藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)
我らの内なるタリバン性
藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)
AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。
新藤さんからの配信です。とりあえず拡散します。各自判断願います。
宮田律 「アフガニスタン ータリバンの「国民和解政府」
出所は FB 21.08.30 宮田律アルバム「アフガニスタン ータリバンの「国民和解政府」
というところのようです。
1996年から2001年まで継続したタリバン政権と違って、アフガニスタンの広範な勢力を集めた政府の樹立を考えているようだ。
そこには旧政権のカルザイ元大統領やアブドラ元外相の政権参加も見込まれるようだ。
タリバン政権はアフガニスタンの国民和解を目指した政府になる印象だ。
新国家では大統領は置かれない。イランのような最高指導者も置かれない。その代わりに12人のメンバーから成る執行評議会が設けられる。
アフガニスタンでは8月23日にタリバンのカブール制圧後に初めてロヤ・ジルガ(国民大会議)が開かれた。
これはアフガニスタンの伝統的な民意を吸収するシステムであり、800人ほどの国内の著名な学者たちを集めて開催された。
内相にはタリバンの軍事司令官であるムッラー・イブラーヒーム・サドルが就任している。
彼は、1980年代はソ連軍と戦っていた聖戦士である。
1994年にタリバンの創立とともに参加し、米英軍の侵攻とともに、地下に潜った。
2016年に軍事司令官となった。宗教的には厳格な見解をもち、かつてはアルカイダとも近い関係にあった。
財務相にはグル・アガー・イスハークザイが就任した。彼はカンダハルでの自爆テロなどに資金を提供したとして国連や米国、EUなどから制裁を受けている。
他方で、2015年頃からアフガニスタン政府との和平交渉に加わったとも言われている。
国防相には、ムッラー・カイユーム・ザーキルが就任した。
彼は2001年にアフガニスタン北部のマザリシャリフで米軍に捕らえられ、2007年までキューバのグアンタナモ基地に収容されていた。
2007年12月にアフガニスタンまで移送され、2008年5月に部族の長老たちの圧力もあって、釈放された。
タリバン以外では「イスラム党」の指導者だったヘクマチアル(1947年生まれ)も政府に参加する可能性が指摘されている。
イスラム党は、急進的なイスラム原理主義に訴える組織で、アフガニスタンにおけるイスラム国家の創設を目指していた。
少数民族からも、冒頭のタジク人のアブドラ元外相、ウズベク人のラシード・ドスタム将軍、ハザラ人・シーア派で、カルザイ政権で第二副大統領を務めたモハンマド・ハリリなどが参加する可能性がある。
少数民族の参加はタリバン政権の安定のために必要で、もしできなければアフガニスタンはまた内戦に陥ることすら考えられる。
ハリーリーはもしハザラ人が守られることがなければ武力で蜂起するとも述べている。
こうやって見ると、やはり女性閣僚がほしいと思うが、タリバン政権中枢をあまりに孤立させれば、政権内の強硬派が影響力を増す可能性もある。
タリバン政権を有効に取り込めば、穏健な傾向が生まれることを日本も含めて国際社会は心得ておいたほうがいいと思う。
これについて宮田律さんがコメントしている。
Tamaki Matsuoka さん、有り難うございます。私もタリバンは経済的な安定があれば次第に穏健化すると見ています。その後押しを国際社会はしたほうがいいと思います。
(女性問題に関して)日本も歴史的に見れば、女性の政治・社会参加は最近のことです。欧米も同様だったでしょう。タリバンを排除すれば急進化・過激化してしまうことでしょう。
おそらくバイデン政権はタリバンが「国民和解政府」をつくるという見通しがあったので、軍隊を撤退させたと思います。だとすれば、表現が古いですが「ウルトラC」です。同盟国の日本にはそのような米国の意図が伝わっていなかったと思います。
TPLFとと交渉する理由はありません。それは道徳的に正しくなく、いかなる観点からも受け入れられません。そのような選択は私たちの国を不安定にだけです。それは結局のところ屈辱的な交渉でしかありません。ティグレイまで出向いて、相反する利益について議論しても、それはTPLFが国防軍(FDNE)の北部司令部を攻撃するための準備期間を与えるだけです。「合意」は不公平です。そのような合意は破棄するべきです。もしそれが「交渉」という名の下に生き残るならば、それは国を滅ぼすことになるでしょう。
議会によってテロリストと宣言された組織と交渉することは、倫理的にも法的にも賢明ではありません。彼らがこの国を破壊しようと決意していることを示す証拠があります。交渉の提案は煙幕にすぎません。TPLFとの議論は検討することさえ不可能です。彼らは日々、民間人を虐殺しています。テロリストとして、みずからを確認している連中との取引はあり得ません。
ビキニ核実験被害は“原爆被害” の一環だと示すものです。という一行のみが面影を伝えているのと、その中の1ページのみが写真で示されているのみである。率直に言えば、この写真も日米会議の資料かどうかはあやしい。後述する「報告会」の目次である可能性も否定できない。
この報告会を境に、日本の学者の中に「許容量以下だから危険はない、無害だ」との論調が強まり、漁港での汚染マグロ検査を取りやめる根拠にされていきました。このままではあまりにも根拠が弱い。
約1ヶ月前より、九州沖や台湾・フィリピン沖で捕獲した魚11隻分を検査したところ、最高522カウントの汚染が確認された。また100カウント以上のものが0.2% あった。骨、内臓に集積を認めた。
1986年のチェルノブイリ原発事故で深刻な身体的・精神的被害を受けた、ロシアやベラルーシ、ウクライナ出身の子どもたち26,000人以上が20年余りにわたって、キューバで無償の治療を受けた。この物語の主人公サーシャはそのひとりである。本作は、キューバ革命の指導者フィデル・カストロが立ち上げた人道特別プログラムへのアプローチである。医師とスタッフの証言に加え、2019年ウクライナに帰国したサーシャの近しい人々との再会、生き延びようと苦闘した子どもたちの証言、母親たちの感謝の思い、原発事故後に味わった苦しみ、そしてキューバが与えた希望を取り上げた。キューバの人々は違う言葉を話し、経済困難に直面しながらも連帯的な行動で命を救い、幾千人もの子供たちの病気を治した。
吉野作造らを担いで大正デモクラシーの啓蒙組織である「黎明会」を創設し、新渡戸稲造・大山郁夫・小泉信三・与謝野晶子ら錚々たる知識人・文化人を参加させた。また東大新人会にも先輩グループとして参加している。
この記事は、ムンバイの国際情報紙「daijiworld」から拾ったものです。著者はインド国軍の少将で、進歩的傾向はまったく無く、もっぱらパワー・オブ・バランスの面から評価しています。インドにとって最大のライバルであるパキスタンの動向に、もっぱら関心が向いていることが分かります。ただ欧米の報道からは見えない側面に光が当てられていて勉強になります。Pakは正式の呼称でないかも知れませんが、一応そのまま掲載します。端的にいえば、未来も過去と同様に暗いものだと言えますが、外国の支配が消滅した点では一歩前進なのかも知れません。
① テナントが従業員の検査を実施する場合には、「必ず検査受検計画を事前にお知らせください」② PCR検査を個人的に受ける場合には、「結果判明の2日前から休んでください」
本来なら、「だらだらと感染者を出し続けて」いる伊勢丹は、全従業員に対して一斉検査を行い、全員分の検査結果が出るまで、一時休業とすべきだ。
カネは出さない、責任は現場にかぶせる、本社には傷をつけない、下請けなんぞ知ったこっちゃない。客が感染しようと「我々が社」の責任じゃない。
「直接の雇用関係にない取引先社員に接種を強制はできない」まことに白々しい。そうじゃなくてこう言うべきだろう。
「直接の雇用関係にない取引先社員への接種を強制される義理はない」これ自体はただのケチだが、おそらく日頃から、外部社員は人間ではないと思っているから、こういうセリフが出てくるのだろう。こういうヒラメのような目の会社に「安全」を云々する資格はない。
地方に好例がある。熊本の鶴屋百貨店だ。この店では「同じ館で働く全従業員の健康を守るため」に、取引先の理解も得た上で、職場接種を実行した。記事は最後に、企業の側に「一層の対策強化と説明責任が求められる」と控えめに指摘しているが、気分としては日本有数の高級ブランド、「三越伊勢丹」の低級な企業精神に対する弾劾文であろう。
外部社員とその家族を含む6千人が職場接種を7月までに完了した。7月以降の新規感染者数は2人にとどまっている。
私たちは国際連帯に向けて努力しなければなりません。私たちの任務の一部は、このアメリカで帝国主義に立ち向かうことでなければなりません。
シンプルに、わかりやすく、ひと言で何かを言い表せば、「なるほど」と思う人はいるでしょう。しかし、国際社会で起きている出来事は、そんなに単純ではありません。「複雑さを犠牲にせずに分かりやすく書く」ということが大事です。
…………………………………………………………………………………………………………どうやって、少しでも多くの人に見てもらうか。それが大きな課題ですね。もう1つは、複雑さを大切にしていく、ということです。シンプルに、わかりやすく、ひと言で何かを言い表せば、「なるほど」と思う人はいるでしょう。池上彰さんのように。しかし、国際社会で起きている出来事は、そんなに単純ではありません。GNVの編集原則の1つは「複雑さを犠牲にせずに分かりやすく書く」ということです。難しさや複雑さを犠牲にしたら意味がありません。それどころか、事実と違うものが認識されてしまう可能性があります。
創刊号が出た後、茨木と川崎は新宿で待ち合わせた。中村屋でライスカレーを食べて反響の葉書を読み、紀伊国屋書店の喫茶部で珈琲で乾杯した。それが精一杯の贅沢で、帰りの電車賃ぎりぎりしかお金が残らなかった。当時、私の生まれ育った静岡では、電車賃ではなく汽車賃と言っていた。電化はされていたが、まだ電車は走っていなかった。たしかにライスカレーが主流で、カレーをかけて食べるのがカレーライスだったかもしれない。サジがコップに突っ込んであるのがライスカレーで、紙ナプキンに包んでいるのがカレーライス。きっと中村屋の作法が全国に広がり、変形されていったのだろう。
水尾比呂志はその話を聞き、中村屋でライスカレー、紀伊国屋で珈琲というのは「一流のコース」だと言ってくれた。…