長くなりすぎたので、稿を改める。


この要望書の一番のミソは、「民間賃貸住宅よりも低額な県営住宅を家賃滞納で退去させられた入居者の多くは、ホームレス状態にならざるを得ない」ということである。

つまりそこには一般社会の日常論理とは異なる“非常時の論理”が求められるのだ。つまり震災で家を失った人への対応と同じ論理だ。これは考えて見れば当たり前の話なのだ。

住宅課の人は、追い出したら追い出された人がどうなるのか、まったく想像しなかった。そこに状況への対応力の欠如がうかがわれてしまう。

多分、この人たちも普通の人たちなのだろうが、「そうは言っても、しょうがないんじゃないの。うちも慈善事業じゃないんだから…」と市井の論理で流して、どこで “人の痛みの感覚” を喪失してしまったのだろうか。

この論理、“非常時の論理” は、国交省や県の建設・土木部などの日常の業務からは生まれてこない。むしろそこに要求されるのは施設としての安全、コスト、効率であろう。当然である。

そういう世界では、おそらく「県営住宅の管理などは厄介者で、それを行う連中は日陰者」とみられるかもしれない。そんなところで予算を無駄遣いしていれば、“本業” に差し障りが出てくる。だから「厳正な運用」などという発想が出てくるのだろう。


好むと好まざるとにかかわらず、客観的に見て、公共住宅は貧困対策の一環としてセーフティ・ネットの重要な柱となっている。当然その運営に携わる人にとっては福祉部門との連携が必須である。

しかし今回の事件を見て分かったのは、両者の間にまったく連携がないということだ。何故か。住宅課の方にその気がないからだ。減免措置について書かれた住宅課のページを見ても、「減免措置なんてとれっこありませんよ」と言わんばかりの表現だ。担当者は住宅課に回された途端、「俺の出世の道は終わったな」と思っているかもしれない。しかしその「後は大過なく…」という態度が「大過」を呼ぶのだ。


おそらく、公営住宅の運営を土木・建設部門に託すのは基本的に間違いだと思う。そう言われるのが怖いから、国交省は慌てて通達を出したのだろうが、「厳正な措置」通達については口をつぐんでいる。

たしかに福祉との連携は必要だし、今後強化する必要があると思うが、より根本的には「やる気のない」人々に運営を委ねるのをやめることではないか。