鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2021年05月

「顔の進化」追補 中国の旧人たち

この本でサラリと触れていたダーリー人、マパ人について調べた。他にもいくつかの骨標本があり、列記した上でいくつかの類型に分けた。

旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)はアフリカの原人の一種(おそらくホモ・エルガスター)から進化し,およそ50万年前にユーラシアに広がったと考えられる。

ただし,中国の旧人と見なされるダーリー人,金牛山人,マパ人などが,アフリカやヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシスと同じ種に属するかどうかは,意見が定まっていない。


A. 旧人と目される遺骨


大茘人(だいれい人): 中国の発音ではターリ人
1978年、陝西省大茘県段家公社で発見された。20歳代男性のほぼ完全な頭蓋である。
ウランシリーズ年代では23万年から18万年前とされる。原人と新人の中間値を取るため、旧人と目される。(たしかにそう言える。論理的には… しかし私はこういう論理はあまり納得しない)

金牛山人(きんぎゅうざん): 
1984年9月、中国遼寧省金牛山の洞穴で発見された化石。ウラン系列法で約28万年前とされる。
原人からサピエンスへの移行過程と書かれているが、どちらかが嘘であろう。

馬壩人(ばは人): 中国の発音ではマパ人
1958年、広東省韶関の馬壩の石灰岩洞窟から頭骨が発掘された。原人よりも頭蓋が高く、中国における旧人類の一つと見られる。
「ヨーロッパの旧人に類似」という怪しげな骨。


B. 旧人的要素を持つ新人

以下はホモサピエンスであるが、旧人的要素も併せ持つと言われる。

田園洞人
2007年、北京の周口店遺跡近くで発見された。4万年前の人骨で、東アジアの最も古い現生人類化石である。
精密な石器、埋葬儀礼、獣の牙の穴をあけたビーズなどの装飾品をもっていた。
2013年に遺伝子が判明した。Y染色体はハプログループK2b、ミトコンドリアDNAはハプログループBに属する。

馬鹿洞人(ばろくどうじん)
1989年に、雲南省イ族自治州の馬鹿洞で発見された。14,500-11,500年前の人骨で、旧人類と現生人類の特徴を合わせもつ。


Ç. 旧人の可能性がある遺骨

この他、以下の人骨が旧人のものの可能性があると言われている。

丁村人
山西省丁村で、歯数本と幼児の頭蓋骨が発見されている。遺跡の年代は古地磁気測定法により約12万年前とされている。

許家窯人
中国山西省許家窯遺跡で、人骨化石20点と多量の石器が発見された。ウランシリーズ年代測定で10万年前と推定される。


D.いかにも怪しい骨標本

次の例は見るからに怪しい標本である

桐梓(とうし)人
1972年、中国南部にある桐梓県の洞窟で人類の歯が4本発見された。17万年前のものと同定された。
当初は原人のものと考えられたが、その後研究チームは、原人と旧人が異種交配して生まれた「謎の人種」だと主張した。


私が興味をいだいたのは、実は旧人ではなく古い新人、田園洞人である。4万年前に北京周辺に住んでいたサピエンスのY染色体とミトコンドリアのDNAが判明したというのは非常に重要な意味を持つ。これについては別途記事を起こしたい。

中国といえば始祖鳥化石の大量生産地。マーケットまであるという噂もある。日本の「ここほれワンワン」先生ではないが、一応は疑ってかかるべきだろうと、私は思う。


「顔の進化」を読んで

1.「顔」は顔面の文化的表現

顔は分節的には頭部の体表面の一部であり、体表面に露出した内蔵の一部である。したがって頭部の構造の一種の反映である。

同時に顔は、脳脊柱軸より腹側にあり内臓の一部を格納する体表である。

これが解剖学的に見た顔面の定義になるだろう。

顔というタームは、その部に対する一種の文化的表現である。

それは基本的には「人間の顔」を指して言う言葉であり、動物の「顔」は人間の顔からの類推に過ぎない。

これが、最初の読後感である。

馬場さんは賢明にも目的論から、「顔」を性格付け、それを進化論的に把握しようとしている。

なぜ顔があるのか、なぜこのように顔が作られたのか、一言で言えば、神(自然の摂理)はなぜ、かくのごとく人を作らせたもうたのか、だ。

これが馬場さんの問題意識だろうと思う。

ただ、多少とも構造的理解にも踏み込んでおかないと、本質論のつもりだったのが実際には機能論だったり、現象論だったりに流れていく危険性もあるので、作業仮説として顔のエンタイティーを押さえておく必要はあるだろう。

あとからそれがひっくり返ることがあっても良いと思う。


2.人はパンのみにて生くるにあらず

馬場さんの顔の定義は明快である。動物というのは他家栄養だから、ほかの命をいただくしかない。だから口がもっとも本質的な臓器で、だから体の先端中央にあるのだ。

非常にわかりやすいが、これは間違いであろう。

それは命の最初は植物で、それが発達するのに伴って従属栄養を行う動物が登場してということになってしまう。

これは今日明らかにされている生命の起源とも明らかに矛盾する。

生命の誕生は深海の熱水湧出口という「エデンの園」だ。植物などなくても海水中に栄養が無尽蔵にあるから生命は食料確保の労なしに自らを維持できる。

生体膜ができて入れ物ができる。それはウタカタのように生まれては消えてゆくが、そのうちに核酸ができて、世代を継ぎ種を拡散するようになる。

やがてその一部が海表面近くに浮上し、葉緑体を形成し、古細菌と共生することにより藍藻が登場する。これが生命体の出エデンだ。

このところを端折ってカンブリア紀から話を始めるのならそれで良いのだが、やはり動物の定義としては不正確だ。


3.動物の本質は移動することにある

栄養の問題は古今、生命体を悩ませてきたに違いない。

私は生命体の本質的目的は「より良く生きる」(自己発展)ことにあると思っている。機械と違って生命体は繰り返せばかならず習熟し発展する。頭脳(もしあるとして)だけでなく命のあらゆる機能が状況に適応し、状況を乗り越えようとさえする。

むかし流行った歌の一節、「明日という字は明るい日と書くのね」というのが思い出される。

栄養の問題も、たんなる栄養ではなく、より良い栄養なのだ。より良く生きようとするから、それはだいじな課題になるのだ。

生命体の一部は、よりよく生きるためにより豊富な栄養をもとめて、動くことを決断した。

動くだけなら植物でも結構動く。しかし「究極の動き」は我が身を移動するという動きだ。それは死んだ安定に対する拒否、動物に特有の自己否定だ。

これらの生物を、移動する生物という意味で「動物」というのはきわめて正しい。

あまりスッキリした説明になっていないかも知れないが、食べることが動物の本質というわけではないことを訴えておきたい。


中国の旧人の話については、別稿を起こした。しかしこちらは生物学ではなく歴史学・考古学の範疇に入るので歴史のブログに移動させるつもりだ。

とりあえずリンクだけ張っておく。

2021年05月31日


顔の進化 3 人の顔の進化

途中は授業中の雑談・雑学を集めた章で、面白いがあまりためにはならない。

第4章 「猿から人へ: 顔の進化」から抜書を再開する。

チンパンジーとの共通祖先はDNA解析から見て800年前に存在した。その後草原地帯に進出した祖先は20種類以上が化石として確認されており、そのひとつがホモサピエンスである。それ以外はすべて絶滅した。
森の中で共通祖先とほぼ同様の生活を続けたグループはチンパンジーへと展開した。
人類進化

初期猿人 700万年前
ほぼ樹上生活、たまに地上を二足歩行。
ラミダス猿人はその最後で440万年前に出現。
猿人 400万年前
半樹半地。乾燥した種子も食べる
最初の猿人はアファール原人、400万年前に登場
250万年前、乾燥化に耐えるため「頑丈型猿人が登場。
220万年前にはホモ・ハビリスが登場。石器や道具を用いて環境への適応を図る。体付きが華奢になり、脳は巨大化する。
原人 200万年前
完全な地上生活。完全な直立二本脚歩行。半ば肉食となり、道具と火を使用。
180万年前から、エレクトスが登場し、ユーラシアに拡散。
旧人 70万年前
ハイデルベルク人がアフリカに登場。まもなくユーラシアに拡散。中央アジアではデニソワ人(原人)と棲み分け。東アジアでは北京原人を絶滅させ、旧人(ダーリー、マパ)に発展。ヨーロッパではネアンデルタール人に進化する。
新人(ホモ・サピエンス) 20万年前
最初はホモ・サピエンス・イダルツで16万年前に登場。カフゼー人は10万年前にすでにパレスチナまで進出していた。
現存するサピエンスは6万年前に出アフリカを果たす。

サピエンスは7万年前にオマーンに到達。5万年前にその一部がコーカサスに進出した。
4万年前にオマーンの集団が南アジアと東アジアへ、コーカサスのサピエンスがヨーロッパと中央アジア・南シベリアに拡散した。

日本に来たのは3万8千年前とされる。(根拠は?)

たしかにこれには数千年の時日を要したのだが、過去からの長い歴史からすればほんの一瞬のことである。おそらくこれには、なにか環境の激変が絡んでいたのではないだろうか。

ということで、著者が一番力を入れた顔の話はほぼ見事にふっとばした。
脳の発生と分化にこだわる読み方をしている。教師の側から見れば、こんな癖の強い学生は願い下げだろう。
まことに申し訳のないことである。



簡単な事実経過

1995年 BBCテレビのニュース番組「パノラマ」がダイアナ元妃のインタビューを放映。イギリス国内で約2300万人が視聴した。インタビュアーはバシール記者であった。

1996年 インタビューをめぐる疑惑が浮上。スペンサー伯爵(ダイアナの実弟)は、バシール記者の取材方法に問題があったと指摘。
BBCは疑惑の真相を明らかにするため、第一次内部調査を実施。結論はバシール記者とBBCニュースに問題となる行為はなかったとした。その後、この番組は名番組と評価され、「英映画テレビ芸術アカデミー」など多くの賞を獲得している。

2020年11月 スペンサー伯爵が新たな物証を元に、15年前のインタビューへの疑念を公にする。これに対しBBCは独立調査を委託する。前回は内部調査で委員長を務めたのはBBCの報道部長であったが、今回は法曹界の重鎮ダイソン氏が任についた。

独立調査委員会の調査結果

2021年5月20日 独立調査委員会が調査結果を発表。
①ダイアナ元妃(故人)のインタビューが「必要な倫理性と透明度」を満たしていなかった。
②バシール記者はダイアナ元妃に接近するために偽造文書や銀行明細書の偽造を行った。
③明細書は、ダイアナ元妃の秘書ら王室職員がセキュリティー・サービスに情報を提供し、報酬を得ていた証拠となる内容だった。
④バシール記者はこれらの書類をダイアナ妃の実父、スペンサー伯爵に提示しだました。バシール記者を信用したスペンサー伯爵はダイアナ妃を紹介した。
⑤バシール氏は、ダイアナ元妃の不安に乗じ、さらに害を与える人たちを列挙した。
ダイアナ元妃の個人的な手紙が開封されている、車は追跡され電話も盗聴されている…
これらはすべて虚偽情報だった。
⑥ BBCが1996年に実施した内部調査には「明らかな不手際」があった。委員長は当時の報道部長でその後BBC会長となったホール卿だった。
⑦その時点で、BBCは銀行明細に関する説明が嘘であると承知していたが、「バシール氏は正直で高潔」と説明し、事実を隠蔽した。

二人の息子(王子)のBBC批判

ウィリアム王子は動画で声明を発表した。
BBCはこのインタビューを欺瞞により実現した。
それはダイアナ元妃の強迫症を悪化させ、夫婦関係を危機に陥れ、数え切れない人々を傷つけた。1995年に適切に調査していれば、事態はここまで悪化しなかった。
BBCはこの番組を四半世紀も売り続けてきた。正当性は全くなく、二度と放映されるべきではない。
ハリー王子も、独自に声明を発表した。彼の言葉はさらに厳しい。
究極的にダイアナ元妃を死に追いやったのは、メディアの搾取の文化と不道徳な慣行の連鎖反応だ。
メディアのこうした性質は今日でも蔓延している。何も変わっていない。

誤ったのか謝らなかったのかよくわからない関係者コメント

BBCとバシール氏はともに謝意を表明。バシール氏は健康問題を理由にBBCを退社した。

当時の会長バート卿は、「BBCにとって衝撃的な汚点だ。真実が明きらかになるのに25年かかったのは悔やまれる」とした。

内部調査委員会の長だったホール卿は以下のように釈明した。(当時報道局長。会長だったという報道もある)
「疑わしきは罰せず」という姿勢を示したのは間違いだった。私たちの調査が求められていた水準に達していなかったことについて、申し訳なく思う。

デイヴィー現会長は、「インタビューを実現するまでの過程が、視聴者の期待とかけ離れていた」と論旨不明のコメント。

リチャード・シャープ現理事長は、BBCに「容認できない間違いがあった。調査報告書の内容を全面的に受け入れる」と述べた。

一番はっきりした見解を述べたのは第一回調査委員会の時代にBBC会長を務めたグレイド卿。
BBCの隠ぺいは、バシール氏の行為より悪質だ。BBCのジャーナリズムには、私たちが知らない隠ぺいが他にどれだけあるのかと、思わずにいられない。


感想が2つある

ひとつはあのBBCがここまで堕落していたのかということだ。ベネズエラ問題でウソっぱちを書き連ねるBBCに奇異の念を抱いていたが、そういうことだったのだ。

もうひとつは、この記事の出どころがまさにBBCのものだということだ。

BBC's reputation highly damaged by Diana interview report, says Patel

その詳細さ正確度で断然他を引き離している。しかも全てタダで読める。
願わくば悔い改めて、かつての世界から信頼されるBBCを再建してほしいものだ。





顔の進化 その2

Ⅰ 咀嚼系器官の進化

もっとも原始的な口-消化管は、吸い込み・飲み込む。ものをつかんで口に運ぶ装置はなく噛み砕く装置もない。

以下神経系を学ぼうとする者にとってはやや些末な説明が続くので省略。ただナメクジウオの神経系の図は参考になるので、コピーさせてもらう。

ナメクジウオ


Ⅱ 感覚器の進化

顔は「口+感覚器複合体」である。まず三次元的に生体の構造が決まる。その際に口が生体の物理的トップに位置づけられる。ついで口の周りにさまざまな感覚器が結集し、摂食のパフォーマンスを最高レベルにまで引き上げる。

これがプライマリーの進化である。

ついでこの感覚器コンプレックスは連携することで、身体情報のセンターとなり、それ自身の目的において身体全体を制御するようになる。

これがセカンダリーの変化である。

このためには、記憶装置と計算装置、パラダイム生成装置が必要となり、大脳の巨大化が必要になる。しかも顔面の周辺にオンデマンドの状態で存在しなければならない。

各論については、それぞれの専門書を読んだほうが良さそうだが、眼の解説は独自の発展観があるので紹介する。

視細胞の発生については、ウィルスの細胞内侵入が視機能をもたらしたという説、葉緑体が持つ光合成能力が細胞に光感知機能(光によるエネルギー発生)をもたらしたという説もある。著者はこれを「想像だが」と前置きした上で紹介している。これについては私の記事でも以前紹介している。


Ⅲ 眼球の成り立ち
眼はいくつかの動物の種類で独自に発展しており、結果的に相似ではあっても相同とは言えない。ここでは脊椎動物における眼の発生・進化について述べられている。

原始的動物においては、体表に視細胞が散在していた、

この視細胞が体内に陥入し、集合・発達して眼になった。

脊椎動物では脊髄が形成されると眼は脊髄内に陥入する

その一部が光を求めて脳からまた体表に出てきて網膜になった

と書かれている。

これまで聞いたことのない理論だけにすなおに「ハイそうですか」とは言えない。

視覚末端は他の近く末端のように体表の各地に分散していたのか、だとすれば資格情報はまず体節ごとに集中しそれから脊髄を上行していったのか?

視神経が伸びていったと言うが、その根元(本店)はどこなのか、中脳なのか、視床なのか、外側膝状体なのか

もし網膜が支店なら、本店にも基本的にも同様の構造があるのか?

後頭葉視覚野の問題はさておくべきだろう。これは画像の二次処理・情報化の機能の話だ。眼底検査の話は言わずもがな、医者が無知な患者をだますレトリックだ。

Ⅳ 「頭頂眼」のはなし、そのほか

松果体の話は面白かった。
大昔に頭頂の正中部に「頭頂眼」という目があって、情報からの光を感じていた。それが今は脳の中にだけ残り、松果体として日周リズムを作るための受光器となっている、というのだ。

これも一聞くと十疑問が湧いてくる話で、すこし勉強しておかなければならないな。

もう一つ、鳥には黄斑部が2箇所あり、広域視と両眼視という2つの要求をともに満たすことができるようになっている、のだそうだ。またも「鳥はエラい」という話だ。



馬場悠男「顔の進化」講談社ブルーバックス


今年1月に出たばかりの本だ。

まことに面白く示唆に富む本だ。と言ってもまだ10ページくらいしか進んでいない。読み終えるのに1年は掛かるだろう。

じっくり読んで、反芻して、私の理論枠組みに組み込みながら、読んでいくことになりそうだ。



動物の顔は食べるために出来上がった

のっけから独断的だ。しかし説得力はある。実は私も、目的論的規定が本質的だと思っているからだ。

子供が絶えず繰り返す「なぜ、それはあるか、なぜそうであるのか」があらゆる問いかけの中でもっとも根源的な問いかけだ。

ただ実体の中には「なぜ?」で汲み尽くせないものもたくさんある。歴史が形作ってきたものもたくさんあるからだ。

それを統一的に捉えるとするなら、顔の本質は、歴史として、すなわち「成すと成るの統一」として語らなければならない。


顔の究極的実体は口なのか?


顔の究極的目的が食べることなのだったら、顔の究極的実体は口だということになる.

ただし流石に口だけというのでは顔にならないから、これに目がつく。

喫茶店のモーニングセットと同じでコーヒーにトーストが付けば、これがスタンダードとなる。

あとはゆで卵やサラダがついてパワーアップするが、それに当たるのが鼻と耳、それにヒゲということになる。

ただしヒゲは人では退化している。それにナマズのヒゲとネコのヒゲでは由緒が違うかも知れない。難しく言えば相似ではあるが相同とは言えない。なので、とりあえず保留する。

口は気道の入口部にもなっているが、これは魚が陸上に上がるときに口に間借りしただけかも知れない。

しかしそれは動物というものの本質(特殊性)に基づいた定義ではない。食べるということはエネルギー代謝の本質的な契機(入り口)であるから、すべての生命体に共通するものだ。ただエネルギーの取り込みにあたって食べるという形態を取るのは動物の特徴であるから、口を動物の本質的特徴ということは正しい。

ただ、だから顔が口だということにはならないだろう。

問題は動物が対称性を獲得し、分節性を形成し、両方の末端が頭と尾とに機能分化したとき、頭にするものはなんであるべきだったか、それが口であるべきだったのかということだ。

それを食べることが動物にとって一番大事だから、体の先頭に来たというのはあまりにも安直な発想である。

とりあえずこのくらいにしておこう。

大事なのはドグマの検証ではなく。原始的な動物が脊椎動物へと進化していく過程で、生体がどのように編成されデザインされていったのか、それを促した外的・内的要因は何だったのかを実証的に跡づけることであろう。


「はじめに口ありき」

ついでナメクジウオを祖とする脊索・脊椎動物の生物デザインの話、すなわち顔の形成の歴史に移っていく。

顔学会初代会長の香原氏は「はじめに口ありき」と言ったそうだ。顔学会初代会長の言葉だからその意味がわかるのであるが、要するに動物の体に前後左右ができたとき、その頭部の表面にまず口ができた。それから体の前面についていると都合のいいものが集まるようになって、そこ(頂部の表面)に一群の感覚器セットが揃うようになったということである。

これは非常によく分かる説明だ。脊椎動物は海中で進化したから体の前端に口があるのは都合が良い。基本的に体は前に進むようにできていて、口を開けたまま前進すればそこに餌が飛び込んでくる確率は高い。

その際、口はまず何よりも消化管、消化器システムの一部である。おそらくそれが先で、これが気道系、呼吸器システムの一部ともなるが、それは転用ないし借用であろう。

口は、さらに後にはしゃべるための器官ともなった。口の機能を考える場合、この3つの機能の段階的進化による多様化を念頭に置きながら議論しなければならない。


口の進化: 自作の表

1.原口動物・後口動物 クラゲ、海綿、ホヤ

上下は明確となるが左右対称性は見られない



2.ヒラムシ

上下明瞭、左右対称も出現 前後ははっきりせず



3.いか・タコ・貝

左右対称 前後明確化

口も登場するが頭側ではない 眼はなし


4.ナメクジウオ

左右、上下、前後の明確化

口が頭側に登場 眼はなし

脊索の登場

5.魚類

三次元関係の完成

眼の登場 口と眼の一体活動→捕食行動の完成

三脳システムの完成

このように段階化することにより口の意味、眼の意味がはっきりしてくる。

同時に馬場氏の言い過ぎもはっきりする。ただし素人ゆえ細部はあやしいのだが、ご容赦を。

頭部の局在


顔の局在を定義するのは難しいが、頭部の局在は比較的容易である。

脊椎動物は分節構造をとっているが、そのうち脳神経の一次神経節となっている分節が頭部と言われる。人間の場合1~12の脳神経をだす1~12分節が頭部に当たる。

基本的にはこれらの神経の支配する体表領域のうち前面部分が顔面となる。


「チリは街頭を揺るがす地響きの中で生まれ変わった」
Monday, May 24, 2021
by Patricio Zamorano
Council on Hemispheric Affairs (COHA)


チリで何が起きたのか

先週末チリで起こったことは、もはや後戻りできない歴史的な出来事である。

それは巨大な津波だ。それは海岸に激突しすべてを飲み込む。左翼も右翼も、民主主義の時代も独裁の時代もことごとく呑み込んだ。

2021年5月15日にチリで起こったことは、国家の再構築という国民感情を巻き起こしている。

それは、伝統的な政党政治の終焉をもたらし、多様で多彩な集団の興隆を意味している。

これらの集団は現代の直面する課題を見据えている。それは環境問題とジェンダー平等と首都への一極集中でなく地方の尊重である。


制憲議会は歴史的な意義を持つ

まず結果についてまとめよう。
Results from Chile’s May 2021 elections

composition1
composition2

選挙管理委員会によると、議席の77%が左翼ないし左翼よりの人々だ。(上の図で言うとみどり以外はすべて左派)

彼らはピノチェト時代とその遺産を拒否し、彼らの敷いた新自由主義の路線を拒否している。

対する右翼は惨敗であった。彼らはVamosChile連合(上の図で言うとLet's go for Chile)に結集したが、結果としては37議席にとどまり、議席の3分の1にも満たなかった。

左翼が改憲案を提案した際に、右翼が拒否権を行使することは不可能となった。

この選挙結果は必然的に以下の事実に帰着する。

ピニェーラ右翼政権、議会の右翼、メディアを仕切る右翼勢力はこれまで国民に劣悪な医療制度を押し付けてきたがそれはもうできなくなるだろう。

少数者を優遇する教育システムは破棄され、すべての国民が利用できるように改革されるだろう。

社会に差別をもたらしてきた金持ち優遇税制は、より公正なものに改められるだろう。

その結果、

チリの圧倒的多数の人々が絶望から切り離されるだろう。そして右翼の指導者たちは、有産階級を襲ったこの災厄の責任を追うことになるだろう。


新自由主義とチリ

新自由主義のイデオロギーは、国家の介入から自由な市場を擁護するかのように見えた。

しかし、チリの実験が示すように、それは国家による大規模な社会的統制のもとでの、自由気ままな経済でしかなかった。そこには議会も政党も社会運動も一切なかった。

独裁政権は、人的資源と天然資源の経済的搾取を促進するために構造調整パッケージを実施し、きびしい緊縮財政を課した。そのため反対派を抹殺する恐怖政治が支配した。

企業が儲けることが、国家と政治の目的となった。公共の利益は資本の利益に従属させられた。

このような新自由主義のシステムは、ピノチェトのあとのすべての政権に引き継がれた。中道左派も中道右派もその例外ではない。

それはトリクルダウンの理論を拠り所にしていたが、そんなものはまったくなかった。結局はごく少数の超富裕層を除けば、新自由主義は完全な失敗であった。

いまあたらしいチリは、「性的多様性」、「ジェンダー平等」、「平等な権利と機会」、「包摂」、「寛容」、「社会的尊厳」などのスローガンを打ち出している。

しかし右翼的な保守層は「新しい考え」を理解しようとせず、これらの考えを拒絶し、排除しようとしている。


首都サンチアゴの新市長は共産党員

制憲議会議員と同時に地方選挙も行われた。それは保守的な国であるチリにとって、歴史的な出来事となった。

首都サンティアゴの市長にはイラシ・ハスレルが当選した。彼女はチリ大学の経済学者であり、共産党員である。

チリ共産党はかつてノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダ、偉大なシンガーソングライターのビクトル・ハラを生み出した党である。

疑いなくそれは保守派、軍部、反共主義者にとって深刻な打撃だった。この党こそ、ピノチェトのクーデター以降拷問・失踪・絶滅計画の主要な対象だったからである。

保守メディアは彼らの不安を表明した。「槌と鎌とロシア語の書かれた」赤旗が至るところにたなびきました。

それは人々に対し、共産主義への恐怖より、そのシンボルに加えられた政治弾圧への恐怖を思い起こさせるものだ。

それは根本的変革を遂げつつあるこの国で、いまだに過激な反共思想が強力であることを示す。

制憲議会選挙では、ほかにも重要な変更があった。それはジェンダーの重視と民族文化の平等を重視することだ。

少なくとも議席の45%が女性に指定された。また先住民コミュニティのためにも17議席が確保された。


チリ国民の80%が憲法改正を支持

去年10月の憲法改正に関する国民投票では、改正賛成票が圧倒的だった。そこに示されたチリ国民の希望を反映するために、この2点は不可欠な要素である。

その主目的はピノチェト旧憲法の反民主的な規定を全面的に排除することにある。旧憲法は強いもの勝ちの原理で構成され、シカゴボーイズの新自由主義を反映したものだ。

制憲議会は健康、教育、年金などの分野から資本主義的な発想を取り除くことになるだろう。そしてそれらの分野をを基本的社会的権利のカテゴリーに戻すことになるだろう。

全体として、議会は、より公正な憲法の枠組みを確立することにな

るだろう。富と収入が全人口にうまく分配され、地球上最悪と言われるこの国の、途方もない不平等を中和することになるだろう。


地方選挙の結果は、より大きな変化への前触れとなっている

第二の都市バルパライソでは、独立左翼のホルヘ・シャープ市長の続投が決まった。バルパライソ近くのもう一つの主要都市ビニャデルマールでは、比較的保守的な政治風土を打破し、新興左翼「拡大戦線」のマカレナ・リパモンティが当選した。

中南部のコンセプシオンでは独立左派のカミロ・リフォが次点となった。

サンチアゴ首都圏では、右翼はマイプ、ニュニョア、エスタシオンセントラル、サンベルナルドなどの大規模な自治体首長のポストを失った。

総合すると、1900万人の人口の3分の1を抱えるサンティアゴ首都圏全体で、中道左派が27の首長ポストを獲得、いっぽう右翼は14のポストを確保したにとどまった。このほか独立系候補が11のポストを獲得した。

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これからどうなるか?

6月から7月にかけて憲法制定会議が発足する。憲法草案の起草には9ヶ月から12ヶ月かかるとされる。それから約60日後に国民投票が行われる。つまり、2022年にチリの新しい憲法が実現することになる。

2年前、社会の草の根の人々が路上で闘って、声を上げてきたことが、いまや憲法によって正統性を与えられようとしている。

ビジネスおよび金融セクターは、復興のための支援の必要性に迫られている。2020年のマイナス成長はパンデミックによって増幅され、6%に達した。

大統領宮殿の主人ピニェラには、それを行う力は残っていない。国の慢性的な不平等と社会的怒りの爆発は、保守派のイデオロギー的な索道の余地を残していない。

皆さん 焦らないでください。
ワクチンはないんです。
早いもんがちではないんです。
それは嘘です。

「皆さん整然と行動しましょう」というべき人が、
「皆さん、早いものがちですよ」と混乱を煽っています。
そんなこんなで、お年寄りは電話をかけまくった末に、
疲れて頭がおかしくなってしまいそうです。
皆さん 政府は皆さんをだましているんです。

政府は医者が足りないとか、市役所や町役場がとろいと言っているが、
ほんとうはワクチンが現場に届いていないのです。
日本の政府の力は後進国並みなので、
恥ずかしくて人に責任を押し付けているのです。

みなさんが打てるだけのワクチンが来るには3ヶ月はかかります。
それだってオリンピックに回せば遅くなります。
自衛隊が、おためごかしにしゃしゃり出るから、ますます混乱しています。

待っていてください。政府のアオリには乗らないでください。
それは選挙目当てかも知れません。オリンピック目当てかも知れません。
やるべき予防策をやって、自宅にこもっていれば、
感染はかなりの確率で防げます。

最後に、こんな政府には一刻も早くやめてもらいましょう。

ガザ紛争と非対称性の論理

どうもうまく話がまとまらない。イスラエルの攻撃で500人も殺されて気の毒だという話と、でも最初に手を出したのはハマスだよね、しかも連中は勝った飼ったと喜んで、明日にでも先頭を再開しそうな雰囲気だ。

「ハマスも悪いが、イスラエルはもっと悪い」という“串刺し論”では、どうにも消化が悪い。

そもそもそんなケチな話ではなく、話を聞いたみんなが「そりゃぁイスラエルが悪いよな」と納得できて、イスラエルに対する怒りが煮えたぎるような論理を構築しなければならないのだが、その勘所がもう一つはっきりしないのだ。

そんな、「政治学的な新パラダイム」の便秘状況なのだ。

とりあえずその足がかりとして、問題の入り口における「力の非対称性」と、出口における「情報の非対称性」に分けて考えてみたい。

柏鵬と非対称性

話を分かりやすくするために柏戸と大鵬の非対称性について考えたい。

もともと柏戸のほうが出世は先行していて、途中で大鵬が追いついた。その後はどんどん実力差がついてきて、「巨人・大鵬・たまご焼き」の時代へと移行していく。

これは単純に見ればたんなる格差なのだが、世間は対称的であることをもとめ続けた。

このために両者にはたんなる格差ではなく非対称性が生じた。つまり非対称性というのは対等な見せかけを伴った格差である。

それはおそらく劣後者に劣等感だけではなく敗北感、さらには屈辱感さえももたらすであろう。


力の非対称性

上記のごとく力の対称性は、単純に言えば力の格差であるが、両者がライバル関係に擬せられるときは勝者と敗者の関係になる。

政治の世界では、それがはるかにシビアーな形で表現される。

両者の関係は優者が劣者を支配する関係にとどまらない。勝者は敗者の上に立ち、敗者を人倫的に貶め、経済的に収奪する。

敗者の苦しみは敗者となったあとにやってくる。それは絶え間なく続行され、敗者の胸に絶望を刻み込む。


情報の非対称性

力の非対称性に比べると、情報の非対称性は屈折しており、非常にわかりにくい。

我々さえもしばしば騙される。

まず単純な問題から片付けていかなければならない。今日の世界において情報はそれ自体が力である。

力は見せかけの対称性(例えばSNSやフェースブックなど)とは逆に著しく非対称となっている。それと同じように、情報もますます非対称的となっている。

圧倒的な情報支配力を持つ人々は、たやすく世論を操作し、気に入らない情報を押し隠しては、歪めた情報を大量に垂れ流す。

メディア文盲の民衆はトランプやデマゴーグを容易に信じ、彼らこそ民衆の味方だと信じ込む。

これこそが2021年ガザ事件の本質なのだ。




非対称性というのは「対象的であるように修飾された非対称的な力関係」のことだ。

前の記事では、非対称性についてとりあえず思いつく限りのことを述べたが、依然として五里霧中の観がある。

「非対称性」という言葉が対象をウナギのように、するりと逃しているみたいなのだ。

もうちょっと感覚的でなく論理的に語らなければならない。

問題なのは非対称という形容詞ではなく、二者の間の関係の一つの形態なのだ。つまり「非対称的関係」というのはどういう関係なのかということだ。


擬制としての「対称性」

まずはっきりしているのは、両者の間に決定的な格差があり、つまり非対称であるにも関わらず、それが対称性という名で覆い隠されている状況だ。

これは前記事で書いたとおりだ。ではその偽りの対称性は誰が持ち込んだのか。強者だ。あるいは強者に力を与えている支配者だ。

つまり「対称的」関係というのは明白な力の差を覆い隠すための欺瞞だ。


論理的インチキとしての「双務性」

ここまでは昨日考えたことだが、朝の目覚めの状態で考えて気がついたことが、もう一つある。それは双務性と片務性の関係だ。

ハマスとイスラエルとは決して「おたがいさま」の関係ではない。それどころか片務性の極致だ。

ガザはゲットーである。第二次大戦下のワルシャワのゲットーで、ナチスは生殺与奪の権利を握っていた。

ガザはリディツェである。占領下のプラハ郊外、リディツェ村の青年がドイツ軍の司令官を暗殺した。ドイツ軍は村民の血をもって贖うことを求めた。そして「82人の子どもたち」が虐殺されたのである。


これが「おたがいさま」の論理だ。彼らから見れば「対称性」の論理の枠内なのだろうが、普通に見ればこれこそが「非対称性の論理」なのだ。



情報の非対称性

インターネットの時代になって、誰でも情報を発信できるようになり、情報民主主義の時代が来たと思われた時期があった。

21世紀の初頭の頃である。しかしそれは幻想でありイラク人質問題でのバッシングに始まり、最近ではむしろデマ、人身攻撃の場として忌避される傾向すらある。

その流れに沿ってトランプ政権が誕生しヨーロッパでもファシズムの動きが広がった。

しかし実は情報化時代の先端を走っているのはインターネットとメディアのもたれ合いではないだろうか。

このようなメディアコンプレックスが、怒涛のような情報量で良心的な情報を覆い隠し、検索エンジンの底辺に押しやっている。「悪貨が良貨を駆逐する」時代になりつつあるようだ。

ベネズエラ問題では検索をかけても、チャベスや民族派の立場にたった報道はほぼ皆無である。逆に現政府がいかに非道で抑圧的で、そのために国民がいかに塗炭の苦しみにあえいでいるかという記事が延々と続く。

おそらく最近の情報の非対称性はこの現象のもたらすものであろう。そしてそれが続く限り、強者は「対称性」の擬制のもとに安んじて「おたがいさま」の論理を貫き通すであろう。


情報の切り出しの恣意性

巨大なメディア発信力の持ち主は、情報を如何にでも編集できる。とくに映像で情報を発信する場合は、映像そのものが事実であるだけにこの事実を使って真に迫ったデマを拡散することが可能になる。
画像を使った報道が出始めたのは19世紀の末からで、当時アメリカから100キロの島キューバで起きた独立戦争は報道機関の格好の餌食となった。その結果独立戦争はいつの間にか米西戦争にすり替えられ、セオドア・ルーズベルトの率いる米国人の義勇軍が、スターのようにもてはやされた。ルーズベルトは合衆国大統領に上り詰め、これを報道したピューリッツァーやハーストはメディア王として君臨した。

その影で独立戦争そのものは流産させられ、スペインに代わり米国が支配者として君臨する結果となった。キューバの真の独立は60年後のフィデルたちの闘いにまでもつれ込むこととなった。

メディアはひとつのうそをつくこともなく、事実を真実と逆のように描き出すこともできる。それが暴力の場面だけを取り出して戦いを不毛のものに描いたり、残虐な政府と正義の民衆のように描き出したり、あるいはその逆のように描き出すことができる。

たとえば、東映のヤクザ映画である。九州の街に流れ者として入り込んだ前科者が、一宿一飯の恩義をヤクザの親分から受ける。その親分が会社の人間にいじめられて、挙句の果てに命まで失い、組は解散。これで頭にきた流れ者が長ドス1本、敢然と殴り込みをかける。突かれて斬られて血みどろになりながらも最後は相手のボスと刺し違えて死んでいく。
まぁ基本的にはこんな筋だ。

ところがハマスの犯行にはこの情報がないのである。場面はいきなりロケット弾の発射から始まるから、それだけみたらどう考えてもハマスが悪いに決まっている。
これがまかり通ってしまうのが、情報の非対称性の恐ろしいところだ。


国連特別報告官「ベネズエラに対する米国封鎖の影響」3

この部分はとても難しい。誤訳の可能性もある。それを覚悟の上、お読みいただきたい。

1.制裁の法的根拠は希薄だ

報告者は、米国政府が制裁を導入する根拠となっている「国家非常事態」は国際法上の要件に対応しないと考える。

「国家非常事態」は、2015年3月8日に米国政府がベネズエラに対して発したものであるが、それは国内法にすぎない。

また、それは市民的および政治的権利に関する国際規約の4に該当しない事案を対象としているからである。しかもそれはすでに6年の間延長され継続している。

国際規約の4では制裁に該当する権利侵害を例示しており、国民の生命に対する脅威が存在すること、状況が緊急を要する事態にあることを要件としている。そしてそれは限定された期間についてのみ適応されるものだ。

昨年9月27日、複数国の連名でベネズエラの人権侵害について国際刑事裁判所へ訴状を提出した。しかしその訴因のほとんどは国際犯罪を構成せず、普遍的な刑事管轄の理由に準拠していない。

2021年1月29日の人権専門家会議は、「生存権および刑事犯罪を構成しない活動」への懲罰行為が禁止されていることを確認した。

とくに第三国へ域外管轄権を強制することは国際法の下で正当化されず、過剰なリスクを増大させるものである。


2.制裁は国際法違反だ

特別報告者は制裁がその理由によって正当化される範囲をはるかに超えていると考える。

それはベネズエラの全ての人々、とくに極貧層、女性、子供、障害者、重篤な病気の人々、および先住民族に壊滅的な影響を与える可能性がある。

食品、農産物、その他の必需品は、米国政府によるライセンス発行の遅れにより人々に苦しみを与えている。

銀行振込はますます拒否されるようになり、銀行振込期間は果てしなく延長されている。配達日数の延長、運送保険料、銀行振込の費用はますます高価なものとなっている。

そしてこれらすべてが輸入品の価格上昇となって人々を苦しめている。これらは人々の生存権を直接侵害している。

(以下生活の各分野にわたって制裁による被害の実情が述べられ、制裁の非合法性、非人道性が明らかにされていくが、ここでは省略する。必要であれば本文に直接あたっていただきたい)

国連特別報告官「ベネズエラに対する米国封鎖の影響」2
経済の衰退と社会の危機

1.石油と経済

石油は主要な輸出品で、収入と外貨の主要な源である。

2000年以来、ベネズエラは住宅、教育、識字能力、食料、電気、水道、ヘルスケア、共同体づくりの分野で幅広い改革を実施してきた。

しかし石油に依存したモノカルチャー経済はそのままだった。機械、情報や医薬品まで、欧米諸国から輸入されている。

食糧生産も低水準にとどまっており、国内消費の水準を下回っている。


2.制裁が経済を悪化させた

経済の衰退は2014年の石油価格の下落から始まる。さらに社会要因として、管理の失敗、汚職の蔓延、国の価格統制の悪影響などが挙げられる。

これらの状況に加えて欧米諸国その他の国による一方的な制裁が状況を悪化させている。

国家の歳入は99%縮小した。在外資産の封鎖と銀行振込の制限より、海外からの送金は減少している。

ベネズエラの市民・民間団体は、欧米系銀行を含む外国銀行への口座を開設したり維持することができなくなっている。

対外ビジネスには多くの制限が課せられ、金融機関の信用を得られず、多額の保険が要求されるようになっている。

米国、英国、ポルトガルの銀行で凍結されたベネズエラの資産は60億米ドルにのぼる。ベネズエラ資本による商品の購入と支払いはブロックまたは凍結されていて、金があっても物が買えない状況になっている。


3. ハイパーインフレがもたらした経済破壊

4年間のハイパーインフレーションにより、自国通貨の切り下げが発生した。最近では1米ドルが 200万ボリバルまで上がっている。

こ結果、公務員給与は5年前の150〜500米ドルから、最近は1〜10米ドルに減少している。

制裁の強化により、政府の改革努力とインフラ維持力、社会プロジェクトの実行力は弱まっている。

2015年以降、より良い生活を求めて国を離れたベネズエラ人は100万から500万人と推定される。その結果、人口は2700万人に減少した。公務員は30から50パーセント減り、とくに医師、看護師、エンジニア、教師、教授、裁判官など専門職の減少が著しい。

水道は停電やインフラの摩耗損傷により可動率が低下している。大多数の世帯は、週に1〜2回、数時間しか水にアクセスできない。また飲用水を消毒する液が輸入できず、これも水道水の枯渇に拍車をかけている。

ベネズエラでは食料の50%以上を輸入に頼っている。過去6年間で栄養失調が着実に増加し、250万人以上が深刻な食料不安に陥っている。

多くの国民は1日あたりの食事数をへらすことで対処している。食品の量と質の低下、食料購入のための資産の食いつぶし、衣類、教育費の削減も起きている。


4. 社会インフラの崩壊

貧困からくる家族内緊張、暴力や家庭崩壊、児童労働、ブラック・マーケットへの関与、麻薬や人身売買、強制労働が拡大しつつある。

2016年以前、公的医療サービスの大部分は、国によって無料で提供されていた。しかし制裁後は医薬品のみならず、医療のインフラ、水不足などが医療崩壊に拍車をかけた。また
劣悪な労働条件と低賃金のために多くのスタッフが現場を離れた。

例えばカラカスの小児循環器病院では、手術回数が5年前の5分の1に減少している。公立病院の医療スタッフは50〜70%が空席である。医療機器の約20パーセントしか機能していない。

ベネズエラでははしか、黄熱病、マラリアに対するワクチンが不足している。HIVの死亡率が大幅に上昇した。検査と治療が行われなかったためである。10代の望まれない妊娠が増加してる。

政府は、UNDP、ユニセフ、UNAIDS、PAHO、その他の国際機関、ならびに人道援助を提供する教会、民間部門、人道NGOとの協力を図っている。

国連諸機関を通じてイングランド銀行で凍結された資金を解除しようと試みたが、イギリスはこれを拒否した。

その3に続く

下記の記事についていろいろご意見を頂いている。


どうもいろいろ不快な思いをさせたようで、大変申し訳なく思っている。

それぞれの奏者の腕前については、私は何も言うことはないし、読み返しても確認できる。とはいえ、ライスターを悪者に仕立てたのはとんだ勇み足であった。

マイヤーの話もムターの話も、それ自体を問題にしているわけではない。

ただ、ベルリン・フィルの長期低落傾向について思いを致すとき、「カラヤン+御三家の長期体制、そしてベルリン・フィルの体質が関係しているのではないのか?」というのが、正直な感想である。

ベルリンの壁崩壊後に、ベルリン・フィルの特殊な(政治的)存在意義の希薄化をもたらした。しかしベルリン・フィルの体質にも問題はなかったろうか。

フルトベングラーがニキシュの後任として常任指揮者に就任したとき、ベルリンの音楽界はクレンペラーとワルターが分け合っていた。ともにユダヤ人である。

その5年後にワインガルトナーがウィーンフィルを去ったときフルトベングラーが後任となった。マーラーの後継者たちはここでも排除された。

有力候補と見做されながら、団員投票ではユダヤ人マゼールは選ばれなかった。バーンステインに至っては言わずもがな。ところでアバードってどんな人だっけ?

もう一つが男社会。ウィーフィルの女嫌いは有名だが、カラヤンのDVDを見ると、ベルリンフィル(あの頃)でも女性は全面排除されている。大相撲並みである。

2月17日 :Venezuela Analysis
国連特別報告官による現地調査報告
「ベネズエラに対する米国封鎖の影響」
アレーナ・ドゥーハン (要約)

相当の長文であるため、何部かに分けて掲載する。今回はこれまでの経済制裁の概観に触れた序論部分。


Ⅰ. 現地調査までの経過概要

2014年、オバマ政権は、ベネズエラ当局に対する制裁を課した。その理由は、民衆の抗議を厳しく弾圧し、野党指導者に圧力を加え、報道の自由を犯したというものである。

2015年、米国は、麻薬密売に関与しているとされる個人や団体に対して対象を絞った制裁を導入した。

同じ年、米国はベネズエラの状況が米国の安全保障と外交政策を脅かしているとし、非常事態を宣言した。

2016年には、同様の理由でベネズエラに対して武器禁輸を課した。

2017年、ベネズエラで制憲議会の選挙が行われた。米国は選挙が非合法であると非難し、ベネズエラ政府とPDVSA(石油公社)に制裁を課した。さらにアメリカとの通商を禁止し、米国の金融市場へのアクセスを阻止した。

2018年、ベネズエラ大統領選挙が行われた。その結果マドゥーロが勝利した。その後、米国は政府に対する制裁を強化した。汚職、政敵の弾圧、民主主義の蹂躙が理由とされた。

2019年1月、野党が過半数を握る国会は新たな議長を選出。議長グアイドはみずからをベネズエラの暫定大統領と宣言。米国は直ちにこれを承認した。

その後米国は、石油公社、ベネズエラ中央銀行、および主要な政府高官に対してさらなる制裁を課した。

そして2019年8月、全面的な経済制裁が実施された。一連の経済制裁の結果、金や鉄、ボーキサイトなどの鉱業、食品、暗号通貨、銀行など経済活動のほぼすべての領域が、制裁の対象となった。

もうやることがないくらいやり尽くしたと思ったら、また新手を思いついた。

2020年、米国は石油タンカーの船長をリストアップした。そして彼らにベネズエラの港の使用を禁止した。これはイランがベネズエラに石油を供与しようとしたのを妨害するためである。

非公式な報告だが、米国当局はベネズエラとの第三国企業による取引を防ぐために脅迫を行ったとされる。

AlenaDouhan
             AlenaDouhan

補足 1  米政府の最近の対応

本報告は、米政府が最近行った措置についても留意する。

2020年1月21日、パンデミックの人道的影響を最小限に抑えるために、米国の制裁を緩和する決定を行った。

2021年2月2日、ベネズエラの港や空港での業務に影響を与えている制裁の一部を緩和するための措置をとった。

補足 2 米国以外の国による制裁

ベネズエラ政府と国家に対して制裁を課しているのは米政府だけではない。

2017年に、欧州連合はベネズエラに対して制裁を課した。これには、武器禁輸、内部抑圧に使用される可能性のある産品の輸出禁止、電気通信の管理関連技術の輸出禁止、旅行の禁止と資産凍結が含まれる。

また欧州連合は、制裁措置に関連する措置として、民主主義、法の支配、人権の尊重を損なうと判断される個人の資産を凍結した。

欧州司法裁判所はこの決定を追認した。

2019年にポルトガルの銀行は、12億ドルのベネズエラ政府資金が凍結されたと報告した。

イングランド銀行に保管されていたベネズエラ中央銀行の預金20億ドルも、英国の裁判所の判断で凍結された。

2017年と2018年に、カナダはベネズエラ当局者の資産を凍結し、財産の取引を禁止した。理由は人民弾圧、重大な人権侵害、汚職、検閲、超法規的殺人などである。

2019年までに、リマグループ14か国のうち13か国が、ベネズエラ当局者の入国を禁止し、金融システムへのアクセスを拒否した。

同じく2019年までに、リオ条約の締約国の過半数が、麻薬密売、テロ活動、組織犯罪、および/または人権侵害に参加したとされるベネズエラ当局者に対して、資産凍結を行った。

補足3 ベネズエラ側の対応

ベネズエラは、一方的な強制措置に抗議した。そして、ローマ規程第14条に従って国際刑事裁判所に照会状を提出した。



藤原宏子ほか 鳥のさえずり…音声学習・知覚の脳内神経機構
 比較生理生化学誌 2004年


要約

音声を学習によって習得する動物は哺乳類(鯨類、ヒト、コウモリ)と鳥類のみである。

鳥類の音声信号は伝統的に「地鳴き」と「さえずり」に区別される。さえずりは、かなり長く続く複雑な音声で、学習によつて獲得される。

さえずりは複雑な音響学的構造を持つ。大脳の高次聴覚領域がさえずり知覚に関係している。野生下においても、鳥類は大きな音声学習能力を示す。うぐいすの「ホウホケキョ」が学習により完成することは周知の事実だ。

本稿では、さえずり学習・知覚に関するたくさんの脳研究の中から、3つの問題をとりあげて検討する。
①さえずり学習と脳容量
②雌鳥によるさえずり知覚機構
③鳥類の脳と哺乳類の脳の比較

1.さえずりの音響構造

さえずりはシラブル(音節)と呼ばれる単位音が集まって構成されている。鳥は学習によって各シラブルの音響構造を発達させる。

オウムが「おはよう」などの物真似音を覚えるのは、さえずりの新たなシラブルを覚えたものと考えられる。


2.さえずり学習と脳

鳥類の大脳には、哺乳類の大脳皮質に見られるような層状構造がない。しかし「さえずり学習鳥」の脳内では、さえずり学習に関わる複数の神経核がすでに明瞭に確認されている。その神経核群が、人間の大脳とは異なった仕方で言語活動に類似した活動を行っているのだ。

近年、鳥の大脳の解剖学的特徴が根本的に変わってきている。鳥脳研究者はその新知見を元に大脳の新たな分類を提起している。中でも最大の変化は、以前は線条体(striatum)といわれたものが外套(pallium)と呼ばれるようになったことである。つまり、ないと言われていた鳥の大脳が、実はしっかりあるというのが確認されたことである。

ではその鳥の大脳のどこで、鳥のさえずりは作り出されるのか。
さえずり制御系

さえずりの発声と学習に関わるいくつかの脳領域は、大きく分けて2つの神経回路から成り立つ。この2つはペアーとなって「さえずり制御系」を形成している。

A)直接制御系
さえずり産出回路である。主に発声制御を司る。
この神経回路は脳幹の舌下神経核を直接制御する。舌下神経は鳴管(哺乳類の声帯に相当する発声器官)の動きを支配する神経である。


B) 迂回投射系
この神経回路は哺乳類の大脳基底核に相当するAreaXに投射される。そこでシナプスを代え、視床核のDLMを経てLMAN核に至る。そこからシナプス結合を経てRAに投射する。

この神経回路は発声を直接制御するのではなく、発声に意味を与える。そのために「さえずり学習」を行い記憶する。

2つの系は「さえずり学習鳥」に共通する。しかしそれを具体的に担当する神経核は種類ごとに異なっている。それはさえずりの発生学的機序がそれぞれ異なっていることを示す。


3.神経核の容量

さえずり学習の達成度と、直接制御系神経核(HVCとRA)の大きさには、顕著な正の相関がある。

HVCの体積差は、この脳部位に含まれる細胞の数と大きさの違いを反映している。ただしこれらの所見は一元的には説明できない可能性もある。


4. さえずりと雌による弁別・価値づけ

さえずりを発するのはオスのみである。しかしそれはメスに向けられているのであるから、メスはさえずりに対する知覚が備わっているはずだ。

さえずりに対する知覚の発達機序については、幼鳥時の聴覚刺激により「ZENK遺伝子」(詳細略)が発現し、これにより大脳高次聴覚領が強く活性化されることが確認されている。

雌鳥は、同種の雄個体問にみられるさえずり構造の変異を識別している。いわば一連のシラブルを弁別する意味付加能力をもっている。そしてさえずりの価値判断をおこない、複雑なさえずりに対してより強い行動反応を示す。

つまり、鳥の雄の複雑なさえずりは、雌の選り好みのもたらしたものである。女性ウケを狙うことによって、雄のさえずりは複雑・巧妙になったと考えられる。


5. 音声知覚の脳領域:鳥類とヒトとの比較

さえずりの学習段階には、手本を聞いて覚える感覚学習期と、それを基に絶えず練習しながら、さえずりを完成させていく運動学習期がある。

鳥とヒトとは系統的にかけ離れてはいるが、「音声学習能」という共通の特徴を持っている。

ヒトの言語学習においても、音声を知覚・記憶する感覚機能系 (音声知覚・音声記憶系) が、言語の運動学習に重要な働きをしている。
ヒトの聴覚野

高次聴覚野に至るまでの聴覚伝導路(主経路)は、ヒトと鳥とは原則的に同じである。

聴器(蝸牛管)から出る1次聴覚ニューロンは、脳幹の蝸牛神経核などに接続する。鳥類では、そこから中脳核であるMLdに達する。これは哺乳類の下丘に相当する。

ここから視床核のOv (哺乳類の内側膝状体)を経て、大脳の一次聴覚野であるField L (ヒトのブロドマン41野に相当)に終わる。

ヒトでは一次聴覚野を取り囲むように、BA22とBA21が位置する。これら二つの領野はニ次聴覚領野とともに、さらに上位の聴覚連合野を形成している。ウェルニッケ野はBA22の一部を成す。

一次聴覚野では騒音に似た物理的な音が聞こえるだけで、言語 (意味を持つ音声) として認識する領野はこの聴覚連合野である。

これらのメカニズムは、鳥とヒトできわめて類似の関係にある。鳥がそうであるように人の言語能力の獲得も、元は「さえずり能力」(オスの求愛行動の道具)の転用にあるのかも知れない。

「オウム返し」と鳥の言語能力


1.鳥は偉いからオウム返しができるのだ

オウム、インコ、九官鳥、カラスは人の言葉を真似て喋ることができる。
これはとんでもないことではないか。何故か人はそれを馬鹿にする。
中にはこんなことを言う人もいる。
「知能が高いとされるサルやイルカには出来ないのに、何故鳥が人の言葉を真似るのか」

これは逆ではないか、「鳥はサルやイルカより偉いから人の言葉を真似できる」のではないか。

オウム返しができるということは、あと一歩で言語を獲得できるところまで進化しているということなのではないか。3つのことは確実である、発声器官がほぼ人間同様に発達文化していること、聞いた音を音ではなく一連のシラブルとして認識し模倣できること。それを意味のある音の連なりとして記憶し再生することができることだ。

子供の言語学習過程と比較してみて、それらが言語獲得過程の主要なエレメントであることは間違いない。唯一最大の違いはそれが発達の必然的な過程として位置づけられていないことだ。あくまでたまたまの遊びに過ぎない。

鳥にとってそれが遊びなのは、目下のところ無駄な能力に過ぎないからだ。ピアノが弾ける素人にとって、ピアノが弾けるという以上のものではないのと同様に…
You TubeのYou Sank My Baby Bird! を参照されたい。問題はそれが彼にとって「労働手段」であるかどうかという問題出る。


2.鳥は生物界のエリートだ

サルのほうが偉いという人は脳みその容量を問題にする。しかし人間の脳がでかいのは神経線維が多いからだ。
我が家のオーディオも裏側を見ると電線だらけだ。こんな不格好なものはない。神経細胞と神経細胞が直接繋がっていればこんな電線は必要ないのだ。

わたしは人間の脳がでかいのはブサイクな作りのためだと思う。鳥の脳のほうがはるかに美しい。

彼らは動物の進化の王道を歩いてきて、無駄を徹底的に削ぎ落として今の脳を完成させた。


3.哺乳類は生物界の傍流、霊長類はさらにそのまた傍流

哺乳類は、一度は生態系の辺縁に押しやられたが、爬虫類の大量絶滅の際に、リリーフとしてふたたび生物界の頂点に立った。

さらに霊長類といえば、哺乳類の中でももっとも原始的な楔歯類のようなたぐいが樹上生活に適応することで発展したもので、生物発達の過程から言えば傍流のまた傍流である。

つまりヒトの脳は、基本的な構造としてはネズミの脳とどっこいどっこいなのだ。

それが生物の発展史をジャンプアップしてトップに踊り出るにあたっては、相当無理をしている。

それが電線だらけ(しかも被覆線)の大脳として作り上げられてきたのだろうと思う。


4.鳥は発声を学んだのだ

鳥を貶めようとする人たちは次のようにも言う。鳥は人によって人まねを覚えさせられたのだ。そうすれば人間が喜ぶからだ。

果たしてそうだろうか。いやいやながら発声を覚えさせられたのだろうか。むしろ積極的に学んだのではないだろうか。

彼らはそれが信号系であることを理解し、それが有用であることを学び、積極的に取り入れたのではないだろうか。何よりも言語という信号系が自分たちにとっても利用可能であり、自分たちにはその能力が備わっていることを理解したのではないだろうか。

だから彼らが集団的に野に放たれ自生・繁殖能力を獲得すれば、やがて彼らも言語と呼んでも良い信号系を獲得していくのではないだろうか。

ただし、彼らが空をたばなければならないという必然性に制限されて、記憶装置の巨大化には限界が存在するが、それは空を飛ぶことを断念すればよいだけの話だ。


5.鳥には生産のためのコミュニケーションがない

集団で生活する鳥は、仲間同士で特有の鳴き声を真似てコミュニケーションをとるとされる。

これはもはやオウム返しではない。優れた聴覚と声帯や呼吸器官を駆使した信号伝達である。

問題はその信号伝達の目的が、狩猟のためではないということだ。

その多くは求愛行動として用いられる。つまり「個別要求に基づく行動」に伴う言語活動であり、集団行動とは別のベクトルの活動だということだ。そしてさえずり能力はオスにだけ付与されている。

我々はここでエンゲルスのテーゼを想起する。猿が人間になるに際して、それを決定づけたのは「労働」であるということだ。

さらに一言付け加えるのなら、人間の労働は本質的に集団的であるということだ。

目立ちたがり屋の示威行動に伴う個別的行動は言語の母体とはならない。それは集団性ではなく個体性の主張であり、言語活動能力の無駄遣いに過ぎない。

私達はここでハイエナたちの行動を思い起こす。「かもめのジョナサン」ではないが、鳥は一人空を飛び餌を見つけ獲得する。

そういう生活から言語は生まれない。

それが鳥が言語を生み出せなかった最大の理由ではなかろうか。


6.チョムスキーの逆立ちぶり

チョムスキーの生得論はソシュール言語学を批判する上では有効な方法であった。

さらにピアジェの理論の持つ弱点を正当に指摘している。

しかし結局、言語という子供から聴覚的信号系という親の性格を診断するようなもので、そもそも因果がヒックリ返った議論だ。

私は言語の最初期形態は、私、お前、あいつ、そしてそれらを含んだ我々という主語の区分だろうと思う。すなわち言葉の「主体化」だ。

そういう感じでもう少し議論を詰めてゆきたいと思う。

インド共産党 年表

視力の低下により、長時間の作業が不可能になっている。以前ならこのくらいの年表は4,5時間ででっち上げられたのだが、最近は作業時間の数倍の休憩時間が必要になっている。

1920年7月 コミンテルン第2回大会がモスクワで開催。M.N.ロイを団長とするインド左翼の活動家が参加。

1920年10月17日 コミンテルン大会に参加したM.N.ロイ、アバニムケルジ、ロイの妻エブリンが、ウズベキスタンのタシケントでインド共産党の結成を呼びかける。CPIMはこの日を創立記念日としている。

1920年 ボンベイで全インド労働組合会議(AITUC)が結成される。当初は穏健無党派。後にCPIが浸透する。

1924年3月17日  コミンテルンの担当者ロイの指示を受け、ダンゲらがカンプールで秘密の会合を持つ。場所はウッタルプラデーシュ州の工業都市カンプール(他の参加メンバーはムザファー・アフマド、ナリーニ・グプタ、シャウカット・ウスマニなど)
当局はこれを摘発し、「ボリシェビキ陰謀事件」として宣伝。

1924年 ボンベイで繊維労働者の争議。タングが指導に入る。

1925年12月25日 カンプールで、さまざまな共産主義グループが集結。インド共産党創立大会が開催される。

1927年 インド独立問題の調査のためサイモン委員会が設立される。国民会議を中心にサイモン委員会への抗議活動が強まる。

1928年 共産党、ベンガル・ボンベイなどに合法政党の労働者農民党を組織。国民会議派と共闘しながら独立運動を続ける。

1928年10月30日 ボンベイの繊維労働者を中心にゼネストが展開される。共産党は独自の労働センター「ギルニ・カンガル連合」の結成に成功。加入者は5万人を突破する。

1929年 共産党系が全インド労働組合会議(AITUC)の指導権を掌握。

1929年3月20日 メーラト陰謀事件。植民地政府が共産党への大弾圧を実施。ダンゲら党幹部32人が逮捕される。

1930年 第2次非暴力・不服従運動が始まる。スターリンの指示を受けた共産党は国民会議を反動ブルジョアと批判。

1934年 インド共産党、植民地当局により非合法化される。

1935年 共産党、逮捕されたソムナト・ラヒリに代わりジョシが書記長となる。

1936年 全インド労働組合会議の姉妹組織として、全インド農民組合が創設される。

1942年6月 独ソ開戦。コミンテルンの支持を受けたCPIは、第二次大戦をこれまでの「帝国主義戦争」から「人民の戦争」へと規定変更し、イギリスの戦争を支持した。イギリスはCPIに合法政党の地位を与える。国民会議はCPIを「民族の裏切りもの」と非難した。

1943年 ベンガル飢饉が発生。350万人の餓死者を出す。合法化したCPIは民衆救済に注力し、影響力を拡大。

1946年 CPI、ベンガルで貧農に収穫物の3分の2を要求するテーバガ運動を展開。

1947年 英本国で労働党内閣成立。インド独立法を制定する。

8月15日 インド、主権在民の連邦制共和国として独立。ネルーが連邦首相に就任。

1948年2月28日 カルカッタで CPIが第2回党大会を開催。宥和政策で国民の支持を失ったジョシ体制が更迭される。新しい書記長にラナディブが就任。

1948年 「インドの独立はニセモノだ」とし、武装闘争を是認する「カルカッタ論文」が発表される。ジダーノフの直接指示を受けたもの。

1948年9月 アンドラプラデシュ州テランガーナで農民の武装反乱が開始。3,000の村と約41,000平方キロメートルの土地に広がる。中央政府は軍隊を派遣し鎮圧。

1950年5月 CPIは、インドの政治権力を獲得する方法について激しい議論。過激派は「中国の道」(武力による権力の獲得)を提唱。ダンゲを含む他のグループは「インドの道」(インド憲法の制約内で権力を獲得するための穏健な戦略)を提唱する。

1950年 両派代表がモスクワに呼ばれ、スターリンが直接指示を発する。
① インドは独立しておらず、英国の間接支配のもとにある。
② 共産主義者にとって武装革命が唯一の選択肢だ。
③ しかし、それは中国方式ではない。農村での武装闘争は終わらせなければならない。

1951年 ダンゲが党中央要職に復帰。党は「人民民主主義」のスローガンを「国民民主主義」に置き換える。

1955年 ネルーとフルシチョフが相互訪問。両者はCPIの頭越しに関係を強化する。

1956年 第4回CPI大会。武闘派のラナディブがダンゲ・ジョシらの親国民会議路線を攻撃する。

1957年 ケララ州で、普通選挙を通じた共産党政権が発足。E・M・S・ナンブーディリパドが州首相に就任。

1957年 会議派は武装デモで挑発し、中央政府は混乱の責任を名目に州政府幹部を罷免。

1959年 中印国境で武力衝突。ネルー政府を無条件に支持しない党員に弾圧。

1959年9月 カルカッタで党大会。参加者の半数が中国の脅威を理由に会議派を支持、半数がケララ州での議会革命の敗北を理由にゲリラ戦術への復帰を主張。

1962年10月10日 ヒマラヤ国境で中国軍とインド軍の戦闘が始まる。ソ連は中立の立場を守る。

1963年 中ソ論争が公然化する。民族主義派と国際派との論争も先鋭化。民族派のダンゲが初代の議長、中間派のナンブーディリパッドが書記長になることで妥協が図られる。

1963年2月 中央委員会。110人のメンバーのうち48人が勾留や潜伏などの理由で欠席する。ダンゲはこの機会をとらえ、「西ベンガル党の活動停止」を決定する。ナンブーディリパッドはこれを不満として辞任。

1963年9月 カルカッタで反中央派が集会を開催。分裂が決定的となる。

1964年3月 ダンゲ・レターの存在が暴露される。1924年にダンゲが刑務所から英国総督に宛てて書いたもので、英国政府と協力することを約束していた。ダンゲはこれをでっち上げとするが、反中央派はさらに勢い付く。

1964年4月 ベンガルの長老ジョティ・バスとケララの長老ナンブーディリパッドが連名で、全国評議会のボイコットとダンゲへの糾弾を求める。

1964年10月 第7回党大会が開催。「自主派」は議会活動と並行して議会外の大衆行動を重視。反封建・反帝国主義にとどまらず反独占の課題を掲げる。

10月 インド共産党第7回大会が分裂。ボンベイでダンゲ派が大会。党に残留する形となるが、実際には少数派。多数派はカルカッタで大会を開催。新たにインド共産党(マルクス主義)を結成。

1967年 CPIM、スンダラヤを書記長に選出。中国の干渉と闘いつつ、全インド農民組合や新組織のインド労働組合センターが大衆闘争を支える。

1968年 ベンガルを中心に毛沢東派の暴力集団が相次いで結成され、「ナクサライト」の名で総称される。

1970年 ケララ州でCPIと会議派との連立政権が樹立される。CPIのメノンが州首相に就任。

1970年 労働センターも分裂。CPIMは全インド労働組合会議を創設。

1971年 バングラデシュ解放戦争が発生。会議派政府はバングラデシュを支持して内戦に介入。CPI も同様の立場を取る。CPIMは内政不干渉の立場を取る。

1977年6月 CPIMを中心とする「前進同盟」が、西ベンガル州で政権の座につく。ジョティ・バスが首相に就任。この政権は左翼戦線政府と呼ばれ、34年間にわたり政権を維持。

1980年 インディラ・ガンジーの「緊急事態」を支持したCPIは壊滅の危機に陥る。このためCPI(M)などの左翼勢力との共闘に進路を変える。会議派にすり寄ってきたダンゲ議長は解任される(2年後に除名)

1980年 ケララ州首相を務めたナンブーディリパドがCPIM書記長に就任。

1980年 ネルー→インディラ・ガンディー時代からラジブ・ガンディーの新自由主義経済政策へ移行。これに並行して、西ベンガルの左翼戦線州政府への敵視も厳しさを増す。

1981年 CPI全国評議会、会議派にすり寄ってきたダンゲ議長を解任する。

1996年 ナンブーディリパドが退陣し、スルジートが書記長に就任。

2000年 西ベンガルのジョティ・バス首相が引退。バッタチャールジーが州首相を継承する。

中村平次氏は西ベンガル革新州政の功績を4点に集約した。

(1) 農地改革

52万6500ヘクタールの土地が貧農・土地なし農民へ分配された。さらに女性を含む農民の耕作権をみとめ、これを保障する土地証書を配布した。

(2) 村落共同体の創設

地方社会構造を村、郡、県に3層化し、これに対応して三層からなる民主的自治制度を導入した。さらにそれらの女性議員枠を50%へ引上げた。

(3) 民衆の立場に立った地域開発

連邦政府はベンガルの地元企業に冷淡であった。これに対し州政府として一定の対応を行い、新規工業部門の建設により雇用機会の増大を図った。

(4) 多民族・多文化の共存

ゴルカーランドにおけるネパール系インド人の自治要求の解決。
ヒンドゥーとイスラムの共存を目指し政教分離主義を強化。

2004年9月 ナクサライト系暴力集団の一つ、「インド共産党毛沢東主義派」が結成される。インド共産党マルクス主義派と同じCPI-Mを略称とする。

2004年 国会議員選挙。左派が大躍進。CPI(M)は43議席、CPIは10議席を獲得する。両共産党を中心に左派を結集し、統一進歩同盟(UPA)を結成。

2006年5月  一斉選挙。CPIMを中心とする「左翼戦線」がケララ州で98議席を得て政権を奪還。西ベンガル州では235議席を獲得し、政権を維持する。

2008年7月 統一進歩同盟(UPA)が米国との民間原子力協力協定に賛成。CPIMは協力に反対。内部分裂によりUPAの信用失墜。

2009年 連邦下院選挙。CPIMは16議席にとどまり、存在感を失う。

2009年 スルジート書記長が退陣しプラカーシュ・カラートに交代。この後、選挙のたびに議席が激減し、書記長も頻回に交代している。

2011年 西ベンガル州議会議員選挙。CPIMが大敗し、政権を失う。タタ・ナノの工場誘致をめぐる強引な土地収用への反発が敗因とされる。

2011年 ケララ州議会選挙でも敗北し、政権の座を失う。

2013年 トリプラ州議会選挙。CPIMは政権の維持に成功。

2013年5月 マオイスト集団、会議派の地方議員らを襲撃。少なくとも27人が死亡。

2014年 連邦下院選挙。CPIMはさらに議席を減らし9議席まで後退する。

2016年 ケララ州議会選挙。CPIMがインド国民会議から政権を奪取。

2017年4月 マオイストの暴徒300人が、治安部隊を襲撃し隊員25人を殺害。

2019年 連邦下院選挙。CPIMはさらに後退して、3議席にとどまる。

5月11日の日経「オピニョン」が痛快だ。書いたのは日経コメンテーターの秋田浩之さん。
むかし読んだ「失敗の本質」という本を想起させる。いわばコロナにおける「失敗の本質」を論じたものだ。
日本の根本欠陥

見出しは「80年間、なぜ変わらない」というただ1本。

コロナ対応が、対米開戦へと突き進んだ戦前の政府とダブるというのだ。

ことは結局ワクチン接種の遅れに尽きる。

有事に機動的な対応ができない政治の欠陥を指摘する点では、伝統的右翼と同じ問題意識だ。
しかしそこからが違う。「だから国家統制を強化せよ!」との伝統的右翼の主張は拒否される。

秋田さんはきっぱりと主張する。そのような右翼的伝統こそが、80年間変わらずに日本を責め続けていると考えるのだ。

それが以下のフレーズである。

明治維新後、日本は日清・日露、第一次世界大戦、日中戦争と有事の連続だった。この間、国家は社会の統制を強めていった。
ではそれで危機対応力が高まったかといえば、そうではない。
大国との対立を調整できず、日米戦争に突入、国が滅びる寸前にまで行った。

いわば有事への「悪なれ」である。

それは次の3点に集約される。

① 行きあたりばったりの泥縄体質
② 縦割りを盾にした責任逃れ
③ 根拠のない楽観論

これが日本軍・政府の体質であり、それは戦後80年を経た今も色濃く残っている、というのが秋田さんの主張だ。

ここまでは快調なのだが、そこから先の「なぜ?」の議論が進まない。すぐにマニュアルとかプロトコールなど実務的な手続きに行ってしまう。彼らはもう、社会変革の実践の経験がない世代なのだ。

悪なれ体質は、批判・自己批判・相互批判の欠如が最大の原因である。踏まれた足は痛いが、踏んだ足は痛くない。「踏んだ足」はただ踏むだけでなく、「踏まれた足」を踏みにじるようになる。

私としては、統制ではなく議論の強化を望むし、その前提としての情報公開の強化こそが「悪なれ」を防ぐ唯一無二の保証だと思う。

明治維新は封建体制の打破、「万機公論に決すべし」の理想を掲げた。しかしそれは、80年にわたる「有事」の積み上げの中で窒息させられていった。

その80年と戦後の80年の積み上げを踏まえるなら、「実事求是」とたゆまぬ「公論」の育成こそが、「有事対応」に向けた最大の保障となるのではないだろうか。

日経新聞の奮闘に期待するところ大である。

私のだらしない性格のために、「マンロー医師 年譜」と称する記事が複数存在する。
しかもどれが底本なのかが自分でも分からなくなっている。
今回調べたところ、下記のバージョンが有ることが分かった。

 goo Blog

 ① ニール・ゴードン・マンロー 年譜

2021-03-17 19:12:21 | マンロー

文字数=6647(全角文字数=5538、半角文字数=1109)
 

② マンロー医師 年譜 (増補版)

2021-03-17 18:31:15 | マンロー

~1924年まで

文字数=11451(全角文字数=10113、半角文字数=1338)
 

③ 年譜 後編
1925年~ (マンロー医師 年譜 (増補版)とセット)

文字数=9929(全角文字数=9054、半角文字数=875)
 


Lavedoor Blog

2019年11月24日
④ マンロー医師 年譜 (増補版)
文字数=21384(全角文字数=19184、半角文字数=2200)

2019年10月26日

⑤ ニール・ゴードン・マンロー 年譜

文字数=6596(全角文字数=5510、半角文字数=1086)


文字数は

文字数・バイト数計算

というオンライン・アプリを使って調べたもの。

これで、
Lavedoor の2019年11月24日の記事
マンロー医師 年譜 (増補版)
が基本だということが分かった。
これを2021年3月17日にGooに移植し、その際に上・下2篇に分け、しかも題名を変えなかったため、他の人には同一記事の文才だということが分からない。
当然、2019年11月24日以降も記事に増補している可能性はあり、それは2021年3月17日まではLivedoor記事に反映されているはずだ。
問題は、それで3月17日以降、Gooの記事に増補しているかどうかなのだが、文字数計算で見る限り手は加えていないようだ。
ということで、






かくのごとき有様となったのは、日本史、アイヌ氏、マンロー関連記事をGooに移植しようと考えたためのもの。

結果的にはこれが大失敗だった。

Livedoor と Goo は当然違う会社の違うソフトだから、使い方が違う。
最大の問題は、写真や図表の転居がかんたんではないということだ。

実はその後、かんたんにLivedoor の無料ブログが開設できることが分かった。現在すでに3本のブログを立ち上げている。この3本のブログはすべて同じアカウントでログインできるので、ほぼ瞬間移動が可能だ。記事・図表・写真の移動も不自由なく行える。

そこで
④ マンロー医師 年譜 (増補版)
のみを残し、ほかは破棄することとする。

Goo Blog はこのさい破壊消失させることとし、
あらたにLivedoor Blogを使って、「鈴木頌の歴史ブログ」(仮称)を立ち上げ、そこに収容する。
それまでのあいだは、当面マンロー医師 年譜 (増補版)
http://shosuzki.blog.jp/archives/81566213.html
を底本とする。


が使えなくなったという記事を書いたら、下記の如きコメントを頂いた。

new!英語でコメントしますね
Could you please try the RealPlayer Downloader. It's free.
Easy~と共存できるので、両方入れておいて、HTMLに対策されてダウンロードできなくなったときは、できる方を使うという使い方ができるみたいです。 
From 通りすがりの人

なつかしい名前に会ったものだ。まだ生きていたのか。むかしこのソフトはどこまでフリーでどこから有料なのかとてもわかりづらくて、なんだか騙されそうな気がして、敬遠していた覚えがある。

みなさんもそのように念頭に置いておいてはどうだろうか。

ただし私の場合、昨日の朝には
Easy Youtube Video Downloader Express PRO 
が復旧していた。
私の記事
Easy Youtube Video Downloader Express PRO のダウンロード
をご参照いただきたい。

アムステルダムが欧州の株式シェアー・トップに
欧州の株式シェア

ちょっと古いが、欧州の株式取引センターが変わったというニュース。
主たる原因はロンドンがブレグジットに伴い凋落したためだ。
日経新聞が独自に作成したもので、株式売買に伴う取引代金で各国を比べたもの。
注目すべきはそのスピード。わずか1ヶ月、ブレグジットの開始を挟んでの比較だが、ロンドンの水揚げは半減した。一瞬目を閉じて、目を開けたら世界が変わっていたということだ。イギリスの金融・証券界にとっては心臓麻痺を起こすほどのショックだろう。
残酷なようだが、今後どこまで落ちていくかが見ものである。もう一つはシティを根城に欧州展開を図っていたアメリカの投機資本がどこに流れていくのかも注目に値する。
これに代わって、アムステルダムが3階級特進でトップに踊り出たが、こちらはあくまで中間ラップであろう。
イギリスはサッチャー時代に金融に特化することで生き残りを図ってきたが、このメを自ら潰してしまった今、今後どう生きていくか、実際のところ五里霧中であろう。
さらにスコットランド議会選で独立派が過半数を獲得、「住民投票」の動きが加速している。また北アイルランドでも親英派がブレグジットの火の粉をかぶる形となり、親アイルランド派の勢いが増しつつある。


ナレンドラ・モディ首相へのお願い:
「“政府”が必要です。どうか脇にどいてください!」
アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy)


We need a government. 

Desperately. 

And we don’t have one. 

We are running out of air. 

We are dying. 

もはやそこにシステムはありません。だから、援助の手が差し伸べられても何をすべきかわかりません。

What can be done? 

Right here, right now?

2024年(次の選挙)まで待ちきれません。

Arundhati_Roy
ウィキペディアより

私のような人間が、ナレンドラ・モディ首相に何かをお願いする日が来るとは想像もしていませんでした。

個人的には、それよりも刑務所に行くことを望みます。

しかし今日、私たちが家で、路上で、病院の駐車場で、大都市で、いなか町で、村や森や野原で死んで行こうというとき、私は、普通の民間人である私は、「誇り」を悔しさと一緒に呑み込んで、何百万人もの我が市民たちとともに申し上げます。

please sir, please, step aside.

At least for now. 

I beseech you, step down.

This is a crisis of your making. 

You cannot solve it. 

You can only make it worse. 

このウイルスは、恐怖と憎しみと無知の空気の中で繁殖します。
あなたが物言う人々を羽交い締めにすると、それは繁殖します。
あなたがメディアを脅迫して、本当の真実が国際メディアでしか報道されなくなったとき、それは繁殖します。

その国の首相が、記者団の質問に答えられないので、任期中にただ一度の記者会見も行わなかった国で、それは繁殖します。
恐怖感がすっかり麻痺してしまったこの瞬間に…


あなたが去らなければ、この先、何十万人ものひとたちが余計に死ぬことになるでしょう。
だから、今去りなさい。
Jhola uthake。

あなたの尊厳を保って。

あなたは瞑想と孤独の素晴らしい人生を送ることができます。
あなたは前に、それがあなたの望みだと言ったでしょう。
でも、もしこの大量死を続けたままにするなら、それは許されなくなります。


あなたの党には、すでにあなたに代われる人物がたくさんいます。
この危機の瞬間を、政敵とさえも連携して、乗り越えなければならないことを知っている人たちです。
政府と危機管理委員会を組織し、活躍できる人たちもたくさんいます。

Rashtriya Swayamsevak Sanghと党はかれらを承認するでしょう。


政府の主要閣僚は、公正な方法で代表者会議を選任できます。議会もその代表を参加させることができます。それに科学者、公衆衛生学者、医師、関係官庁の代表もです。

これが民主主義というものです。あなたは分からないかもしれませんが。
Opposition-mukt (非常大権?)などとんでもない。それは民主主義ではなく専制政治です。それはこのウィルスが大好きなものです。


もしもあなたが直ちにやめないならば、この「大発生」は世界への脅威となり、ますます国際的な問題と見なされるようになります。

問題なのはあなたの無能さなのです。それが他国からの介入や干渉に口実を与えているのです。
それは国家主権のための闘いに危害を加えるものです。このままでは再びインドは植民地となるでしょう。
無視しないでください。これは深刻な可能性です。 


だから、どうぞおやめください。

それがあなたの果たすべきもっとも大事な責任です。

あなたはすでに私たちの国の首相になる道徳的権利を失ってしまったのです。

Easy Youtube Video Downloader Express が消えた!

以前にも書いたとおり、Easy Youtube Video Downloader Express のPROバージョンは、残された貴重な(知る限り唯一の)You Tube のダウンローダーだった。
30ドルをペイパルで振り込んで、ダウンロードを開始した。
私のブログでは、
にその時の経緯を書いてある。それから約3ヶ月、PRO はサクサクと動き続けた。すべてのオプションが稼働したが、私はMP3の256KBを愛用した。2,3年前のYoutube が意地悪を始める直前の状態に戻った。
5月2日を以て、まずPROが動かなくなった。音質はすべて95kbのAACに戻った。そして本日、ついにEasy Youtube Video Downloader Express のボタンそのものが、Firefoxの画面から消えたのである。

とにかくFirefox のアドオン開発者Dishita さんの掲示板に行ってみた。
最新の発言がこれ

私はPRO愛用者です。PROはこれまで素晴らしい働きをしました。しかし今日は動作を停止しました。ダウンロードを押すボタンはもうありません。
ここに来て、他の人も同じ問題を抱えていることが分かりました。開発者が修正してくれることを願っています。

まったくの同感。

たしかにこの半月のあいだにFirefoxは2回、アップデートされた。そして1回目でPROが効かなくなり、2回めでExpress のボタンが消えた。
しかし過去の例から考えて、これがFirefox やったのではなく、You Tubeが色々やっているのだろうと思う。

ある投稿にはこう書かれている。
You Tubeはまたコードを変更した。いつもの通りのダウンロードの妨害だ。そんなに大規模な変更ではないから、Dishita さんがすぐに直してくれるだろう。

もともとグーグルはこの手のアドオンにはきつくあたってきた。You Tubeを合併したからにはなおのこと、Firefox のアドオンにタダノリさせたくないのだろう。

2時間前の投稿者は回避法を提案している。
looked for the div #eytd_list on inspect element and set it to display: block, then the download options finally appeared on the top left.
どうも難しすぎて手が出ない。これまでの3ヶ月で十分元はとっており、今さら3千円は惜しくはないが、使えるに越したことはない。Dishita さんに期待するところ大である。



この動画に感動しないヒトはいないだろう。
圧倒的な力の差がある敵に対して20頭のブチハイエナが集団で立ち向かっている。
ハイエナに武器はない。あるのは連携力、スタミナ、それと勇気だ。
逆にライオンから失われていくものはスタミナとファイティング・スピリットだ。
あるものは、ライオンの一撃を食らって致命傷を負っているかも知れない。
我々の祖先も、武器を持たない時代には、このように毎日命がけの戦いを続けていたのかも知れない。
そして多くは逆に襲われる身となり、大型獣の狩りの対象となっていったのかも知れない。


ブチ・ハイエナ

生物学的特徴

4種のハイエナのうち、我らの対象となる「狩りをするハイエナ」はこのハイエナである。
ネコ目  ハイエナ科  ブチハイエナ属というのが系統樹アドレスだ。イヌに似た姿をしているが、ジャコウネコ科に近縁である。

頭胴長120-180cm、体重55-85kgでほぼ成人男性並み、かなりの大型である。強力な頭骨と顎によって、他の肉食動物が食べ残すような骨を噛み砕く。

このため草原の掃除人との異名を持つ。マサイ族は人間の遺体を放置してハイエナに食べさせる。

後ろ足の短いのがいかにも不格好だが、時速65kmを超える俊足。しかし最大の特徴は並外れたスタミナにある。数キロの距離を時速40キロで走り続けることができ、執拗に獲物を追及しかならず仕留める。

力が強く、家畜のロバなども引きずっていく。持久力に優れ、獲物を探して1日で30kmほども移動することもある。聴覚は鋭く、眼は夜でもよく見える。水はあまり飲まず、1週間程は水を飲まなくて過ごすことが出来る。

見た目が美しくない、しつこい、不気味な鳴き声などから不吉な言い伝えに包まれている。

アニマルフォトグラファー の平岩雅代さんは「野生動物の中で、ハイエナほど悪い印象を持たれている動物は他に見当たらない」とまで書いている。

野生下の寿命は33年だが、飼育下では40年以上生きた個体もいる



ブチハイエナ


ブチハイエナの生態


サハラ砂漠以南のサバンナ、低木林地帯に生息し夜行性である。

東部アフリカ(ケニア・タンザニアなど)では群れ(クラン)を形成するが、南部では家族単位、あるいはオス単独で縄張り行動を取る。ここでは主としてサバンナのブチを扱う。

生息密度は地域によって異なるが、開けた草原から半砂漠地帯、湿原や藪のある岩場まで、さまざまな環境に適応している。エチオピアなどでは標高4000mの高地にも姿を現す。

家族のリーダーは例外なくメスである。メスはオスより大きく、男性ホルモン(アンドロゲン)の分泌が盛んである。このため外性器は、外見上はオスのそれとほとんど区別がつかない。
札幌市円山動物園HPより
「雌」のカミは性成熟年齢に達した後も発情兆候が見られないことから、カミが雄である可能性が生じたため、麻酔下で超音波画像検査、内分泌学的検査等の性別検査を実施した結果、二頭ともオスであることが判明いたしました。
動物なら何でも食べる。時にはスイギュウなどの大型動物も倒し、キリンやサイ、カバの子どもなども襲うことがある。時には鳥や魚、ヘビやトカゲ、昆虫や果実など、生息域や環境に合わせて、実に様々なものを捕食している。

獲物の種類によって狩りの仕方を変える。単独で狩りをするときは、ノウサギや地上徘徊性の鳥、魚などを狙う。ヌーやシマウマ、ガゼルなどの大型獣では10~25頭のブチが協力し追い回す。最後に、疲れて脱落した個体を仕留める。

ハイエナは他の肉食獣の獲物を奪って食べると言い伝えられるが、実際は食料の半分以上を自分たちで捕える。ライオンに横取りされる場合もある。

彼らは12種類の鳴き声を使い分けている。そのうち1つが笑い声のように聞こえる。このことから「笑うハイエナ」の別称がある。食べ物を見つけた時や威嚇する時には、頭を低く下げて気味悪い声で吠える。実際の声が聞けるが、なかなか不気味である。

ただ、それよりもはるかに印象的なことがある。それは彼らがきわめて饒舌なことだ。母系社会であるせいか、ここでは「沈黙は金」という格言は通用しない。それどころか「饒舌は金」とばかりにしゃべくりまくる。

ハイエナの行動はスマートで大胆だ。食糧倉庫や作物を荒らし、家畜や人間も襲うこともある。害獣として彼らは人間に嫌われ、害獣として大量に捕殺されたこともある。


家族とクラン

ハイエナの基礎コミュニティーは「パック」と呼ばれる家族単位で構成されていて、ふつうは3~4頭程である。

状況によっては有力なパックを中核とし、10~20頭の群れ(クラン)を形成する。クランは80頭に達することもある。ハグレモノのオスが一宿一飯の恩義を受けることもあるらしい。

行動範囲は生息地によって変化し、東部アフリカでは30~40平方キロ、半砂漠地帯では1000平方キロに達する。

クラン内では、メスがオスよりも常に優位である。群れのリーダーもメスである。その地位はリーダーの長女に受け継がれる。もっとも低ランクのメスでもオスよりはランクが高い。基本的にメスはクランに残り、オスは2歳半頃にクランを出る。

群れの仲間同士は強く結びついており、協力して狩りをしたり、ライオンの攻撃から身を守ったりする。


株式会社バイオーム 「ブチハイエナの知られざる社会

Webナショジオ 動物大図鑑 ブチハイエナ

ウィキの「群れ」の項目でいくつかのポイントが分かった。

1.群れの正式術語

まず「群れ」の英語は、一般的には「group」を用いる。草食動物の場合は「herd」、オオカミなどでは「pack」、鳥の場合は「flock」、魚類の群れは「school」である。
スクールというのがいかにもめだかの学校で面白い。

英辞郎ではもっと詳しい
assemblage(人や物の)
band(動物の)
bevy(ヒバリやウズラなどの)
cete(アナグマの)
flock(ヒツジ・ヤギ・鳥などの)
group(人や物の地理的に近い)
herd(牛などの大きな動物の)
huddle(人や動物の)
murder(カラスなどの)
pack(犬やオオカミの)
parliament(フクロウの群れ)
pride(ライオンなどの)
pride(ライオンなどの)
school(魚などの)
shoal(魚の)
troop(人・動物の)
wisp(シギの)

何故かアリやハチなどの群れは群れに含まれないようだ。


2.目的による分類(ただし本当はよくわからない)

それはたんなる集団ではなく、「群れる」という目的で群れているので、なぜ群れるのかという目的によって分類するのが普通である。

捕食、防衛、生殖のための群れに分けられるが、捕食以外の目的は外的形態からの推測にとどまり、目的合理性に乏しい。
(現に、「群れ化」の欠点をあげつらう注釈をつけた論文もたくさんあるが、にもかかわらず、それらの論文が「群れ化」の目的をまったく疑おうとしないのは驚くべきことである)

したがって狼・ハイエナの「Pack」以外の行動は、偶発的な集団行動と捉えておくべきであろう。
(この点をアイマイにした工学的発想の論文があまりにも多い。例えばライオン家族の狩りを群れ行動として分析したり、昆虫の集団行動とチンパンジーとを比較したりするむちゃくちゃがまかり通っている)

なおサイズで分ける人もいるが、サイズは目的によって変わるので本質的ではない。

言語が発達するのも、この「群れ」においてのことだと思われる。


3.群れの反対は縄張り行動

捕食行動+共同活動は犬科の行動を特徴づける。これに対し家族を単位とする捕食行動がネコ科の行動スタイルだ。

縄張り行動にも群れと同様に捕食、防衛、生殖のための行動という分類がなされる。

ただし縄張りが確保できるのは条件的、一次的であり、それ以外の状況においては群れ行動を取らざるを得ない。

家族が大きければ、それ自体が群れではないかと言うが、群れでは子殺しはない。ボスは家長ではない。

両者は絶対的な対立ではなく、相互のあいだに移行が見られる。


4.群れに関する学術的検討は依然として初歩的である

最初にも述べたように、本当のところ何故群れるのか分かっているわけではないので、かなり恣意的な分類となる。

定義も特徴づけも各人各様であり、使用目的に合わせ自分なりに定義立てする他ない。ただ定義を厳密化していくと、結局狼の群れを念頭に置くしかないであろう。

1.普遍文法の隘路を抜け出すために

言語(母語)は生得的か学習によるものか、という議論は形而上学的で不毛なものだ。
こういう際は、ひとつ上のカテゴリーでの議論が必要になる。ではひとつ上のカテゴリーとは何か。
それはコミュニケーションの発達の歴史だろう。この事により人類発祥の前からの流れを一つの数直線に置くことができる。このパスは複線で、一つが必要性でもう一つが可能性(能力)だ。

おそらく言語はホモサピエンスかせいぜい旧人の時代までで、原人や猿人の世界までは遡れないだろうが、霊長類的コミュニケーションの発達史ということになれば、少なくとも100万年前、霊長類からの分岐ということになれば1千万年前まで遡ることができる。
Nature によれば、現生人類が旧人と分岐する約60万年前には、すでに遺伝学的には、現代のような音声器官が備わっていた

そうすると「生得的」という言葉でDNA絡みの適応説を切り捨てる必要もなくなる。獲得形質の「遺伝」というネオ・ラマルキズムは、堂々と議論の主役となることができる。

2.コミュニケーション・ツールという位置づけ

これは言語=道具論だ。それは言語の基幹をなす機能ではあるが、言語と言語で表された世界の全体を示すものではない。これは議論を紛糾させないために必ず必要なことだ。言語はまず人間同士の情報伝達手段として生起する。それは「群れ」のみなに通用する合言葉として、「口述的」な言語として登場する。

ついでそれは自分との対話を生み出す。これが内言語である。それぞれの人間にとって、内言語の世界は巨大である。内言語による言語活動は、用いられるワード数から言えば対話的言語活動の数倍から数十倍に及ぶのではないだろうか。

多くの場合、内言語活動は言語学の対象とはならない。むしろ思索として語られることが多く、哲学や心理学の主たる対象となる。

内言語を研究の対象とする学問と、対話的言語に関心領域を絞り込む学問では、どのように互いが努力してもすれ違いは避けられない。だから避けられないことを念頭に置いて注意深く議論をすすめるべきである。

3.「群れ」の発達と言語の発達

言語の成立を学ぶためには「群れ」、とくに人間の群れの歴史を知らなければならない。
おそらくそれは、エンゲルス風に言えば「猿が人間になるについての“群れ”の役割」ということになるだろう。

そこでは
ヒトから人間への媒介としての“群れ”
集団から群れへ
攻撃的な群れと防衛的な群れ、生殖時の一次的な群れ
運命共同体としての群れ
群れにおけるコミュニケーション
群れと情報蓄積
群れと役割分担
言語能力と群れ
“群れ”が個人に押す刻印としての母語
などが考察されることになるだろう

4.脳科学と脳神経学との違い


同じことが脳科学と脳神経学との関係においても言える。大脳各部、とりわけ側頭葉と前頭葉に興味を集中する脳科学は、ともすればそれが神経組織の一部であり、情報の二次処理の場であることを忘れがちになる。

我々がさまざまな脳の働きを発生学的にあとづけたとき、大脳の機能は一次的には大脳以外の部署で処理可能であることが分かる。だからスキナー箱のように、大脳の働きをなにか一次刺激を与えて、それにたいする大脳の一次応答を見る実験は、所詮は本質的なものではないといえる。

多くの脳科学者は医者ではない。むしろテクノロジー分野の人だったり、心理学者(スキナー派の)だったりするので、操作主義的傾向が非常に強い。脳をブラックボックスに見立て刺激を与え、そのアウトプットを解析する。医学者や発達心理学系の心理学者は、まず観察に始まり、分類し、インデックスを立てる。だから大脳の働きや言語の意味などを神経系全体の動きや、液性制御と切り離せないのである。私が「三脳系」説に固執するわけもそこにある。


「普遍文法」(Universal Grammar)という、ややハッタリをかました言葉に、酒井邦嘉さんが乗っかる形で拡散しているようだ。

「普遍文法」で検索をかけたところ、下記のエッセーにヒットした。

「脳は文法を知っている」という題で著者は不明だが、酒井邦嘉さんのフリークを名乗っているので、関心領域としては一致するのではないかと思う。
http://mind.c.u-tokyo.ac.jp/Sakai_Lab_files/NewsJ/WAC2005_Report.htm

かなり長い文章なので、端折りながらたどってみることにする。


赤ちゃんは言語を理解するための基盤を持って生まれてくる。言語能力のなんらかの原型が最初から備わっていることを示す。

ということで、『言語を生みだす本能的能力』の存在がまず提示される。

チョムスキーはそれを言語学的に読み替えた。
1.それはルールの形をとっている。
2.そのルールはユニバーサルである。
3.それは脳に由来する。
(相当の注釈を必要とする定義である。ルールというのは、言語がたんなる音声ではなく言語であるための条件ということであろう。ユニバーサルというのは、諸言語の持つ特殊性は捨象されるということであろう。脳というのは、言語を操る生物、すなわち人間の脳ということであろう。したがって猿の脳が人間になるまでの全発達段階の反映としての脳であろう)

チョムスキーはわざと挑発的な物言いをした可能性がある。

あとは言語学的な例証が続くが、少なくとも無条件支持はしない。

おそらく原人から旧人への移行期に言語が形成されたと思われる。これは解剖学的に推定される。


文法のDNA化でなく、「主語の自立」で良い

動物や鳥類などの観察から言えるのは、主語の自立と中心化であろう。動詞はかなり初期からあったかも知れないが、それが述語になるのは、主語が確立するからであろう。

まず文章が文章であるための必須アイテムとして、主語が析出する。主語の析出が意味するのは個性的な主体の確立である。ついでそれに引きずられて、揺れに揺れながら述語が確立する。それだけの話しであって「普遍文法」などとおどろおどろしい言葉を持ち出すまでもない。

これらはすべて、群れの形成と群れと群(という鏡)によってもたらされた個、という彼我の関係の発生に起因するとかんがえられる。それは大脳の巨大化に要した時間とほぼ一致する。

言語は脳の自然現象

これはチョムスキーと言うよりは酒井さんの考えの受け売りのようだが、かなり明らかな誤りである。

そもそもチョムスキーが誤解を招くような物の言い方をしているのが問題なのだが、酒井さんはこれを素直に受け取って、「脳が言語を生み出している」と単純化する。

言語活動と脳血流分布

酒井さんは f MRI を使って文法的言語活動時と、記憶想起的言語活動時のフローの相違を検討した。

文法判断をしている時は、左脳前頭葉にある赤い部分が目立って活動している。記憶を使った判断では、べつの緑の領域で活動が目立った。

この実験により、ブローカ野が文法的言語活動の中枢であることが明らかとなった。
言語活動とfMR

(この写真はむかし見せられたことがある。ただし介入試験であるため、どこにどう介入したかの問題があって、評価は難しい。そもそも言語活動における脳の働きがこんなに単純なものか?、という感じを捨てきれない。むかし学会でこういう写真見せられると「キレイだね」とささやきあったことを思い出す。なにせ画像屋さんは画像が命ですから…)

ここまでがチョムスキーの紹介と、酒井さんの紹介。ここからは著者の「私的な思案」となる。
ここでは、「文法」という言葉に振りまわされている著者の姿を眺めることになる。

一言だけ私の意見を言わせていただきたい。
言語はたしかにコミュニケーション・ツールではあるが、そこにとどまるものではない。すでに内言語はコミュニケーション・ツールのカテゴリーをはみ出しており、それは思考のツールと言うべきものとなっている。
私たちは「言語」という言葉で、すでに「言語的知性」を語っている。そのような「知性」と「知的主体」の発展の仕方を語っているのだ。それは決して脳味噌のどこが光ったり、赤く染まったりしているかという問題ではない。



この文章も2005年のものなのでかなり古い。今の目で批判すべきものではなく、「あの時代にはこう考えていたのだ」的な、適当な距離をとったほうが良いのかも知れない。


酒井さんの本を読みすすめるうちに「ピアジェとチョムスキーの論争」という小論に目が止まった。酒井さんの議論を考える前に、まずは論争の中身を把握しておきたい。下記は学会のポスター発表による要約である。

ピアジェとチョムスキーの論争…言語獲得は生得か学習か…
柿原直美 (2006年) 早稲田大学教育研究科
(日本教育心理学会 第48回総会 ポスターセッションでの発表)


1975年、ピアジェとチョムスキーは言語獲得の生得性をめぐって論争した。
(きっかけは、異常な言語環境に育った子どもの例を解釈したチョムスキーに対しピアジェが噛み付いたらしい)

次の表は健常児と特殊な環境で育った子どもの言語発達を比較したものである。

言語習得


ヘレン・ケラーが言語を獲得できた理由

カマラとジーニーと違い、なぜヘレンだけが十分な言語を獲得できたのだろうか。

自伝には、聴覚や視覚を失っても、触党、嗅覚で周囲の状況を判断していたことが書かれている。
したがって知能は正常に発達していたと考えられる。

ヘレンやカマラは言葉の必要性を感じる機会はなかった。

種々のテストの結果、ジーニーは「右半球思考者」で、非言語課題のほうができた。

『固定の核』(fixed nucleus)

カマラとジーニーは自然に言葉を獲得できなかったが、その後不完全であっても言葉でのコミュニケーションが可能になった。
このことは、人間には言語に関わる生得的な才能があると考えられる。

すなわちチョムスキーが普遍文法と呼ぶ能力は持っている。

しかし人間は、脳も心も遺伝子的に完全に決まってから生まれるわけではない。

遺伝子は脳の構成要素に正確な構造を授ける。あとから決まるのは自己組織化の圧力である。

つまりチョムスキーの生得論は無条件のものではない。

ということで、柿原さんの論旨はどちらも正しく一理ある、ということで「両者、引き分け!」という心優しい評価である。

ただこの勝負はボクシングのチャンピオン決定戦ではないが、引き分けならチョムスキーの勝ちということになる。

おそらくチョムスキーはピアジェを読みこなしていただろうし、そのほとんどに対し賛成してるだろう。その上で、「生得的なものもあるんじゃないですか」と言うわけだから、そもそも勝負にならない。

その上で、ピアジェが突っかかっていったのが、「普遍文法」というきわめて挑発的な命名だ。無名の新人がデビューにあたってモヒカン刈りとふんどし姿で受けを狙ったような感じもする。

私としては、むしろ生得性に対する軽視がピアジェの最大の弱点だと思う。彼はアメリカ流の心理学に対して十分に唯物論的だが、時間軸の観念が乏しい。そこをヴィゴツキーやワロンに厳しく批判され、すこしは反省した。それでも最後まで枠組み概念への固執から抜け出せなかった。

酒井邦嘉「言語の脳科学」(中公新書 2002年)を読み始める

続くかどうかわからないが、今の所やる気十分である。

「ようやく骨のある言語と脳に関する本と巡り会った」というのが感想。
まだ読み始めでなんとも言えないが、ちょっと読んだだけで、考えのしっかりした論文だということは分かる。ただ初版が2002年というのがいかにも古い。この分野で20年前というのは、前提事実という点からは致命的だろう。

あのころは「脳科学」という言葉を使うのをやめようかと思ったくらい、アレルギーが出るほどの科学分野だった。「脳神経学」の肩書きは厚化粧のテレビ・タレントの専売特許に成り果てた。

いくつか似たようなテーマの本を買い漁ったが、2,3ページで腹が立って捨てた。

医者というのはまず訴えの時系列的な把握を通じて病歴を浮き立たせ、ついで慎重かつ注意深い観察へとつなげる。

ついで類似疾患との共通性、差異性を鑑別しついに一つ、あるいは複数の仮説に達する。それから緻密な実験モデルを組み立て、推論を実証する。

脳科学者の議論には、この積み上げがない。だから実験は多義的でトリトマのないものとなり、そこから恣意的な結論を引き出す。

私の言語論の出発点は、ピアジェ、ヴィゴツキー、ワロンである。まことに教条主義的なマルクス主義者である。

ヘーゲルが「手段の狡知」をとき、マルクスはそれを労働手段と捉えた。「資本論」を書くための作業仮説だから仕方がない。

わたしはそれは外在的なものではなく、人間的活動の「手段」の体系と考えている。その諸手段の中でもっとも本質的なものが言語だと考える。

私は以前、「言語のヘーゲル的理解」という記事の中でこう書いた。
人間的活動は人間的ツール(記号・シンボル)を用いることにより初めて人間的活動となる。
逆の言い方をすれば、言語は人間的活動と共関係を結ぶことで、活動にとって不可欠の要素となる。
そしてそのことで、初めて「可能態」をこえて言語となる。
ややくどい言い方になるが、このような相互依存を前提とする関係において言語を捉えなければならない。


下記は旭速算研究塾 のHPから引用したわり算九九の一覧表である。
私は小学校3年生の頃、近くの珠算塾に通った、というより見学したと言ったほうが正確かもしれない。なにせわり算のところで挫折してしまって、それきりだったからだ。
だからわり算九九などというものは知らずに終えてしまった。
もっともわり算九九は5つ玉のわり算に使うので、現在の四つ玉では紙で書いて行うやり方と同じ計算法らしい。


割算九九(割声)

そろばんのわりざんには、商除法と帰除法があります。現在一般に行われているのは商除法で、かけざん九九を使って商を見つけます。帰除法は昔使われていた方法で、割算九九(割声)を覚えて計算するものです。ここではその割算九九(割声)をご紹介しましょう。

【二の段】二一天作五にいちてんさくのご
二進一十にしんがいんじゅう(にしんがいっしん)
【三の段】三一三十一さんいちさんじゅうのいち
三二六十二さにろくじゅうのに
三進一十さんしんがいんじゅう(さんしんがいっしん)
【四の段】四一二十二しいちにじゅうのに
四二天作五しにてんさくのご
四三七十二しさんななじゅうのに
四進一十よんしんがいんじゅう(よんしんがいっしん)
【五の段】五一加一ごいちかいち
五二加二ごにかに
五三加三ごさんかさん
五四加四ごしかし
五進一十ごしんがいんじゅう(ごしんがいっしん)
【六の段】六一加下四ろくいちかかし
六二三十二ろくにかかに
六三天作五ろくさんてんさくのご
六四六十四ろくしろくじゅうのし
六五八十二ろくごはちじゅうのに
六進一十ろくしんがいんじゅう(ろくしんがいっしん)
【七の段】七一加下三しちいちかかさん
七二加下六しちにかかろく
七三四十二しちさんしじゅうのに
七四五十五しちしごじゅうのご
七五七十一しちごななじゅうのいち
七六八十四しちろくはちじゅうのし
七進一十ななしんがいんじゅう(ななしんがいっしん)
【八の段】八一加下二はちいちかかに
八二加下四はちにかかし
八三加下六はちさんかかろく
八四天作五はちしてんさくのご
八五六十二はちごろくじゅうのに
八六七十四はちろくしちじゅうのし
八七八十六はちしちはちじゅうのろく
八進一十はっしんがいんじゅう(はっしんがいっしん)
【九の段】九一加下一くいちかかいち
九二加下二くにかかに
九三加下三くさんかかさん
九四加下四くしかかし
九五加下五くごかかご
九六加下六くろくかかろく
九七加下七くしちかかしち
九八加下八くはちかかはち
九進一十きゅうしんがいんじゅう(きゅうしんがいっしん)

だからいまの算盤では、使えないらしい。(このへんかなりアイマイ)
このページは、かなり珠算が分かっている人向けのサイトらしく、計算例は書いてあるが、中身はチンブンカンプンだ。You Tubeあたりに使用例があるかも知れない。

You Tube 調べたが「にいちてんさくのご」も「5つ玉そろばん」もない。5つ玉はいまの「4+1玉」をこう呼んでいる可能性がある。

サンテレビニュースにわりに詳しく情報が伝えられているので、興味のある方はそちらをご参照ください。

「ルアンダ動乱」を考える

言いたいことがたくさんありすぎて、ちょっと論旨が散漫だ。

歳のせいも多少はあるかもしれないが、基本的には服部さんの饒舌ぶりに原因があるかと思う。

繰り返しも多いが、おそらく単騎、世界の世論に対決して螳螂之斧をもって立ち向かおうとする気負いと悲壮感のなせる業であろう。小見出しはあえて服部さんに従わず独自に付けてみた。


1.国際メディアが変だ

虐殺はひどいが、それだけではなく「動乱」全体を把握、分析、報道すべきだ。この点で納得できない。

米国東北部エスタブリッシュメントのメディアはひどく公正さが欠けている。日本のメディアには客観的で自主的な判断がない。


2.「動乱」の被害者は誰だ

50万人のツチ人が殺されたというが、ツチ族はルワンダ国民750万人の10%強なので、半数以上が殺されたことになる。これはにわかに信じがたい。

一方、愛国戦線の報復を恐れたフツ族は大量に国外脱出した。国連難民高等弁務官の調査では総数411万、うち隣国に221万とされる。

これらを足したものが、動乱の被害者であることを看過すべきではない。


3.「愛国戦線」(ツチ)は正義の味方か

アメリカのメディアは「愛国戦線が正義の軍であり、フツ族が無条件に悪い」との姿勢をとっている。

しかしそもそも事の起こりは、愛国戦線がウガンダから武力侵攻したことにある。彼らは大統領機撃墜と同時並行でルワンダへの一斉攻撃を開始している。

大統領機撃墜事件の犯人は特定されていないが、携帯型地対空ミサイルはルワンダ軍にはなかった。
そもそも愛国戦線が最大受益者であることは間違いない。

愛国戦線は否定するが、短期間に400万のフツ人が国内外に逃亡したことは、武力による強制があったと考えざるを得ない。

愛国戦線は大統領を暗殺し、一斉攻撃を仕掛け、政治権力を獲得し、国民の過半数を国外に放逐し民族浄化に成功した。

それが、結果的にツチ人大量虐殺の発生により覆い隠された。


4.ツチ族への恐怖には歴史がある

ルワンダは19世紀末までは、少数派のツチ族が支配する王国だった。その後第一次大戦が終わるまでドイツ、ついでベルギーの植民地となった。支配国はツチ族による王政を継続したため、フツ族は二重の支配に苦しめられた。

60年からフツ族の反乱が始まり、国連監視のもとで国民投票が行われれ、共和国として独立することになった。

圧倒的多数派のフツ族が大統領選に勝利したが、ツチ族の一部は繰り返し国外から越境攻撃を繰り返した。

つまりツチ族の支配層は、かつて少数支配者であり、植民地時代には白人の協力者であり、独立後は政権転覆を狙う武装した撹乱者であった。

たしかに、そのたびに国内のツチ族への報復も繰り返された。しかし一般には武装勢力とツチ族市民は区別され、共存関係は保たれた。


5.愛国戦線の「黒幕」はウガンダだ

愛国戦線はウガンダで組織され、兵の訓練、武器の調達もウガンダで行われている。軍の指揮を執るのはウガンダ陸軍の将校である。

アフリカ諸国が加盟する「アフリカ統一機構」はウガンダの行動を憲章違反と非難した。

この共通認識があったから、タンザニア、ザイールなどが軍を派遣し、ベルギーも出兵した。フランスはルワンダの正式要請を受け派兵した。

これがメディアの言う「外国の干渉」の実体である。(ちょっと鵜呑みにはできないが)

これらについて米国メディアは沈黙を守り続けた。


6.愛国戦線による「民主主義」の実体

論理的に考えて、人口の1割しかいない少数派が、武力で政府を転覆して、9割の多数派の半分以上を国外に追い出して作られた政権が民主的であるわけがない。

フツ族はツチ族の多くを虐殺したゆえに、すべての結果を甘受しなければならないのか。


7.フランスへの非難は的外れだ

ルワンダがフランスから装甲車を買ったのは間違いない。それは服部さんが中央銀行総裁だったときからであり、別にフランスの軍事援助という性格のものではない。

むしろ政府軍を遥かに上回る装備をもつ「愛国戦線」の武器の出どころを問題にすべきだろう。なぜならそれば防衛用の装備ではなく攻撃用のものだからである。

誰かがウガンダ政府を経由して愛国戦線に供与したのだから、そこに「大国の影」を見るべきではないか。

8.日本政府が行うべきこと

このあと、日本政府がとるべき態度についても言及が行われているが、今ではすでに問題意識も含めて陳旧化しているので省略する。




かなり重複を省き、整理したつもりだが、それでも「要約」というには長すぎる。

取り上げた内容は、今日でも地域紛争問題に取り組むにあたって重要な示唆を含んでいる。

反省を込めて、もっとも痛感したのは、問題意識を報道の枠を超えて広げることの大事さだ。

ここではルワンダ住民虐殺事件ではなく、「ルワンダ動乱」という枠組みの提示がそれに当たる。

この視座を持たないと、善人があっという間に悪人に仕立て上げられる。

最近なぜか、服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」が話題になっているようだ。
しかしなぜ話題になっているか、よくわからない。
街に出たついでに本屋に立ち寄ったら、なんと平積みされている。図書カードに1,000円残っていたので買ってしまった。
よく見ると、本そのものは、増補版となっているが2本の小論が足されただけ。しかもその増補版はもう11年も前に増補されたものだ。

結局、今話題になっている理由は、SNSの世界で売れていると言うだけの話のようだ。

というわけで「わざわざ買うほどのものではなかった」と言いつつ、「買ったからには読んでみるか」とはじめたらまたまたハマった。これで3回めである。

2回めを読んだときの感想をブログにアップしている。それが
だ。

それだけなら、それだけの話しなのだが、実は増補部分を読んで、頭を金槌で殴られたような気分である。

この時、すでに増補版は出ていて、服部さんの「抗議の叫び」も発せられていたのだが、そんなことは知る由もなく、初版本を読んで済ましてたのだ。

そしてまさに服部さんが批判する欧米リベラルの眼で、ルワンダを眺め、ツチ族の樹立したカガメ政権をほめ讃えていたのだ。

穴があったら入りたいくらいだ。

今さら書き直しはできない。自己批判を込めて、服部さんの論考の要約をしておきたい。

ベネズエラをめぐる報道で、骨身にしみているはずなのに、欧米メディアの宣伝にやすやすと乗ってしまった自戒を込めて。

もちろん服部さんの主張を10割認めるというものではない。ただ、淡々と要約するだけである。

要約と言っても、かなり長くなりそうなので、一度稿を改めることにする。人間を肩書きで判断してはいけないことを重々承知の上で、服部さんの履歴を書いておく。
1908年の生まれで1930年に東大を卒業し日銀に就職。ラバウルの海軍基地で終戦を迎えた。この時すでに37歳だ。復員後日銀に就職。65年にルワンダに赴任するが、この時57歳。当時の感覚から言えば定年後の御奉公だ。虚心坦懐、明鏡止水の心境であろう。

そして6年の奮闘の後ルワンダを離れたがその後も世銀等で活躍した。

“ルワンダ動乱” は94年、この時服部氏はsでに86歳。普通なら感想をもとめられても断るはずだが、敢然として一文をものされた。敬服の至であるが、それ以上に服部氏がルワンダに注いだ深い熱情がうかがわれ、感慨深いものがある。

のっけから話が長くなった。

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