不破哲三「スターリン秘史  巨悪の成立と展開」についての座談会

という記事が出て、どうもあまり食欲はわかないのだが、国際的な革命運動の歴史を知るためにも避けて通れない課題なので、一応目を通してみた。

要点というか新たな知見のみさっとあげておく。

1.ディミトロフ日記

ディミトロフ日記というのが発見されて、これを見ながら背景を考えていくというのが、この本の主題のようだ。

ディミトロフは、スターリンのすぐ近くにいて、忠実な部下として奉仕した。そのため、日記の中にはスターリンの肉声がかなり入っていて、貴重な資料だということだ。

2.コミンテルン第7回大会(35年)の前後の裏事情

このへんの話はまるっきり初めての話ばかりで、相応面食らう。かいつまんで言うと以下のようになろうか。

*ドイツの国会放火事件(33年3月)で逮捕されたディミトロフが釈放されたとき、スターリンは彼を使ってコミンテルンの改革を行おうとした。

*ディミトロフはコミンテルンのなかで主導権を握ろうと頑張った。彼の路線は反ファシズム統一戦線だったが、コミンテルン内はスターリンの提唱した社会ファシズム論が優勢だった。

*しかしスターリンは自分の主張をひっくりかえすことになるにもかかわらずディミトロフを支援した。(これにはコミンテルンがナチスの増強に対して無関心で、そのことにスターリンが彼なりの危機感を抱いた側面もある)

*ディミトロフは論争に勝利し、反ファシズム統一戦線が公式方針となった。そのとき、組織的には書記長制度が導入され、コミンテルンがスターリンの上意を下達する機関となってしまった。

*これらの経過は、スターリンが路線よりも自らの権力強化、“自らのソ連”の防衛を最大眼目としていたことを示す。

3.コミンテルン7大会の後に大テロル(35年)が起きた理由

*「大テロル」に関しては記事の範囲では従来のものとさほどの違いはないのだが、今回の肝心な指摘は、弾圧は各種弾圧機関が独走したのではなく、かなりの細部に至るまでスターリンが直接指揮していたことである。(その根拠として、ゴルバチョフ時代に発表されたソ連共産党の政治局特別委員会調査報告(89年)が新たにあげられている)

*大テロルを開始した意図は、ドイツの脅威にあった。それは「ドイツの指図によるソ連へのテロ」と表現される。しかし独ソ同盟に動くようになって、大テロルは無意味になった。

*38年に大テロルは中止され、テロの執行役だった人物は逆に粛清された。こうして真相は闇に葬られた。

*これらの大テロルの上で、反ファシズム人民戦線運動は、それらを覆い隠す役割を果たした。少なくともスターリンの頭のなかで、大テロルとコミンテルンだ7回大会はひとつのセットだった。


…にも関わらず、というのが我々の口癖であった。

…にも関わらず、スターリンは反ファシズムの闘いで偉大な功績をあげた。

…にも関わらず、ソ連の果たした進歩的な役割は大きかった。

…にも関わらず、反ファシズム統一戦線の果たした役割は偉大であった。

…にも関わらず、…

これらの議論にも、ようやく底が見えてきたのかもしれない。

反ファシズム統一戦線はスターリンがドイツと張り合うための一過性の戦術でしかなかった。コミンテルンはスターリンの操り人形でしかなかった。

スターリンも、コミンテルンも、独ソ同盟を結ぶに及んで、この戦術を放棄した。にもかかわらず世界の人民はこの戦術を放棄しなかった。

こういうことになるのかな。