不勉強で知らなかったが、社会主義計算論争の前に「転形問題論争」というもう一つの論争があったらしい。この論争は主としてベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で行われたらしい。

ヒルファーディングはベーム・バヴェルクに対抗して社会主義革命の必然性を擁護しつつ、カウツキーらドイツ社会民主党も批判したようだ。トロツキーもブハーリンもこの論争に関わっている可能性がある。さらにスイスのレーニンはその論争を引き継ぎつつ、「帝国主義論」を完成させていく、という構図のようだ。

私は前から思っているのだが、マルクスは経済学批判要綱から資本論へと論を進めていくにあたって、「消費=欲望の再生産」の過程を意識的に捨象しているのではないか。

資本に焦点を当てて分析するとき、たしかにこの観点を引きずったままだと、とてつもなく重いものになってしまうから。とりあえず労働力商品と単純化してしまったのではないか。

商品の生産過程と資本の増殖過程を描いていくには、人間は労働力商品として単純化してしまうほうが楽だし、そうやっても大きな間違いは出てこない。

しかし資本論は人間と社会の運動過程の一面である。マルクス自身が総論的には何度も強調しているように、富の生産は富の消費とそれによる欲望の再生産と合わさって一つの全体をなすのである。

富は欲望の裏付けを持って(欲望に措定されて)初めて富となるのであり、欲望の拡大再生産をもって初めて拡大再生産が可能となるのである。

「限界効用」論というのは不勉強で良く分からないが、“マルクスが意図的に切り落とした部分が、より現実的な場面では無視し得ないものである”ことを指摘しているという側面もあるのではないか。

生産の拡大に照応して欲望が拡大していく過程をスケッチ的にでも説明している記述はないものだろうか。

とりあえず年表形式で経過を追ってみる。


オーストリア学派とオーストリア社会民主党の関連年表

1871年 カール・メンガー、『国民経済学原理』を発表。(生存権を提起したアントン・メンガーは弟)

価格だけで均衡を実現するのではなく、不完全な市場に関心をもち、価格だけでなく商品の“売れやすさ”に着目した。貨幣は最大の“売れ安さ”を持つ商品とされた。

1879年 カール・メンガー、ウィーン大学の教授に就任。

1883年 カール・メンガー、『社会科学、とくに経済学の方法に関する研究』を発表。新歴史学派との「方法論争」が始まる。オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクやフリードリヒ・フォン・ヴィーザーが陣営に加わる。

1884年 ベーム=バヴェルク、『資本および資本利子』の第1巻「資本利子論の歴史と批判」を発表。ついで89年には第2巻として「資本の積極理論」を発表。

労働価値説にもとづく搾取利子説に反論。資本家は収入の中から十分に、前もって所得を労働者に提供する、と主張。第2巻「資本の積極理論」において「利子の3原因」を説く。

1890年代 ウィーン大学の社会主義学生グループが学習サークルを形成。カール・レンナーが指導し、マックス・アドラー、ルドルフ・ヒルファーディング、遅れてバウアーらが参加。オーストリア・マルクス主義の拠点となる。

1894年 資本論第3巻が発行される。

1895年 ベーム=バヴェルク、オーストリア政府の大蔵大臣に就任。金本位制(財政均衡論)と近代的所得税システムを導入。その後三度にわたり大蔵大臣を務める。

1896年 ベーム=バヴェルク、『マルクス体系の終結』を発表。『資本論』には価値と生産価格の論理的矛盾があると指摘。労働価値説は成立し得ない、主観的価値論(限界効用)からのみ説明可能と主張。

1903年 メンガーが経済学教授を辞任(その後ウィーン大学学長となる)。後任教授にヴィーザーが就任。

1904年 ベーム=バヴェルク、ウィーン大学の教授に就任。限界効用理論の立場からマルクスの労働価値説を批判する。ベーム=バヴェルクの講義にはヒルファーディングも参加したと言われる。

1904年 ヒルファーディング、「ベェーム=バヴェルクのマルクス批判」を発表。労働価値説は資本主義社会の運動法則を発見するための武器と主張。限界効用学派との折衷をはかるベルンシュタイン派に対しても批判を加える。

1907年 バウアーらの編集により月刊の『闘争』(Der Kampf)が発行を開始。オーストリア社会民主党の理論機関誌となる。

1910年 ヒルファーディング、「金融資本論」を発表。

金融資本論の柱
1.資本の集中過程である独占資本と金融資本の形成という二つの現象形態を分析。金融資本の支配が資本集中の最高度の形態とする。
2.金融資本は生産の社会統制、経済の中央集権化・組織化・計画化をもたらす。3.そのことによって、「組織」の面で社会主義を準備する。
4.それは最終的に社会主義革命の必然性、および社会主義への平和的移行の可能性をもたらす。

1910年 ベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で「転形問題論争」が始まる。

ヒルファーディングの主張
1.帝国主義化は資本主義の発展の新局面である。カウツキーら「マルクス護教派」は、帝国主義を単なる過渡的混乱とみなすが、これは誤りだ。
2.しかしそれは資本主義の発展能力の証明ではなく、延命にすぎない。
3.資本主義の崩壊からプロレタリア革命へという道筋は依然として正しい。
4.議会を通じて漸進的改良を主張するベルンシュタインの修正主義は過ちである。

1914年 ヴィーザー、『社会経済の理論』を公刊。帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし、先駆的な社会主義経済理論を展開する。

1920年 社会主義計算論争が始まる。ベーム・パヴェルク派の論客ミーゼス、「社会主義コモンウェルスにおける経済的計算」を発表。「社会主義」理論への攻撃を開始する。社会主義者はワルラス的連立方程式を用いれは、価格形成は可能と反論。