鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2021年12月


 昨日の赤旗、国際面の短信記事。

断交
まず、この記事に掲載価値があるという判断はどのようになされたのか。

第二に、私たちは民族自決の視点から「一つの中国」の立場をとっている。2つ以上の国内勢力の併存を認めることは、その国が内戦状態にあるという認識を示すことになる。
どの国であれ、中国と国交を結ぶなら、台湾との国交を断つのはそれ自体は当然である。米国でさえもそうしている。

第三に、事実誤認がある。この大使館は中国大使館であり、台湾大使館ではない。台湾も「中国の正統な代表」を自認していた。私もニカラグア訪問時、レセプションで「中国大使」と挨拶を交わしたことがある。

個人的には、「台湾も国家に準ずる組織であるのは間違いない」と考えており、その半公的組織が所有権を訴えるのなら、議論の余地はあるかと考える。例えば東京では「台北駐日経済文化代表処」がこれに相当する。
ただ最終的にはニカラグア側の判断に属する事柄である。これまでの中国承認国がどのように差配したか、寡聞にして不承知だが、おそらく日本をふくむ多くの国で台湾側に明け渡しを求め、中国側に引き渡したのではないかと推量する。


第四に、「重大な国際法違反だ」、「提訴を検討する」という台湾側のコメントは、そもそも国際法違反ではないのだから誣告に相当する。
それを無批判に紹介し、ニカラグア側の反論を載せないのは、台湾側の主張を理解しているかのように受け取られても仕方がない。
それ自体が深刻な内政干渉行為ととられかねない。国際法に対する感覚を疑わせる記載である。




日経新聞「脱炭素加速 インフレ圧力」より

最近わかったことがある。加速しつつあるインフレはコロナ後の景気回復に伴う揺れ戻しが原因ではない。
コロナ後インフレは、ある意味(株高)ではもうとっくに来ているし、ある意味(実需回復)ではまだ来ていないと言える。

しかしいまのインフレは、そのどちらでもない。いまのインフレは、資源開発の鈍化による人工的インフレだ。パリ協定が成立した後、「座礁資産」化を恐れて、炭素エネルギーへの開発投資が縮小した。これが慢性的な商品・輸送力不足を生んでいる。

それは下手をすると庶民を生活苦となって襲い、新興国や途上国にもっとも過酷なしわ寄せをもたらす最悪のインフレとなる可能性がある。
27日の日経新聞では、これを「グリーン・インフレーション」と呼んでいる。

グリーフレーション
 
この図ではすべての影響を列挙しているが、当面最大の問題は、OPECの生産調整を象徴とする供給サイドの模様眺めである。

記事の内容に入っていく。

1.何が起きているか

まずは天然ガス(LNG)の需要急増である。これは3つの要因に支えられている。石炭供給の減少、原油採掘量の停滞、再エネの異常気候による低下である。
それではLNGの供給は需要に応じて増加しうるのか。ここが問題で、LNGも脱炭素の主敵のひとつなので、供給元の開発意欲は低い。21年の開発投資は世界で3千億ドル。これはピークだった14年に比べ26%少ない数字だ。

つまりエネルギー資源としてのLNGへの過度の集中、しかしLNGは増産どころか減産の危険すらある。これは位相的とは言えず、構造的インフレというしかない。


2.LNGの価格高騰は何をもたらすか

LNGの需要急増は価格高騰をもたらす。欧州のLNGは12月に入ってMW/時 24,000円まで上昇した。これは1年前の5倍である

「風が吹けば桶屋が儲かる」のはなしではないが、LNGが上がれば、電力料金が上がる。電力料金が上がれば、電力を必須とする非鉄金属の生産価格が上昇、そもそも商品が市場から消滅する。


3.需給インフレは金融には解決できない

FRBは利上げの早期実施で対応しようとしている。しかしそれは有害無益の可能性がある。需給インフレは需給関係の調整を通じてしか解決できない。そうでないと、それはスタグフレーションという地獄への扉を開けることになる。

それは資源インフレという形で新興国から手足をもぎ、高金利という形で新興国から資金を奪い、脱炭素計画の最悪のコース、「新興国や途上国を原始時代の生活に突き落とすことにより、脱炭素を実現するというコース」を辿らせることになる。

いま大事なのはタイムテーブルではなく脱炭素社会へのロードマップなのではないだろうか。


というわけで、第一生命経済研究所のHPから


という記事、著者は柏村 祐さんという方だ。

1.仮想通貨と暗号資産

2009年、ビットコインが登場した。このときは仮想通貨という呼称だった。

その後2018年に、金融庁は呼称を暗号資産に変更、一本化すると発表した。

しかし市中では相変わらず仮想通貨のほうが一般的である。
そもそも「通貨」を「資産」扱いする理屈が無理だ。

仮想通貨はインターネット上でやりとりできる通貨で、法定通貨とも交換できる。


2.話題となったリブラ

仮想通貨の代表が「ビットコイン」や「イーサリアム」だ。しかしこれらは価格の変動が大きく、1日に数十万円も価格が上下する。

したがって投機的投資の対象とはなっても、決済手段として通貨代わりに利用するのは難しい。

これに関して、2019年6月にフェイスブックが「リブラ」を提唱した。

フェースブックは、外国送金のコスト、送金時間の改善を目指した。そして途上国の人々の金融アクセスを実現しようと図った。

これが決済通貨を目指すステーブル・コインの先行モデルとなっている。


3.米国政府は積極推進へ

米国の金融安定理事会はこの提起に対し積極的に反応した。そして20年10月に『グローバル・ステーブルコイン』の規制・監督・監視に関する報告と勧告を発表した。

主な内容は、
1.従来型仮想通貨の不安定性を通貨と紐付けることにより安定させるもの
2.決済の効率化に大きな進歩をもたらす
3.一般大衆の金融アクセスを容易にし、サービスの恩恵を及ぼす可能性がある
とし、推進姿勢を明確にした。

その上で、運営会社が価値総額と同額の現金やCPを準備金として積み立てることをもとめている。

要するに誰でもできるわけではなく、一攫千金の夢もない、一種の決済銀行である。


4.ステーブル・コインの拡大

11月現在、Tether、USD Coinなど70種類におよぶ「ステーブルコイン」が存在する。市場規模は800億ドルに達している。

一方で、米商品先物取引委員会は、テザー社が虚偽表示を行ったと告発するなど、取締り姿勢を強めている。

ということで、ドル支配力の強化のための手段ではあっても、ドル支配体制を侵食し、アナザーワールドを作り上げる可能性はほぼない。



恥ずかしながら、最近はほとんど赤旗を読まなくなってしまった。
そもそも活字離れといえば聞こえはいいが、活字を読んでいると小一時間で辛くなってくる。

眼科の先生には、まだ眼鏡で調整可能と言われているが、そろそろ眼内レンズの適応かとも思う。

それだけではないのだが、貴重な活字読み可能時間を有効に使いたいので、どうしても日経新聞が優先になってしまう。

というわけで、本日は25日の日経土曜版、一面右肩の記事
「デジタル通貨で貿易決済」というもの。
脇見出しは「東京海上 最大1ヶ月が即時に」となっている。

これからの計画という段階なのだが、手続き的には以下の通り。

1.輸出元企業は船会社から電子化した船荷証券を受け取り、輸出先に送信する。

2.輸出先は船荷証券を受け取り次第、輸出元のデジタル通貨口座に代金を支払う。

3.デジタル通貨(ステーブル・コイン)で貿易代金の決済を行うと、1ヶ月かかっている決済が瞬時にでき、コストも3分の1に下がる。

計画を担うのは「NTTデータ」と「スタンデージ」社。2年後の導入を目指す。

話だけ聞けば、決済型に特化し、ドルと連動するデジタルコインということで、デジタル人民元と発想は同じだ。

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このドル連動型の仮想通貨は世界中で急速に広がっている。

JPモルガン・チェースはすでに昨年から国際決済に特化したデジタル通貨「JPMコイン」の運用を開始している。

ただこの手のデジタル通貨は、真の意味で暗号通貨と言えるのか? 主催機関の母国や支配国、端的には米国の干渉を拒否できないのではないか。

このシステムでは米国によるドル支配は弱まるどころかむしろ裾野を広げ強化されるばかりではないか。とにかく、ステーブル・コインについて勉強が必要だ。

日経新聞19日の日曜版から。
いままではあくまでキャパがメインの紹介で、タローの方は協力者という扱いだったように思う。
しかし今度の特集は全く違っていて、題名こそ「ゲルダとキャパ、戦場カメラマンの青春」となっているが、テーマはゲルダだ。吉田俊宏さんという方が紹介している。
中でもはじめてみたこの1枚にすっかり参ってしまった。

なんとヒールを履いた戦士だ。それが懸命な表情でピストルを構え、あちらを睨んでいる。
彼女は見事にジグゾー・パズルの駒になりきっている。その2つの要素が人民戦争の本質をえぐり出している。

Vogueに掲載されてもおかしくない様式美と、置かれた状況の過酷さが1枚の写真に共鳴りしている。
吉田さんはキャパとタローをともに「戦場写真家」と呼んでいるが、たしかにそうではあろうが、タローはむしろ、「戦場に踏み込んだ芸術写真家」と呼ぶべきではないだろうか。そうでなければブローニー判のカメラなど使わなかったはずだ。

Taro


裏面の印刷を消そうと思ったが、それだと断髪の乱れと、横顔の稚な気さが飛んでしまう。なんとかならないかと、ネットで写真を探したが、もっと小さな写真しかない。

多分このブランケット二面にわたる特集に載せられた3枚の写真がタローの代表作なのだろう。
そしてもう一枚がこの写真。本人のとった写真ではなく、被写体となった写真だが、天国のような幸せ感と美しさにあふれている。
しかし、一見したらパリジャン然としているが、二人共にユダヤ人であり、母国の権力から追われる亡命者であるという意味で二重のエトランジェだ。
それは、この時代特有の「あってはいけない残酷さ」を秘めた、ほんの束の間の幸せ感と美しさと思える。

Taro en Paris



ゲルダ・タローの生きた道

吉田さんの記事から、ゲルダの略歴を拾う。
本名はゲルタ・ポホリレ。1910年ドイツでユダヤ人の子として生まれた。反ナチ運動に参加して逮捕、勾留された。
34年釈放後、9月にはフランスに脱出。モンパルナスに居を構える。その月、近くの公園でキャパと知り合い意気投合する。彼女は写真家キャパの売出しに回り大いに力を発揮した。
36年夏にスペインで内戦が始まると、二人は直ちにスペインに入った。女性兵士の写真はバルセロナ入りしてまもなく、海岸で射撃訓練をしていたところを撮影したもの。フランスの写真誌にはキャパの作品として紹介された。当時の「キャパ」は、後のキャパ(フリードマン)との共同のペンネームであったからだ、とされる。
明くる1937年7月、ゲルダは従軍取材中に事故に巻き込まれなくなった。

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この写真の撮られたのは1937年7月とあるから、死の直前である。最前線での取材なのに、どうしてこんなにおしゃれなんだろう。この格好でそのまま死んだのでは、と思わせる遺影である。「新品」だったそのカメラは、やはりパトローネ式の6x6判だ。

そして一瞬の時代の子、ゲルダの名は歴史に埋もれていった。そして、2007年に大量のネガが発見されてから注目されるようになったと言う。



By Andreína Chávez Alava
Dec 19th 2021 
Venezuela Analysis

はじめに

ベネズエラは、イランとの提携を強化しながら、着実に石油生産を伸ばしている。
石油収入は、最近の原油生産と輸出の増加を受けて、来年度政府予算の61パーセントに達する利益を上げると見られる。

OPECの報告によると、ベネズエラでは11月に1日あたり平均62.5万バレルを産出した。

これは、前月から15,000バレル増加した。政府は、年末に1日100万バレルの目標を設定している。

2017年以降、旧トランプ政権は政府転覆を目指し、金融制裁、本格的な石油禁輸、および多数の二次的措置を課してきた。

さらに2020年初頭以来、制裁強化により石油産業を国際市場から締め出した。それ以来、生産量は60万バレル/日を割り続けてきた。

その結果、ベネズエラの国家歳入は大幅に縮小し深刻な経済危機をもたらした。

バイデン政権はトランプの制裁政策を続け、さらに強めている。


イランの支援

マドゥロ政権は、資本、市場、資源をもとめ、ロシア、中国、イランなどの支援を受けてきた。さらに原油生産の回復のために、イランと連携を強めてきた。

とくに「イラン産濃縮液?」( Iranian condensate)の安定供給が最近の産油量増加の鍵となっている。

イランは7月以来、3回にわたり460万バレルの混合材料を出荷している。今週には第4回目のタンカーがベネズエラに着岸している。

この「濃縮液」はオリノコ川油田で産出された超重質原油と交換され、輸送される。

PDVSAとイラン国営石油会社は、今年9月、ベネズエラ超重質油とイランの濃縮液とを交換するスワップ協定を締結している。

これは、米国の制裁を回避するための、両国間の継続的な協力として位置づけられている。


急増するベネズエラの生産と輸出

ベネズエラの輸出もここ数ヶ月で急増している。PDVSAの出荷は1日あたり50万バレルまで上昇している。

その主な最終目的地は中国である。

ロイターによると、石油収入の増加分は来年度国家予算の61%に相当するという。ただし来年度予算の学について知っているものはいない。

12月14日、ベネズエラ国民議会(AN)は、約130億米ドルの来年度予算を承認した。これは今年度の総額より60%増となっている。

デルシ・ロドリゲス副大統領は予算説明で、「支出の77%が社会対策にあてられる」と説明している。


通貨安による輸出への貢献

また、現地通貨を守り、インフレと闘うとし、取引税の減額を行う法案を検討中だと述べた。

この3ヶ月、物価上昇は10%以下にとどまっている。これは2016年以来初めてのことだ。

ベネズエラ中央銀行(BCV)は、今年の累積インフレ率は631.1%まで低下すると報告した。

通貨安は石油以外の輸出産業にもチャンスをもたらしている。ベネズエラ輸出業者協会(AVEX)は、海外売上高が30%増加したと報告した。

輸出の大部分は、海産物、カカオ、チョコレート、木材、トロピカルフルーツなどの資源産品である。


通貨不安の足かせが外れつつある

デジタル・ボリバル(原油を担保にした仮想通貨)は各種のデジタル通貨と有効に交通している。今後はデジタル・ボリバルと米ドルの為替レートを安定させるため、継続的な取り組みを展開する。

国際機関は、ベネズエラが7年間の不況をへて景気回復を果たしつつあると報告している。

10月、クレディ・スイス銀行はベネズエラのGDPが2021年に5.5%増加するだろうと予測した。

しかし米国の金融および石油制裁は依然として国に重くのしかかっており、予断は許さない。


マドゥーロ大統領の決意

12月17日、マドゥーロはツイッターで決意表明した。

2021年は経済的および政治的安定が見られた年となった。来年はもっと良い年となるだろう。
誰にもベネズエラの人々が幸福を求めているのを阻止できないし、そのような権利もない。私たちは勝利の日まで闘い続けるだろう


2021年12月20日
People's World(旧イギリス共産党機関紙“Daily World”の後継紙)

チリ国民はガブリエル・ボリックを大統領に選出
超保守候補を拒否

https://www.peoplesworld.org/article/chileans-elect-gabriel-boric-president-reject-ultra-conservative-candidate/

Boric-Victory
         ボリックの勝利を祝う左派連合の集会

12月19日、大統領選の決選投票が行われた。
億万長者のカスト候補(キリスト教社会戦線)を破り、左翼連合のボリック候補(35歳)が勝利した。
それはこの国を支配し続けたピノチェト独裁政権の最終的敗北を意味する。

ピノチェト残党は、1990年に独裁が終わった後も大きな影響を残し続けた。ピニェラ前大統領は、ピノチェト残党の復権をさえ画策した。

それは2019年10月、大規模な抗議を呼び起こした。デモ参加者は青年、労働者、年金受給者、先住民の権利を要求した。

彼らはまた、1980年にピノチェトが作った憲法に代わる新しい憲法を求めた。

民衆の抗議運動に屈したピニェラ政権は、今年5月に新憲法作成のための憲法制定会議を創設せざるを得なかった。

左派が多数を占めた制憲会議では、いま、ピノチェット時代の法律と規制を違憲化=無効化しようとしている。

しかしカストが大統領になれば、新憲法の承認と実施には大きな困難が発生しただろう。

大統領選挙の経過

11月21日、第一次投票が行われた。7つの政党が候補を擁立した。

この投票では1位がカストで28%、2位がボリックで26%だった。

この投票で注目すべきことは、投票率の47%という低さである。

そしてこの度の決選投票ではボリックが56%を獲得し、44%のカストに圧勝したのである。

この時の投票率は55%に達した。国民は最終レースに的を絞ったのである。


左翼を支えた社会運動

チリでは非民主的制度のもとでの政党への不信があり、選挙・投票行動はあまり盛んではなかった。

チリの社会運動には2008年と2011年の学生・高校生運動と2019年からの市民運動という大きな流れがある。

新大統領のボリックも、この流れを代表する若者の一人である。

チリ南部で育ったボリックは、2011年の学生運動の高揚時に、指導者として注目を集めるようになった。

彼は政党に属さず、無所属の候補として国会議員となった。彼の主な公約は、先住民の権利を保護し、年金改革と公教育を支援し、国民皆保険を導入し、富の不平等の削減に取り組むことであった。


左翼統一候補の選出過程

2021年7月、左翼統一候補を決めるための予備選挙が行われた。

ボリックは最有力候補であった。ボリックは「社会集中党」を組織し、中道左派の諸政党を中道左派連合に結集した。共産党を中心とする左派連合は、大サンチアゴ市のレコレータ区長であるダニエル・ハドゥエを擁立した。

ボリックが勝利し、左派はボリック支持で一致した。こうして強固な左翼連合が形成された。


大統領選挙の争点

カストは選挙戦当初より、強力なイデオロギー攻撃を仕掛けた。

それは第一に激しい反共攻撃であり、第二に家族の絆を壊す人工妊娠中絶に反対するというキャンペーンだった。

彼には誇るべき家族があった。彼の兄弟には経済学者、労働大臣、中央銀行総裁がいた。いずれもピノチェット独裁政権を支えた人たちであった。

彼の家族には隠しておきたい事実もあった。彼の父はドイツ移民であり、ドイツ在住時にはナチ党のメンバーだった。

彼の政策がチリをどこに導くかは最初から明らかだった。それは恐ろしいものであった。

カストは「秩序を立て直す」ことを訴えた。そのために

1.「軍に超法規特権を付与する」ことをもとめた。

2.権力の過剰な行使により訴えられた警官に法的防衛を与えることをもとめた。

3.大統領に反対運動を取り締まるための実力行使権を与える。

反急進左派の国際連合を結成し、過激派分子の捜査、逮捕、起訴に至る協調を実現する。

(そして最後に)国連を離脱する。


ヒロシマ船舶司令部の24時間

以下は佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」から堀川惠子さんがまとめたものを、その梗概という形で紹介したものである。
堀川さんの原著は、今年7月発行された「暁の宇品…陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」(講談社)というものだ。
なかなかしんどい読み物だが、この本を書いた経過が、はるかにしんどいものなので、文句は言えない。

佐伯司令官
佐伯文郎船舶司令官

午前8時15分 広島市中心部上空で原爆が爆発。爆心に位置した中国軍管区司令部、広島駅近くの第2総軍司令部などの軍中枢は、瞬時に機能を失う。
第2総軍司令官畑俊六は奇跡的に死を免たが、指揮を執る部隊は壊滅していた。

午前8時20分 爆心から4キロ離れた宇品の船舶司令部では、佐伯司令官が指揮をとり、篠原参謀らを偵察に出す。

篠原隊は中心部から2.3キロの御幸橋まで進むが、そこから先はすべての建物が倒壊して進めず。
篠原隊は御幸橋を渡らず、北方に迂回。数百メートル先の富士見橋から市内に入る。多発する火災の中を徒歩で市役所前まで到達。
さらに北上し、軍管区司令部まで1キロ足らずの地点まで進むが、火炎はますます盛んとなる。火災が神谷町方面まで燃え続いていることを確認し、進行を断念。退却に入る。
救難部隊の展開方向
救難・救援部隊の展開方向

各偵察隊が船舶司令部に帰投。宇品の部隊のみが唯一の機能兵力であることが確認される。

午前8時50分 佐伯司令官は全力を上げて救援活動に注力するよう指令。途絶した陸上交通にかわり船舶の最大限活用を促す。

以下は、佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」による。

最初の指示概要は以下の通り
1.消火艇が出動。京橋川両岸の消火活動を開始。
2.救難艇が出動。京橋川を朔江し救難活動を展開、患者を似島に護送する。
3.深刻な被害を受けた千田町(比治山)の船舶通信補充隊に対し救援活動。
4.宇品への火災波及に備え、破壊消防を準備。
5.幸の浦の特幹隊は現場待機とする。

午前9時30分 偵察活動により、元安川東岸にも火災が広がっていることが確認される。
これに対し、
1.消火艇2隻が出動。元安川を朔江し、赤十字病院周辺を中心に消火活動。
2.救難艇3隻が出動。患者の救難にあたる。

午前10時 船舶司令部で高級参謀会議。これが米国の新型爆弾によるものであり、原子爆弾であろうとの認識で一致。
陸軍大臣と参謀総長あてに下記を出信。
「B29、4機広島に来襲し、原子爆弾一を投下。広島市大部壊滅す」
御幸橋
有名な御幸橋の写真

京橋川の火災、東岸から西岸に拡大。
1.船舶衛生隊が出動し傷者を救護、船舶練習部から救護班を編成し、衛生隊を支援。広島船舶隊がさらに傷者を似島に後送。
2.野戦船舶本廠から100名を選抜し、専売局付近で破壊消防に当たらせる。(船舶司令部を保全するためか?)
3.エンジン付きはしけ4隻を元安川南大橋付近に出動し、救難活動。

午前11時30分 佐伯船舶司令官、隷下部隊に、平常業務を中止し救護に入るよう指示

午前11時30分 似島収容所の救護が繁忙となったため、第10教育隊より100名を増派。

午前12時 比治山北側地区に火災が拡大。海上防衛隊の消火艇隊の一部が猿猴川を遡上し、当該部の消火にあたる。

昼前までに、江田島の㋹特幹隊も救護・消火作戦への参加を命じられ、大発・特攻艇で進出する。

昼前後 宇品の凱旋館大広間は被爆者の一時収容所となる。収容者数は1千から2千へと達する。
凱旋館が満杯となった後、傷者は逐次舟艇で、似島、金輪、坂、鯛生、小屋浦、楽々園方面に後送される。

午後1時30分 佐伯船舶司令官、電報班を除く全司令部員に常務を停止し救護に専念するよう指示。

午後 指示の内容は救護救援から、補給任務(防疫給水、衣食配布、炊き出し)など多岐にわたるようになる。
補給路が限られるため、指揮系統の分散は不可能。このため佐伯司令官が頻回に指示を出し、各隊に電報で伝達される。

午後4時50分 船舶倉庫より食糧・衣類を放出。宇品方面及び己斐方面の2方面より都心に波及せしむ。

夕方、偵察将校が第2総軍と接触。軍はほぼ壊滅状態にあったが、幕僚と連絡がついた。総軍命令を受け隷下に入る。
これに基づき、あらためて警備並びに戦災処理の任につく。

夕方、佐伯司令官は第2総軍の指名を受け「広島警備担任司令官」に着任。船舶部隊に加え、広島近隣の陸軍全部隊を配下に入れる。

佐伯の指示で広島市内を東、中、西の3地区に分け、それぞれを船舶兵団、船舶練習部、野戦船舶本廠に受け持たせる。

各地区は佐伯の司令を待つことなく、現場の状況に応じて独自に判断させることとした。

夕方、佐伯は新任務を追加。
1. 救護・警備の6つの重点地区を定める。
2. 当初は傷病者・難民の対応を、ついで交通路の確保、ついで保安・警備の確保。
3. 現体制を維持しつつ、翌日昼までに逐次、新配備に移行する。

金輪島などの基地で炊き出しが始まり、市内進出部隊に食糧が届けられる。

8月7日朝

布告「広島市民ニ告ク」が市内重点地区に張り出される。

今回の事態は米軍の、人道上許すべからざる特殊爆弾によるものだ、
佐伯船舶司令官が広島警備担任司令官に任ぜられたこと、
闘魂を振起し、戦災復旧への協力を望む。


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ここまでが、堀川さんの本から拾い上げた、「船舶司令部の24時間」である。

当時の軍部の発想からは到底考えられないような、迅速果敢な行動が次々に積み上げられていったことはまことに興味深い。

堀川さんも指摘しているとおり、いわば佐伯氏の手記にもなっていることから、客観性が問題となるところもある。

堀川さんは、佐伯の行動の蓋然性を関東大震災後の机上演習にもとめている。おそらくそれは正解であろう。デザスター時の対応が頭に叩き込まれていた可能性がある。

ただ、それがすべてで、そこにはパッションの問題はなかったのだろうか、

というので、私は8月7日の朝、市内各所に張り出された司令官布告の文章が気になる。

人道上許すべからざる特殊爆弾」による被害という一文である。もしこれが、間違いなく7日の朝に出した「布告」の文章だとするのなら、この指摘はきわめて新鮮である。

軍隊の発想から抜け出している。と言うより、それどころではなく、時代を突き抜けている発想だとしか言いようがない。

世界の歴史で最初の原子爆弾が投下され、爆発したその日に、その場所に、「何よりも人の道から外れたものであるがゆえに、許せないものだ」と喝破した最初のひとがいた、ということを、私たちは記憶に留めておくべきだ。

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ここから下は、「中国新聞」に掲載された被爆直後の救護活動の時刻表である。ヒロシマ新聞というネット紙からの再転載だが、このサイトは現在は消失している。
かなり補い合う情報もあるので、再掲する。

元記事は 

宇品から見た中心部
ヒロシマ新聞より転載。午前9時ころ、宇品の船舶練習部から中心部方面をとった写真である。おそらく2,3キロ位のところまで煙(二次火災)に包まれており、それから先は見えない。

直後 船舶司令部は、佐伯文郎司令官の指示で第二総軍、県庁、市役所などに電話連絡を試みる。いずれも不通のため、兵士を各方面に偵察に出す。

午前8時50分 消火艇、救護艇を川から市中心部へ派遣。あわせ救護、消火活動に各部隊を振り分ける。(宇品には全国から徴用された民間船が集結していた)

午前9時 被災者が船舶司令部に集まり始める。当初は被害を受けてない軍医二人、衛生兵三人、看護婦五人が治療に当たる。

殆んどが全身火傷で、すすだらけで黒ずんだ顔。髪の毛や衣服はぼろぼろに焼けちぎれ、肌は焼けただれたり火ぶくれになっていた。皮膚はたれ下がり、又、皮膚や肉片が衣服にくっついていた。担架に乗せようとすると皮膚がずるりと剥けて、手のほどこしようがなかった。
…火傷臭と死臭の漂う収容所内で何度も遺体の搬出をおこなった。船で似島(検疫所)へ移された。

午前11時 佐伯司令官、中国地方の各基地に対し、「敵の新型爆弾が広島市に投下さる。各基地は全力を挙げて復旧救援に従事せよ」との指令を発出。

午前12時 江田島・幸の浦基地の部隊(船舶練習部第十教育隊)が宇品に到着。そのまま市内に進出し救援作業に当たる(この部隊は特攻隊で、ボートで敵船に突っ込む訓練をしていた。マルレ艇を見よ)

午前12時 千田町の広島電鉄本社に指揮所を設置。負傷者の救護にあたる。宇品では対応できないと判断した司令部は、対岸の似島検疫所へ船による輸送を始める。(金輪島へも多くの負傷者が運ばれている)

午後1時 宇品地区の水道が減水。幸の浦基地より衛生濾水器を輸送し、水を確保。罹災者に乾パン、作業着、蜜柑缶詰などを配給する。

午後2時 この時点までに収容した負傷者は1300人。その後も後を絶たず。

夕方 船舶教育隊(石塚隊)が紙屋町、八丁堀のあいだの屍体発掘作業。

7日、船舶司令部の佐伯司令官が「広島警備本部」として市内の救援活動や警備活動の指揮をとることとなり県庁・県防空本部を指揮下に入れる。


中国ブリーフィング

採取更新 2021128

決裂から再開へ: バイデン以後の米中経済関係タイムライン

US-China Relations in the Biden-Era: A Timeline

 

バイデン政権の発足

2021120日 バイデンが第46代大統領に就任。一連の大統領命令に署名する。そこではCOVID-19、気候変動、不平等と人種差別などの解決を優先した。中国との交渉は急がないと語る。

 17日目:25日 ブリンケン米国務長官が楊潔篪(ようけっち)と電話会談。ブリンケンは人権を強調し、楊は内政への干渉をやめ、中国の主権を尊重するよう求めた。

 22日目:210日 バイデン大統領と習近平が最初の電話会談。米国側は経済慣行、人権、台湾に関する懸念を強調し、中国は相互尊重、協力、対話に焦点を合わせた。

 50日目:310日 バイデン政権は、コロナ対応のため中国発の医療製品への関税を除外。

 51日目:312日 Huaweiを含む5つの中国企業が、米国の新しいブラックリストに 選ばれる。これにより投資・供給・購買に制限が課せられる。

 31757日目 香港での北京の政策に関連して、24人の中国・香港当局者を制裁。これらと関係した外国の金融機関は、米国の制裁の対象となる。

 

最初の大規模な決裂

5860日目:31820日 アンカレッジでの最初のハイレベル会議。米国からブリンケンとサリバン、中国から楊潔篪と王毅が出席。双方が公開の場で非難を応酬。

米国は「ウイグル、香港、台湾、サイバー攻撃」などを指摘。楊潔篪は、米国が中国を「見下している」と非難する。

 62日目:322日 EU、米、英、カナダがウイグル問題で中国を共同制裁。中国は 10人のEU市民と4つの団体を報復制裁。

HM、ナイキ、アディダス、バーバリーなどがウイグルでの強制労働に懸念を表明、中国はボイコットで応答。

 79日目:48日 米国商務省、中国のAT企業7社の活動を禁止。米企業のこれらとの取引を禁止。

 79日目:48日 上院外交委員会のメネンデス委員長ら、超党派の「2021年の戦略的競争法」で合意。

「中国の世界的な影響力に対抗し、米国のリーダーシップを維持する」ことを目的とする。300ページにわたる広闊な制裁法案。

 87日目:416日 ジョン・ケリー元国務長官(現気候変動問題担当特使)が上海を訪問。バイデン政権の高官による中国への最初の公式訪問となる。

「気候危機に取り組み、パリ協定の実施を完了し、グラスゴーでのCOP26を成功させるために協力する」ことで合意。

 87日目:416日 日本の菅義偉首相が訪米。「台湾海峡の平和と安定の重要性」について認識を一致。「中国の台頭に対抗するために同盟を強化すること」で合意。

 132日目:61日 イエレン財務長官と中国の劉鶴副首相との電話会談。「米中経済関係が非常に重要である」との認識で一致。

 134日目:63日 バイデン大統領、防衛技術部門の中国企業59社に、上場と対米投資を禁止する大統領令。

 139日目:68日 米国上院が「2021年の革新と競争法」を可決する。

制裁条項に加え、さらに2500億米ドル以上を投じ、5Gイノベーションを促進する。

 141日目:610日 全国人民代表大会、反外国制裁法を承認。米国とEUの制裁に対抗するための法的基盤。

 

G7NATOと「疑似多国間主義」

 142日目:611日 楊潔煥とブリンケンの電話会談。ブリンケンは、香港、ウイグル、台湾の問題を指摘し、コロナウィルスの発生源問題にも触れた。

一方で、朝鮮半島の非核化、イランとミャンマーなどでの「共有された世界的課題」、気候危機などについて米中協力の可能性を指摘した。

楊は「一つの中国の原則」を強調し、米国の「疑似多国間主義」を批判した。

 613144日目 G7首脳会議。ウイグル、香港、コロナで中国を非難。「世界経済の公正で透明な操作を推進し、非市場政策や慣行に挑戦する」と声明。

 145日目:614日 北大西洋条約機構(NATO)会議、「中国の表明した野心と断定的な行動は、国際秩序に体系的な課題を提示している」とし、「対ロシア同盟」から「対中国」への衣替えを宣言する。

中国は、「NATOは中国の軍事力を誇張してはならない。中国はNATOに対しいかなる挑戦も行わない」と反論。

 154日目:623日 米国、ウイグルからのソーラーパネルの輸入を禁止。中国の関係5社への制裁も強化される。

 170日目:79日 米国、23の中国企業を「人権侵害と虐待に関与している」とし、経済ブラックリストに追加。

 175日目:714日 米国上院、「ウイグル強制労働防止法」を採択。ウイグル自治区からの商品が強制労働によって製造されていると仮定する無茶苦茶な推定を前提とする。

 184日目:723日 中国は7人の米国市民と団体に「反外国制裁法」を適用。ヒューマン・ライツ・ウォッチや「香港民主主義評議会」が対象となる。

大橋英夫氏によれば、

米国は議会、G7NATO、人権NGOなど持ち駒のすべてを晒した。しかし明瞭な効果を上げたものはなく、外交は膠着状態に入った。シャーマン国務副長官が訪中したが、格段の成果はなかった。

年表ではこの後62日にわたり記載が途切れるが、大橋氏はこの間の経過を細かく追っている。

 

雪解けの兆し?

8月末 ケリー気候変動担当大統領特使が訪中。韓正副首相、楊潔篪、王毅とオンライン協議。

8月末 新駐米大使秦剛が着任、対話と協力を呼びかける。

99日 米中首脳電話協議。「両国の利益が重なる分野、利益・価値観/認識が異なる分野に関して開かれた率直な関与をすること、競争を紛争にしないことを確実にするための協議を行うこと」で合意。米国側は台湾・ウィグルに言及せず融和的姿勢を示す。

921日 国連総会、一般演説。バイデン大統領は「競争はするが紛争にはしない。新しい冷戦や分割された世界を望んでいない」と語る。習近平はこれに応じて「海外での石炭火発計画の停止」を宣言。

 246日目:924日 Huawei CFOの孟晩舟が中国に戻り、中国勾留中のカナダ人2人が解放される。カナダのトルドー首相は、北京との貿易関係を維持することに熱意。

924日 QUAD首脳会議。人類的・抽象的価値を謳い上げる。米中関係修復の煙幕の可能性。

258日目:106日 チューリッヒでサリバンと楊潔篪が会談。バイデン大統領と習主席が、年末までにオンライン会議を開くことに合意。

このあとネオコン系のブリンケンは対中交渉から外れ、サリバンが交渉の主役となる?(鈴木)

 274日目:1022日 米国の諜報当局が、人工知能・量子コンピュータ、バイオテクノロジー、半導体、自動制御システムの5つの技術分野で、米国の企業や研究機関と中国との交流に警告。

 278日目:1026日 イエレン財務長官と劉鶴副首相とのビデオ会談。マクロ経済政策のコミュニケーションと調整を強化することで合意。

 278日目:1026日 連邦通信委員会(FCC)は、中国最大の国営通信会社の米国内での営業許可を取り消し。

逆に、議会では、超党派での対中強硬論が強まる。バイデン政権の「変節」する勢力も出現。中国政府の補助金に対する通商法301条の適応を迫る動きも(大橋)

 293日目:1110日 米国と中国が、気候変動対策に関する共同宣言を発表。「気候に関しては、協力がこの仕事を成し遂げる唯一の方法」と述べる。

 298日目:1115日 バイデン大統領と習近平国家主席が、最初のビデオ会議。二国間関係、台湾への態度、コロナ問題、気候危機とエネルギー、北朝鮮・アフガンなど、3時間半以上にわたる。

 299日目:1116日 米中は互いのジャーナリストに対するビザ制限を緩和。

 314日目:122日 米国証券取引委員会、上場廃止措置に伴う規則を中国企業にも適用。

 318日目:126日 バイデン政権は人権問題を理由に、外交または公式の代表者を北京22冬季オリンピックとパラリンピックに派遣しないと 発表。
中国は「スポーツの政治化」に反対し、「断固たる対策」を講じる と述べる。

 

青空文庫を読む

「短歌習作」 宮本百合子
https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/16010_30019.html


うすらさむき秋の暮方なげやりに
  氷をかめば悲の湧く
角砂糖のくずるゝ音をそときけば
  若き心はうす笑する

首人形遠き京なるおもちや屋の
  店より我にとつぎ出しかな
はにかみてうす笑する我よめは
  孔雀の羽かげ髷のみを出す

雨晴れし後の雨だれきゝてあれば
  かしらおのづとうなだるゝかな
夜々ごとに来し豆売りは来ずなりぬ
  妻めとりぬと人の云ひたり

ひな勇と我れ

あるまゝにうつす鏡のにくらしき
  片頬ふくれしかほをのぞけば
   ひな勇を思ひ出して
姉妹の様やと云はれ喜びし
  京の舞子のひな勇と我れ
紫陽花のあせそむる頃別れ来て
  迎へし秋のかなしかりしよ
たゞ一人はかなく逝きしひな勇は
  いまはのきはに我名呼びきと
我名をば呼びきと低うくり返せば
  まぶたのうらは熱くなり行く
思ひ出でゝひな勇はんと低うよべば
  白粉の香のにほふ心地す


習作 1913(大正2)年頃の執筆と推定される

百合子は1899年(明治32年)の生まれ。この歌集の執筆時は14歳となる。ということは彼女の12,13歳の心の流れだ。
最初の二種は、百合子の生活が庶民には想像もつかぬほど贅沢だったということ。
“助六の紅の襦袢” は観劇後の感想であろうか? 私には知識がなく受け止めきれない。

京人形が我がもとに “とつぐ” という発想は面白い。
しかもこれが、ひな勇への淡い恋心への伏線となっていて、ひな勇のイメージを隈取っている。 
ひな勇が鏡の中の自分の顔の向こうに登場する技巧は映画的だ。
ただし前後の螺鈿箱の歌は、あまりに映画的だ。なくもがなと思う。

たっぷりと伏線を張って、一気にひな勇のラメントへと引き込む技巧は、すでに大人のものだ。
それが、少女の稚さを残しながら乙女へと変わりゆく、心のゆらぎを捉えた。
そしてそれが、歌集という額縁の中に、見事に落とし込まれている。

DEC 9, 2021

The Straits Times

Tommy Koh

Singapore left out of summit

because US doesn't see it as a democracy

https://www.straitstimes.com/singapore/politics/spore-left-out-of-democracy-summit-because-us-doesnt-see-it-as-one-tommy-koh

 

はじめに

ベテラン外交官で元中米代理大使のTommy Koh氏の著書の出版記念講演会が開かれ、期せずして真剣な討論会となった。

「シンガポールから見た米国」を発表したトミー・コー元特使は、レクチャーのなかでこう語った。

 

コー氏の発言

シンガポールは、米国が招集した110カ国の民主主義サミットに招待されませんでした。

なぜなら、米国の民主党がシンガポール共和国を民主主義国として受け入れたことは一度もないからです。

まず、米国が都市国家という国家のあり方を軽視しているということです。

そしてもう一つは、この会議が当初から世界の分裂を前提した会議だということです。

2日間のバーチャル会議は、より自由で開かれた社会の推進にあったはずです。それを米国が推進しようという話だったのです。

しかし最初から中国とロシアは排除されていました。オブザーバーにすら招待されていません。

このような不寛容な自由とは一体何なのでしょうか。

中国とロシアは権威的で独裁的な国家と位置づけられ、いま、世界の民主主義の闘いが直面する敵と捉えられています。

しかし、そもそも、米国の国内では民主主義そのものが、さまざまな挑戦に直面しているではありませんか。

トランプ前大統領は、選挙での敗北を認めることを拒否しました。そして、1月にはトランプを支持する者がトランプの呼びかけを受けて連邦議会を襲撃しました。

 

マンスール米代理大使の釈明

講演の後のコメントをもとめられて、米代理大使ラフィク・マンスールは、「民主主義サミット」の目的について次のように述べている。

我々は世界的に民主主義を広げるつもりです。それは我が家(米国)でも始まることになるでしょう。

我々は非難を応酬するのではなく、取り組みや経験を交流したいと思います。なぜなら民主主義というのは、タフでハードな任務だからです。

コウ特使から不招致の理由を問われたマンスールは、「招待できる数は限られている」と答えた。

それは先週、米国国務次官補の東アジア太平洋問題担当ダニエル・クリテンブリンクが答えた中身を繰り返したものである。

そしてマンスールはこう付け加えた。

この決定は、米国とシンガポールとのパートナーシップの深さと広さを正しく反映したものではありません。民主主義についてシンガポールから学ぶことはたくさんあります。

 

 

米国擁護発言とコー教授の反論

元ニューヨークの国連常駐代表だった元外交官のカウシカン氏が、米国を弁護してフロア発言した。

米国はシンガポールを「共和国」としては招待しなかったが、その他の面では「大いに支持」しました。

しかし、コー教授はそれに反論した。

シンガポールは、

*選挙権の付与、自由で公正な選挙の定期的な実施、

*基本的な自由と権利を保護する憲法の制定、

*独立した司法および法の支配。

など、民主主義の基本的基準を完璧に満たしています。

留意すべきは、民主主義には単一のモデルはないということです。シンガポールの政治スタイルも、シンガポールならではのユニークな特徴を数多く備えています。

おそらく米国の目には、こうしたシンガポール・スタイルの民主主義は真の民主主義ではないと見えたたのではないでしょうか。

 

チャン教授のフロア発言

1996年から2012年にかけてシンガポールの駐米大使を務めたチャン教授は、次のように述べた。

民主主義サミットは明らかに良い考えではなく、招待された国のいくつかは眉をひそめる選択肢です。

米国は、中国とロシアの「人権侵害」とされるものに反対を表明しています。しかし、パキスタンやブラジルのような国々は、同様の批判に該当するにも関わらず招待されているのです。

 

コー教授の締めくくり発言

コー教授は、民主主義、人権、個人の自由を促進するという米国の主張の真意を理解する必要があると述べた。

多くのアメリカ人は、それがほとんど彼らの神聖な使命だと感じています。

これに関してはカウシカン氏も、コー教授に異議を唱えなかった。

アメリカ人は、彼らの魂を祝福します。それは発作的なものであり、彼らは定期的にこの発作を繰り返します。そして、そのことを知っている私たちは、これらの発作にもかかわらず、依然として彼らを愛しています。

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なお付け加えれば、日経新聞は以下のように注意喚起をしている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN091ZW0Z01C21A2000000/

サミットには欧州の主要国や日本、韓国、インドに加えて台湾も参加する。中国が台湾への圧力を強めるなか、民主主義を守るためにも台湾を支援すべきだとする国際世論をつくる米国の思惑が透ける。

米政権は北大西洋条約機構(NATO)加盟国でありながら強権姿勢を強めるトルコやハンガリーを外した。タイやベトナム、シンガポールなども招いていない。招待の基準は曖昧で、招待国と非招待国で新しい分断が生まれる懸念もある。

さらにアジア総局長兼論説委員の高橋徹氏は以下のようにコメントしている。
民主主義サミットへの「参加資格」があるか否かを、米国が勝手に線引きしたことに違和感を覚えます。民主主義は米国の専売特許ではありませんし、サミット自体も何かを決める場ではありません。
招待する、しないではなく、目的とアジェンダを明確にしてオープンに参加を呼びかけ、出席の是非は各国に委ねた方がスマートだったのではないでしょうか。米国はアジア各国に対して「米中いずれかという踏み絵を迫ることはしない」と言っていますが、米国の方から選別をするなら同じことでは?稚拙に思えるやり方に、米外交の劣化を感じるのは私だけでしょうか。


マイケル・ハドソン
Life & Thought: An Autobiography
Interviews at Peking University
August 2018 


トロツキーの名付け子に生まれて

私はミネアポリスで生まれました。1930年代、そこは世界で唯一のトロツキストの都市でした。

私の両親はメキシコでレオン・トロツキーと一緒に働いていました。

私が3歳のとき、父はレーニンとマルクスの作品を棚に置いていました。そして1934年から1936年までのミネアポリスのゼネストの指導者の一人でした。

父は1929年にミネソタ大学でビジネスの修士号を取得して卒業しましたが、その直後に大不況が襲いました。

彼はラテンアメリカに行って億万長者にななるつもりでした。しかし資本主義は不公平でした。それが彼をトロツキストにしました。

彼は労働新聞、「北西の組織者」に入って活動をはじめました。そこには古いドイツ共産党のメンバーであるアメリカ人がいました。

そのことで、政治犯として刑務所に入れられました。わたしが3歳だったときです。刑務所仲間の人たちはロシア革命の古参で、レーニンが政権を握っていたときの中央委員会のメンバーでした。

父が刑務所を出たあと、私たちはシカゴに移り、そこで彼は「交通世界」紙と「運輸新聞」の編集の仕事に就きました。

私が成長するあいだ、彼らは皆、家に来て、革命の話をしてくれました。私がおとなになった時、革命を指導するように期待されました。

私は10代の頃から、「正しい革命の条件とは何か」などについて話し合いました。

しかし、当時私は、実のところ政治にはそれほど興味がなく、物理学、化学、そしてますます音楽に魅了されていました。


シカゴ大学の思い出

私はシカゴ大学に入学しました。そこは選ばれた才能のあることもが進む大学でした。

父のIQは、連邦刑務所の受刑者で最高のIQを持っていたと言われていました。「きっと子供も優秀だろう」と思われたのか、かなり飛び級をしました。14歳のときに、学年は高校1年でした。

高校の社会科学の教師は名だたる右翼のCurtisEdgettでした。彼は私をコミーと呼び続けました。

彼は教室の黒板に「ローゼンバーグの獲物を全部差し出せ」と書いた。ローゼンバーグはスターリンのスパイでした。「どういう意味ですか?共産主義者という意味ですか?」私は聞いた。彼は言った。「いいえ、ユダヤ人の意味です」
(ローゼンバーグはユダヤ系米国人。原爆の秘密をソ連に漏らしたとの疑いで処刑される)

まあ、彼は共産主義者である私をスターリン主義者と呼ぶかもしれない。しかし、同級生であるダニー・ランダウはスターリン主義者だったので、彼は私をファシストと呼びました。

だから高校では、私は常識的な“中道派”でした。それは私の人生の中で私が中道派だった唯一の時です。

友達と私は教室でレーニンの著作を隣の机において、引用するのが常でした。

私の父が刑務所にいたとき、彼がしたことの1つは、レーニンとトロツキーがさまざまな主題について言ったことすべてを、辞書のかたちに編集することでした。

教授たちはレーニンがどこでそれを言ったのかを聞きます。そして私は私は手を挙げて、第6巻の322ページと言います。私の学生はまだそこにはいません。

私が右翼に嫌われるのが好きなのは、そのためにたくさんの友達ができたからです。スターリン主義者が私をファシストと呼び、ファシストが私を共産主義者と呼んでいる間、私はシカゴの社会主義青年グループに多くのメンバーを結集ました。


音楽家を目指す

当時は音楽に興味があり、ピアノを学び、基本的に指揮者になることを目指しました。

1959年にシカゴ大学では、文献学とドイツ文化史を専攻していました。しかし在学中は、ドイツの音楽理論家ハインリヒ・シェンカーを中心に音楽理論を勉強していました。

1960年にレフ・トロツキーの未亡人ナタリアが亡くなったとき、私はトロツキーの名付け子だったので、遺言執行人マックス・シャハトマンが私に著作権を割り当てた。かれは私に出版社をやるべきだと言った。

私はハンガリーの文芸評論家であるジョルジュ・ルカーチと連絡を取り、彼は著作権を与えてくれた。

私はニューヨークにでて、出版社を始めようと思いました。その間にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者ディミトリ・ミトロプーロスに指揮を勉強しようと考えました。

第一部終わり 


BY BRINDA KARAT

インド農民の勝利の教訓:人民が団結すれば勝利できる

なお、著者ブリンダ・カラットは、インド共産党(マルクス主義)の政治局員で、全インド民主女性協会の指導者である。

India-farmer-boy

以下は抜粋です。

農民闘争勝利の意義

モディ政権が提出した3つの農業関連法案はついに撤回された。それはインド農民の歴史的な勝利である。それは政治における大衆闘争の重要性を象徴している。

「統一農民戦線」(SKM)が指導した農民闘争は政府を防戦一方に追い込み、闘争は全国に張り巡らされたBJPの支配とBJP政府に対する全面的な闘争に発展した。

BJP (Bharatiya Janata Party インド人民党) はインドの政権与党。モディが党首兼首相。ヒンズー教原理主義を党是とし他宗教や社会主義への嫌悪を隠さない。デマにより仮想敵を作り出し、脅迫的手法(ときに暴力)で政敵を追い込むことで、議会多数派を形成した。

BJPが加えた「Lakhimpur Kheriの残虐」は8人の犠牲者を出したが、それはBJPの残忍さの象徴であるだけではなく、農民運動の強さの象徴でもあった。

大企業の立場に立ち、新自由主義を推進する勢力と人民勢力の力関係を考えた場合、変革の引き金として(議会闘争だけではなく)このような大衆闘争がますます重要になってくる。

とくにインド共産党(CPI-M)を中心とする左翼勢力は、農業と農民の苦悩に寄り添い、問題に対処し、変革のビジョンを提示することを通じて、一貫して中心に立ってきた。
shukuhuku
       農法が廃止されたというニュースを祝う

他の野党は、それ以前の立場に関係なく、農民の要求と闘いを支持するようになった。大衆闘争が政治を動かすだけではなく、政治戦線を動かすことになった。

今回の農民運動の最大の特徴は、出身階層によって差別化されていないことである。共産党系の農民戦線である「全インド農民組合」へ、貧農・農業労働者の組合などが結集し、さらに一般労働者の組合が連帯して闘った。

その闘いに、これまでモディ政権の支持基盤となっていた中農・富農の人々も結集するようになった。


市場システム導入の挫折

農業が成り立っていくためには、多くの食料が生産されなければならない。

そのためには十分な広さの土地、種子や肥料などの生産原料、貯蔵・運輸などをふくむ市場へのアクセス、そして天候に左右されない最低支援価格制度が必要である。

しかし貧農の大部分はそれらの恩恵とは無縁となっている。

モディ政権は歴代政府の農業保護政策を切り捨て、農業協同組合システムを放棄し、アグリビジネスにこれらの管理・運営を委ねようとした。

しかしこのような農民を分割と、企業による支配の試みは完璧な失敗に終わった。今後、広範な貧農層の不安や要求は、農民統一戦線によって解決の方向が示され、包括的に対処されていくだろう。


農村女性の果たした役割

この農民闘争は、農村女性の解放闘争でもあった。女性たちの闘争は、女性が「自立した農民」であり、「働く女性」であることの認識を高めた。女性が闘争を支え、闘争が女性を後押しした。

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    ハイデラバード警察により拘束されるCPI(M)活動家

北部の農村では、「長老会議」のメンバーになる経験さえ生まれた。

これらは、大衆闘争政治の土壌で育った緑の芽である。しかしまだ芽に過ぎない。それは今後の大衆闘争の政治力が強化されることでによってのみ真の力となっていくであろう。


モディ政権の行った空前の弾圧

モディ首相は敗北を認めたが、間違いを認めたわけではない。彼の演説には謝罪や後悔の言葉はない。モディ政権は農民に、テロリスト、裏切り者、破壊者、嘘つき、犯罪者などさまざまなレッテルを貼りつけた。

内閣の閣僚の一人は、ラキンプルケリの虐殺に関与している。彼らは機会が与えられれば、再び法を推進しようとしている。


闘いのもう一つの課題: 最低価格保障

統一農民戦線は闘いのもう一つの課題、すなわち「農産物の最低支援価格の法的保証」た実現するまでは戦いを続けると宣言している。

さらに他にも、いくつかの重要な争点が残されている。

BJPにとっては残念なことだが、今回のモディ声明によって、来たるべき総選挙で農業問題が争点から外れることは期待できないだろう。


BJPの巻き返し

それでもBJPは総選挙に向けて、有毒な民族的・宗教的スローガンを叫び始めた。

「愛のジハード」キャンペーンは、イスラム教徒がヒンズー教徒の女性と結婚して改宗させるというフェイク作戦である。ほかにも「牛虐殺に反対するキャンペーン」や、警察にイスラム教徒を自由に逮捕する権利を与える動きなどだ。

宗教コミュニティや被差別カーストの抵抗は続くが、いまのところ分裂キャンペーンへの反応は鈍い。

BJPは農民の要求を受け入れることで反感を反らせ、得意技の分裂キャンペーンで失地回復を狙っている。

モディ発言は、農業法の断念ではなく選挙を前にした一時的休戦の可能性があり、今後とも注意を怠ることは許されない。


BJPの階級的性格

BJPはそもそも農民票など当てにしていない。そんなことをしなくても議会で過半数を維持できる。

それどころか、BJPはそもそも農民や労働者と敵対することを活動の柱に据えていた。農民の指導者は非国民と罵られた。

ダーリットや都市の下層カーストの人々は「都市ナクサライト」(毛沢東主治を唱えるテロリスト)と呼ばれ、投獄された。


今後の闘いの展望

インドの農民・労働者は、彼らの勇気と団結で、独裁政権の機能を止め、独裁政権を打ち負かすことができることを示した。

農民運動の勝利は、もっと広い意義を持つ。

それは、私たちの憲法に謳われている正義と民主主義と世俗主義の価値を確認し、真理の側にいるすべての人々に自信をもたらすであろう。





この記事は2021年11月29日 Africa Japan Forum の記事の転載です。

南アとオミクロン株の関連については、非常に不正確に報道されているので、ぜひ拡散してください。

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「パンデミック条約」の討議にも負のインパクトを与える可能性

オミクロン株の登場でパニックに陥る各国の在り方を批判

11月中旬に南部アフリカで判明した変異株について、世界保健機関(WHO)は26日、これを「懸念すべき変異株」(VOC)に分類し、「オミクロン」と命名した。

各国はデルタ株の記憶もあって一斉に南部アフリカ諸国への渡航制限を相次いで発表した。

南アフリカ共和国の国際関係・協力省(外務省)は声明を発表し、新たな変異株の登場に対する各国の姿勢を厳しく批判した。

普段から変異株に注目し、積極的に遺伝子解析を行って、WHOの「国際保健規則」に忠実に透明性をもって世界に通知した南アフリカ共和国が、各国の支援を得られるどころか、国際航空網を断絶される結果となったことは、この「パンデミック条約」に関する議論にも大きな悪影響を与える可能性がある。

南アの専門家も欧州諸国の態度に懸念

WHOの保健緊急プログラムの責任者であるマイケル・ライアン氏は、安易に渡航制限を施行しないように各国に警告した。

そして各国のパニック的な渡航制限の実施を「条件反射的反応」(Knee-jerk reaction)と呼び、批判した。

南ア外務省はライアン氏の発言を引用し、「今回の各国の渡航禁止措置は、先進的なゲノム配列解析を行い、新たな変異株をいち早く検出してきた南アフリカ共和国に処罰を与えるようなものだ」と批判している。

また、今回のゲノム解析を行ったナタール大学感染症対応センターのオリベイラ教授は、「世界は南アとアフリカに支援を与えるべきで、差別したり孤立に追い込んではならない」と述べた。

その上で、「南アフリカ共和国は科学情報についてきわめて透明性を持って対応している。我々は世界を守るために、大規模な差別に痛めつけられる可能性があるにもかかわらず、こうした通知を行っている」と述べた。

WHOが所管する法的拘束力を有する条約には2つあり、そのうち一つが「国際保健規則」である。同規則では、公衆衛生上の懸念ある事態について、アセスメントした後すみやかにWHOに通報することを義務付けている。

今回、WHOの臨時の世界保健総会で検討されるのは、パンデミックに関して、この国際保健規則よりさらに包括的な条約を制定することである。

臨時世界保健総会では、「次のパンデミック」に関する、通知などを含めた備えの話を粛々と行うことになっている。しかし各国のパニック的対応を見た多くの国は、「こうした国際規則上の通報義務を履行しなくなるのではないか」、とオリベイラ氏は懸念する。

南アフリカ共和国は、COVID-19パンデミックが始まった時から、グローバルなCOVID-19対策についてリーダーシップを発揮してきている。南アは、2020年4月に発足した「ACTアクセラレーター」計画の共同議長を務めている。これはワクチン、診断、治療における開発と供給を一体で手掛ける国際的な行動計画である。

また、インドとともに世界貿易機関(WTO)に知的財産権保護免除提案を提出している。これは、まだ実現はしていないものの、各地域で生産能力の拡大プログラムが徐々に広がってきている。

一方、南部アフリカへの渡航制限を行った欧州の先進国は、ワクチンを独占し、南アを含む途上国との間に「ワクチン・アパルトヘイト」ともいうべき格差を生み出した。もしこのギャップがなく、途上国にも公平に医薬品が供給されていれば、「オミクロン株」やデルタ株のような変異は生じなかった可能性がある。

ボツワナでも保健省が声明発表:感染は外国からのミッション

一方、オミクロン株が最初に検出された南部アフリカのボツワナの保健省も、ボツワナにおける同株の展開について声明を出している。

これによると、もともとオミクロン株が最初に検出されたのは、ボツワナ国民ではなく、外交ミッションで訪問した4名の外国人外交官であった。その後、同保健省は濃厚接触者の追跡を行ったが、同株に感染した人はいなかった。


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鈴木(編集者)のブログの下記の記事もご参照ください。






カストロの勝利は、もうひとつのLA左翼の勝利

https://venezuelanalysis.com/news/15399

121日 ベネズエラ・アナリシス

ホンジュラス大統領選挙でシオマラ・カストロが圧勝した。左派自由党は12年間の国民党支配にとどめ
をさした。(正式な発音はンドゥラス)

シオマラ・カストロは、中米における初の女性大統領となった。対抗馬であった国民党のアスフーラに20ポイント近い差をつけての圧勝であった。

前回選挙では保守派の勝利をゴリ押しした与党も米国も、これだけの差を認めないわけには行かなかった。

hondurasartcle960


ベネズエラのマドゥーロ大統領
はカストロを祝福する声明を発表した。

これは歴史的な勝利です。とりわけ、2009年のマヌエル・セラヤ前大統領に対する野蛮なクーデター以来、声を上げ続けた英雄と殉教者の命と犠牲を称えたいと思います。
クーデターの後、この地を覆い続けたのは、自分勝手なネオリベラリズムの経済でした。国民の要求を無視し、政治的自由と基本的な人権を蹂躙するシステムでした。

 カストロの政治姿勢

新大統領となったシオマラ・カストロは他の中米諸国の指導者とは対照的だ。

反ベネズエラの合唱の輪に加わるどころか、マドゥーロの祝福に率直に感謝し、ボリバル革命への共感を隠そうともしない。

なぜなら、彼女はベネズエラやキューバ、ニカラグアをふくむ進歩同盟に加わり、そのために軍事クーデターで追放されたマヌエル・セラヤ元大統領の伴侶でもあるからだ。

左派自由党の国際担当書記ジェラルド・トーレスはBBCにこう語った。

セラヤ元大統領を追い出した後、政権についた保守党のフアン・オルランド・エルナンデス大統領は、フアン・グアイドをベネズエラ大統領として推挙しましたが、新政権はもうグアイドを大統領として認めることはないでしょう。

中米の左翼勢力の三連勝

ほぼ同時に行われたベネズエラの地方選挙では、与党ベネズエラ統一社会主義党が圧勝した。ニカラグアの国政選挙ではダニエル・オルテガが再選を果たした。

ホンジュラスにおける自由党の勝利は、西半球の左翼にとってさらにもう一つの勝利を意味する。

(私感:これらの圧倒的な民意を西側のメディアや市民勢力は黙殺し、「人権の名において」左翼勢力を非難し続けるのだろうか。もしそうなら、それは強烈なしっぺ返しとなって報復するだろう)


Right-wing Venezuelan invited to so-called democracy summit in U.S.
December 2, 2021
guaido960
  マスコミに語る右翼代表のフアン・グアイド(11月22日 カラカス)

バイデンの「民主主義サミット」

バイデン大統領は米政府主催の「民主主義サミット」に、ベネズエラ野党極右派のフアン・グアイドを招待すると発表した。

百カ国以上を招待した2日間の首脳会議は、広範な批判の的となっている。
ポーランド、フィリピン、インドが招待された一方、ロシア、トルコ、中国は出席を禁じられという、異例の構成となっているからだ。

北京政府は、台湾政府が招待されたことに対して衝撃を受けた。そしてワシントンの中国に対する新たな冷戦のステップと受け止めた。

中国は米国が独立国家として認めていない台湾を招待することを「間違った決定」と批判した。そして国交回復二の「一つの中国」という原則を尊重するようワシントンにもとめた。

多くの批評家は、グアイド氏の招待もまた、首脳会議の信頼性を損なう可能性があると眉をひそめました。


グアイド氏の非民主主義的な素性

というのも、グアイド氏の政治的背景は不確かで、あまり良い評判がないからだ。

彼は、トランプとバイデンの両政権によってベネズエラの暫定指導者として認められている。

しかし彼はこれまでの6年間、一度も大統領選挙に立候補したことがなく、そもそも6年以上にわたって選挙に参加したことさえない。

その代わり、グアイド氏は何度もクーデターの企てにかかわっており、それらはいずれも失敗に終わっている。

また2019年には、ベネズエラの現大統領ニコラス・マドゥロの誘拐作戦にも関係していたことが明らかになっている。

これは米国の傭兵部隊による秘密作戦で、大統領の誘拐・殺害を狙ったものとされ、グアイドが命令文書に署名したと言われている。


米国に従えば「民主」、従わなければ「制裁」

先週末のブルームバーグ紙の記事は「民主主義サミット」についてこう説明している。

「世界の多少なりともリベラルな国々がアメリカ主導の同盟を結んで、権威主義勢力に対抗する集会」

バイデンは「民主主義と独裁政治の間の世界的な闘争」について語った。そしてロシアと中国に対する敵対的な姿勢をさらに強め、他国の支持を集めようとしている。



EV開発競争はジャンプのルール改正と同じ

私はトヨタ自動車の社長とまったく同じ見解だ(嬉しくはないが)。EV唯一強制はヨーロッパの陰謀であり、気候変動とは無関係だ。

ハイブリッドとEVと比べてどちらがCO2減少に有効かは計算しないとわからない。

はっきりしているのは電源がどのくらい脱カーボンかどうかである。

たしかにEV優位説は、脱カーボンが6,7割を越えれば正しいものとなる。つまり電源構成により決まるのであって、走行エネルギー源によって決まるのではないということだ。

だから、いまの日本においてはまったく無意味な、それどころか真逆の選択なのだ。

この辺の数字は記事により相当の差があり、なんとも言えない
わかりやすい記事としては、
というもので、「CAR and DRIVER」という雑誌からDIAMOND Online が転載したもの。

それを押し付けるのは風力先進国のヨーロッパであり、それをテコに日本車を駆逐しようとしているだけの話だ。

それは、かつてスキーのジャンプのルールをめぐって繰り返されてきた欧州の身勝手さと同じ論理だ。


最初のルール「改正」

最初にヨーロッパ勢が身勝手なルール改正を押し付けたのは、1998年の長野オリンピックの後だ。

スキー板の長さが、これまでの「身長+最大80cm」から「身長の146%」と変更された。

細かい数字はどうでも良いが、身長170cm の選手の板長は2センチ短くなり、185センチの人は5センチ長くなった。それでなくても身長の高い人のほうが有利な競技だが、さらに15センチ+2センチ+5センチ=22センチも有利になったわけだ。

もし北欧の人々の身長が日本人より低かったら同じことをしただろうか。

これでジャンプ王国日本は奈落の底に突き落とされたが、そこから少しづつ立ち直ってきた。

ヨーロッパの自動車業界はそれと同じことをやろうというのだ。こういうのを「経済外的強制」という。


ペナルティの押し付け先が間違っている

とはいえ、たしかに風力のほうがいいのは間違いないから、平等を期すためにペナルティを課すというのは理解できる。

しかしもしペネルティを課すのなら、それは電力構成に関してのペナルティであるべきで、ハイブリッド車に責任を押し付けるのは不当というほかない。

とくに途上国や新興国に対しては立ち上げコスト、ランニングコストを考えれば、ハイブリット車による節電こそ当面推進すべきイノベーションである。

もちろん未来永劫というわけではないが、風力や日光に恵まれない国などではぜひとも真剣に考えるべきイノベーションであろうかと思う。


化石燃料は悪者ではなく、御先祖が残してくれた大事な遺産

それと炭素悪者論であるが、化石燃料は先祖の生命が我々に残してくれた、貴重な遺産でもある。これを食いつぶすのではなく大事に使い、自らも次世代に残していくことが先祖への供養でもある。

そういう考えを持って議論を進めていく必要があるのではないだろうか。

それを真っ先切って散々使って、地球を汚しておきながら、いまさらしゃあしゃあと御託を並べて、人を人非人のごとくに罵る。
その裏では欲の皮つっぱらかして、舌なめずりしながらそろばんを弾く、こいつはどういう料簡か。

菊五郎

5代目尾上菊五郎の肖像写真だ。
有名な6代目の実父。
1844年(天保15年)- 1903年(明治36年) 襲名は1867年(明治元年)
九代目市川団十郎、初代市川左団次とともに「団菊座」と囃されたのはこの人。
びっくりしたのは、顔立ちが浮世絵の役者絵とそっくりだということだ。
この人が派手な化粧をすると、多分東洲斎写楽の絵と同じ顔になるだろう。
写楽というのは相当、役者の顔をデフォルメしていたのだろうと思っていたが、 
これなら「そのままそっくりじゃん」と思う。
と、まぁ、それだけの話し。
頭はちょんまげではなくただのハゲ、6代目からからかわれていたようだ。




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