一的体現者と評価した。

重農主義者に対しては,資本主義生産様式を「社会の物質的形態」として受けとめ,客観的な考察方法をとったと評価した。しかしそれは「一定の歴史的社会段階の物質的法則」でしかないとした。

古典派経済学は,彼らの『世界主義』にもかかわらず,イギリス工業の必然的な理論的産物でしかなかった。

と、ここまでは教科書のなぞりだ。

次に「歴史学派」の評価に移る。

歴史学派は、古典派の「永遠主義」と「世界主義」に対する反動である。彼らはドイツブ、ルジョアジーのイデオロギーとして民族的特殊性を強調しなければならなかった。

ただし統計資料の重視については積極的評価を与えている。

そして批判の中心がベーム・パヴェルクとオーストリア学派だ。そのためにウィーンに行ったのだから。

2.寄生的資産家への批判

彼はオーストリア学派の生成を資本主義の発展段階の水準から解明しようとした。限界効用学派(オーストリア学派のこと)は、資本主義が没落する時期の理論的な現象形態である。

種々なる形態の信用の発展の結果,集積された剰余価値は,生産に全く無関係な人々のポケットに流れ込む。かかる人々の数は増加しつつあり,ひとつの完全な社会階級-すなわち金利生活者の階級を構成する。

株式会社と銀行との発展,有価証券の大量取引によって,この社会的集団は出現し,かつ確固たるものとなる。その経済的活動の領域は,流通とくに有価証券流通の領域、即ち株式取引所である。

その極端なタイプは、生産の外に立つのみならず,流通過程の外にすらも立っている。彼らは国債や各種債券の所有者であり、さらにその財産を不動産に投じ,それから永続的な収入をひきだしている。

彼らこそ,末期的資本主義の「寄生的ブルジョアジー」である。株主は取引所で、なお主体的に活動している。しかし証券収入を享有する集団は社会的経済的生活との紐帯が切断されている。彼らは流通の領域からさえ退いていく。

これだけか? あまりにもひどい。

信用制度を生産の社会化の端緒とするマルクスはおろか、金融資本を一面では「資本主義の最高の段階」と規定したレーニンよりもはるかに遅れている。

3.限界効用学派への理論的批判

ここが一番聞きたいところだ。

ブハーリンは“末期的資本主義”を弁護する限界効用学派を以下の点で批判する。

(1) 消費をもって全生活の土台となす観点, (2) 社会化の進展から目をそむけた個人主義イデオロギー, (3) さし迫る社会革命への脅威に立脚した非歴史的理論。

しかしこれだけでは無力なレッテル貼りだ。

嶺野さんは以下のように批判している。

ブハーリンは近代経済学を批判しようとしながら、ワルラス流の考え方を無抵抗に受け入れている。それは哲学においてボグダーノフ・マッハ的修正を受け入れたのと同じ根拠に根ざしている

それ以上にがっかりすることに、ソ連ではブハーリン批判が盛んだった時でも、彼のこのオーストリア学派批判だけはブハーリンの「業績」として認められているのである。以下がその賛辞である。

彼はオーストリア学派の理論における方法的基礎への批判に限定することなく,論敵の立場をわがものとなし,彼らの内的矛盾を指摘し批判した。そうすることにより,この理論の個々の結論が無意味であることを暴露した。

4.転形問題への言及

ここまで来て、ブハーリンの頭のなかはスポンジで詰まっていることが分かった。その彼が転形問題に言及したとしても、中身は到底期待できないだろうが、一応紹介はしておく。

商品市場の諸現象は資本主義的再生産の現象と関連している。

生産力の発展と客観的に形成された価格との聞にひとつの関係が与えられているならば,この関係の特殊性に関する問題が生ずる。

と、ここまではヒルファーディングの聞きかじりだ。

しかしこれは一種の“言い抜け”である。価値の価格への転化問題を議論するのに、生産力という概念を持ち込むのは、議論を歴史の中で相対化し、けむにまくための手練手管でしかない。

ブハーリンはそこが分かっていない。

だからこのような大言壮語で議論を締めくくるのである。

価値法則は商品生産のみに妥当する法則であり、無政府的商品制度(資本主義制度のことか?)における均衝法則である。

生産価格法則は変形した商品制度一資本主義制度の均衡法則である。市場価格法則(ワルラス均衡のことか?)はかかる体制の動揺の法則である。

競争の法則は撹乱した均衡の不断の回復であり、恐慌の法則は体制の必然的周期的な均衡喪失である。

価値法則は社会的な自然発生性の盲目的法則である。だからそれは不断の破壊を通じてのみ実現される。均衡破壊は生産諸力の浪費を意味するが,しかしそれは発展にとっての不可欠の条件である。

こうやって、転化問題には手を付けないまま、価値法則そのものの否定(しかも非理論的な否定)をもって回答とし、最後は無内容な革命万歳論へと収斂していくのである。これがブハーリンの動的均衡論の経済過程における意義なのである。


ロシア革命後のブハーリンの言動についてみれば、さらにひどい。ローザ・ルクセンブルクとの論争も、歴史的・客観的に見ればドイツ革命とスパルタクス団への干渉でしかない。

経済学の拒否

プハーりンは「理論経済学」概念を資本主義以外の時代に適用することを明確に拒否する。

われわれが組織された社会経済をもてば,経済学のあらゆる基本問題: 価値,価格,利潤などの諸問題が消失してしまうからである。

市場そのものが存在しないのだから、『盲目的市場法則』を研究対象とする科学が存夜する余地は全くない。

と驚くべき理論を展開する。もうこれだけで読む気が失せる。

このあと嶺野さんは次のようにフォローしている。

以上は初期プハーリンに見られた特徴的な考えで、後に彼みずから「過渡期」における経済論を展開し,資本主義が過渡期を経て社会主義に至る過程で,経済学的範鴎がどのように変化するかを研究している。

よかった。もう少し読むことにしよう。

嶺野さんがその背景を説明する。

それは戦時共産主義を経験しつつあった時期の大多数のボノレシェヴィキの見解でもあった。その後ネツプを経る中で「広義の経済学」の必要が提起され,プハーリンが批判されたのであった。

「機械論者」=プハーリンの主張は暗黙のうちに継承され,現実の社会主義諸国がブハーリンなきプハーリン路線を遂行していった。

やっぱり救われない。

ついで

ブハーリンの「均衡論」

均衡法則の発見は理論経済学の根本問題をなしている。

ある体制が均衡状態にあるというのは、その体制が外部のエネルギーなしにはこの状態を止めさすことができない場合である

なんじゃこれは?

ブハーリンはみずからの「唯物弁証法」からこの規定を引き写したようだ。

プハーリンの均衡論は,いかにつつましやかな試みであろうとも,とにかくマルクス主義をへーゲル弁証法の障害から救おうとする試みであったように思われる。

へーゲルの定立,反定立,総合に代うるに,安定的均衡、肯定的印をもっ不安定的均衡、否定的印をもっ不安定的均衡の状態をもってした,

議論はまだ続くが、とてもつき合いきれない。

この「とんでも弁証法」は、ボクダーノフの経験批判論の影響を受けているようだ。「彼は質的変化を検討せずに,単なる量的増減にすり代える」とするデボーリンの批判も当然であろう。

少なくとも、ブハーリンは哲学的にはまったくのペケであることが分かった。しかし専門であるはずの経済学ではどうであろう。

経済学方法論において,ブハーリンの均衡思想は「均衡の仮定」である。ある経済体制が存在しているとき、その体制を持続させている一定の均衡が存在する。

ある安定的均衡体制を、抽象的理論的モデルによって分析する。そうすると複雑な契機がもち込まれても,新たな基礎上で均衡が回復される過程が分かる。

これ自体は一種のサイバネティクスの変形として一応認めるとしても、次の文に行くとたちまち「救いようがない」ことが分かる。

彼はこういう「動態的」分析をマルクス主義経済学の方法の最も重要な構成要素だと特徴づけた。

最後に決定的な事実が提示される。

Lowy は、彼が哲学を,とくにへーゲルを実際に学んだことがなかったと指摘している。そのために彼は,フランス唯物論に対する偏愛とボグダーノフ哲学を基礎におかざるを得なかった。

この後、ブハーリンに関わって生産力論や技術論が展開されるが、嶺野さんのコメントもふくめある程度決着済み(私としては)の話なので省略する。