なかなかブハーリンに入れない。周りが気になってしまう。

村岡到さんという人が紹介しているバウアーのボリシェビキ批判が面白い。

バウアーというのはオーストリア社会民主党の活動家で、第一次大戦の後、社会民主党に委員長に就任。蜂起に失敗して国外に亡命するまでずっとその職にあった人物だ。

彼はボリシェヴィキを一貫して批判してきたが、スターリ ンによる「粛清」が伝えられた後の1937年にもなおバウアーは「われわれは、ソ連邦における社会主義を信ずる。現にあるソ連邦ではなく、未来のソ連邦を信ずる」と語ったそうだ。

村岡さんは民族問題におけるバウアーの理論的業績を中心に語っているが、私の議論の本筋ではないので省略する。

1919年に小冊子『社会主義への道―社会化の実践』を発表した。これはオーストリア社会民主党の目指す革命の道筋を語ることによって、間接的にボリシェビキの暴力革命路線を批判したものだった。

バウアーは。「社会革命は建設的組織的な労働の事業」であるとし、「政治革命」と「社会革命」を峻別した。そして工場を基礎とする「労働者委員会」を組織し、大工業及び工業全体を社会化することを任務とした。
さらに農民経営の社会化、住宅用地と家政の社会化、銀行の社会化などが打ち出される。

1920年に『ボリシェヴィズムか社会民主主義か』を著わした。このなかでレーニンとボリシェヴィキを「専制的社会主義」として仮借なく批判した。

われわれは、一握りの少数者による全人民の支配を意味する官僚的社会主義を欲しない。われわれは、民主的な社会主義を、言い換えれば全人民の経済的自治を欲する。

26年に『社会民主主義的農業政策』を著した。これは当時ソ連で進行中だった農業集団化路線を批判したものだった。この中で彼は「農民の収奪を考えるのは愚か者だけだ」と述べている。

同じ26年、バウアーが指導する社会民主党は、リンツ大会で新綱領を採択した。この綱領は一言で言えば「民主政に依拠して則法的に政権を獲得する路線」を打ち出したものだった。

社会主義が破局的なカタストローフの結果としてではなく、目標を意識した労働者の収穫として到来するように、われわれは残らず働 こう!



村岡さんの議論はややサンディカリズムに傾く。

おそらくバウアーは政治革命のプライオリティーを前提とした上で、「それだけでは社会革命は実現できないよ」ということなのだろうと思う。

政治権力の把握は革命のイロハなのだが、もし政治権力を握ったとしてもそれは社会革命の手綱を握っただけの話で、「革命というのは最後は現場での闘いなんだよ」ということではないか。

そういう現場というのは、20世紀のはじめにおいては労働現場でしかなかった。逆に言うと、そこで勝っていくしかなかった。農業の現場では状況は絶望的で、主体形成さえ困難だった。

そこでの失点を最小限に抑え、都市と工場とでそれを取り返すしかない。それもふくめての社会革命なのだ。

そのためには我々が政治的ヘゲモニーを握り続けなければならないわけだし、政治戦線の強化は、ますます必須の課題となっていくのだ。