倉田稔さんの「小林多喜二の東京時代」(小樽商大「商学研究」(2001), 52(2/3): 3-37)を読み終えた。
必要なことはすべて書き込まれている。
ハウスキーパー問題についても、歴史的限界も踏まえた客観的な評価が下されている。
この論文が描き上げられたのが、2000年頃と思われる。私が小樽にいたのが96~97年だから、同時代に書かれたことになる。小樽で繁華街の店じまいに拍車がかかり始めた頃の話だ。
伊藤ふじ子についても、また違った側面から描き上げられており、彼女の魅力を一層に引き立てている。

多喜二のラブレターの話は傑作だ。
古本屋の活動家とその仲間が多喜二から手紙を託された。盗み読みした上に写真まで撮るのも、ふてぇ連中だが、死も拷問もおそれない闘士であろう二人が、人の恋文を舌なめずりしながら読んでいるさまが眼前に浮かんでくるようで、思わず笑ってしまう。

笑いついでにラブレターを紹介しておく。澤地久枝 『続昭和史の女』 文芸春秋1986年版からの転載のようだ。
「しばらく君と御無沙汰しているのはわけがあるんだ」。多喜二が警察に捕まって、7カ月勾留されていたことが書かれていた。
「その時いっしょに捕まったかわいそうな老人がいたので、それを抱いて寝てやった。そのためにカイセンをうつされた。それを治療するためにこの温泉に来ている」
「このことは親しい人にも誰にも言っていない。君が誰かに話すとは思わないが、ぼくはそれをちょいと試してみたくなった。それでこの手紙を書く」とあり、最後に「帰ったら、また逢いたいものだ」とあって、便箋に二枚だった。
これを受け取ったふじ子は、「あら、そう」みたいな感じでさっと受け取って、何事もなかったように去っていく。このイメージと、通夜の席で人目も憚らずに遺体を掻き抱き接吻した狂乱の場面はイメージがあわない。あわないところが、いかにもいとおしくリアルだ。
きっと、間違いなく、ふじ子は角を曲がってから後ろを振り向いて、小走りになって、人が見ていないところまで走って、それから道端にしゃがみこんで、ラブレターを何度も読み返したに相違ない。